第19話 残滓


 うーん、と首を傾げた千景は脳内で金勘定していく。


「そうですね……術師のレベルや用いる呪術にもよりますけど。軽いもので数十万から数百万、呪詛レベルの重いものにもなると数千万はくだらないでしょうね。なんせ術師は命を懸けるわけですから」


「なるほど…」


「一応参考までに教えておきますけど。術師の中にも呪いを解いてくれる人はたくさんいますが、実際に呪いをかけてくれる人は少ないですよ。みんなリスクを被らずに術を成功させる自信がないんでしょうね。まあ裏を返せば、誰かを呪う系の依頼をぽんぽん引き受けてくれる術師は相当腕が立つという証明にもなります。もし依頼したい場合は、そういう人を頼ることをお勧めしますよ。ただの馬鹿って可能性もあるので一概には言えませんけど」


 ふむふむと久瀬は頷いた。


「……とまあ、以上が呪術や術師、ひいてはまじないに関する基本的な知識です。ここまでは大丈夫ですか?」


「ああ。問題ないよ」


 久瀬は余裕綽々といった様子で頷いた。

 正直、この男が霊相手に慄いている姿が全くといっていいほど想像できないが、先ほどの語り口からしても、それなりに憂懼ゆうくはしているのだろう。



 追加注文した二杯目のミルクティーをくるくると掻き混ぜる。

 お洒落な店内には仕事帰りのOLやカップルの姿も増えてきた。席もだいぶ埋まっているようだ。

 それぞれお茶を楽しんだり会話に興じているため、他の席を気に留める人は少ない。


 そんな中で、全身に黒を纏う女と、いかにもヤンチャしていそうな金髪男、二人よりは幾らか年上の紳士然としたスーツの男というアンバランスな組み合わせはやはり注目を集める。

 そこに顔立ちの良さも加われば、人目を惹くのは当然だった。


 それでも当の本人たちにそれを気にした様子はない。

 一貫してやや声量を落としているため、控えめなBGMと人の声が交錯する店内ではその内容が漏れる心配はなかった。



「さて、そろそろ本題に戻りましょうか。以上のことを踏まえて、今回の一件についてですね。あなたはその女の霊に呪われているのか、それともあなたを怨む人間に依頼された術師に呪われているのか。話を聞くだけではその辺をはっきりさせることはできませんので、とりあえず何か心当たりとかありますか?」


「…うーん……それが全くないんだよね。立場上厳しい判断を下すこともあるから、もしかしたら僕を怨んでいる人もいるかもしれないけど……これといった心当たりはないし。霊障を受けるような出来事に遭遇した記憶もないしね…」


「そうですか……こればかりは実際に見てみるしかなさそうですね」

 

 置物のように二人の会話を聞いていた志摩は話の終わりを感じ取ったのか、グラスに残ったアイスコーヒーを一気に飲み干した。 


「とりあえずこの一件、私でよければ引き受けますよ。事後クレームとかは一切受け付けませんので悪しからず」


「構わないよ。ありがとう」


 心底ホッとしたように表情を緩めた久瀬。

 それだけでなんだか良いことをした気分になる。


「こういうのって前金とか支払った方がいいのかな? もちろん報酬は別でちゃんと渡すつもりだけど」


 まだ依頼を引き受けたというだけで最後まで遂行したわけではないのだが、久瀬はすでにそれ相応の謝礼をする気概をみせている。


 こういう時、根っからの善人とか正義感溢れる人であれば、ボランティアの一環として片付けるのだろう。

 けれども千景の場合、こういうちょくちょく舞い込む術師としての仕事で生活の半分以上を賄っている。

 だからこの申し出を断るという選択肢は初めからなかった。


「私の場合は結構ですよ。まだご期待に添える結果を出したわけでもないですしね。とりあえず全て終わってから、諸々考慮して請求させていただきます」


「わかったよ」


「じゃあ、これからお邪魔してもいいですか?」


「もちろん」


 久瀬は一足先に席を立ち、流れるように伝票を持って会計を済ませに行く。

 財布を取り出すどころか自分の分の支払いを申し出る隙すらない。

 そのスマートさに千景はただただ感服していた。


 それは同性である志摩も同じようで。


「なんか、男として負けた気がする……」


「逆にどこが勝ってると思ったんだよ」


「…あー………顔?」


「私あんたのそういうところ好き。でもイケメンがイケメンと競ったところでイケメンでしかないからね」


「褒めてる? 貶してる?」


「ほめてるほめてる」


「嘘くせー」


「で、お前はどうすんの」


「ついてっていい?」


「ん。極力私のそば離れんなよ」


「そんなにやべえの?」


「さあ、どうだろ。でもなんか嫌な予感がする」


「チカの嫌な予感は当たるからなー」


 苦笑した志摩と共に、ちょうど会計を済ませた久瀬に合流して店を出た。



 結構な時間話し込んでいたらしく、外はとっぷりと日が暮れていた。

 穏やかでありながらも奇々怪々とした夜の気配に包まれる。


 視える人間である志摩と久瀬は一見何も変わらないように見えて、その実やはり夜は条件反射でピリリと空気が鋭くなる。周囲を警戒している証拠だ。

 自分では対処する術を持たないがために、自然と自己防衛が働くようだ。


 実際は昼でも夜でも視える人間にとっては遭遇率はあまり変わらないのだが、夜は霊が出るという人間のDNAに刻まれた本能が大きく作用しているのだろう。


「大丈夫だよ、二人とも」


 月が綺麗だなあ、なんて呑気に夜空を見上げながら、千景は呟く。


「私がいるからね」


 並の術師ならいざ知らず。

 千景がいる以上はこの二人に手出しなんてさせない。させるわけがない。

 それが術師としての千景の自負で、矜持だから。


「ふふ、君はかっこいいね」


 他意が多分に含まれていそうな呟きを褒め言葉として受け取っておく。

 月明かりよりもネオンが煌々と照らす夜を千景は悠々と闊歩した。




 当初はそのまま久瀬のマンションへ行こうとしていたが、こんな空腹状態では今夜訪れるであろう恐怖の長丁場はもたないという男二人の意見が浮上。

 久瀬の誘いで、案の定高級感溢れる店で夕食をご馳走になった。

 もちろん志摩共々誠心誠意「ごちそうさまでした」と感謝の意を表すことも忘れない。


 久瀬が住んでいるのは品格のある男によく似合った高層マンションだった。

 広々としたエントランスは柔らかい暖色照明で照らされ、よく磨かれた大理石の床には汚れひとつ見当たらない。


 一般人にはとてもではないが手が出せない格式高いホテルのような風貌の此処はそう、いわゆる高級マンション。

 代表取締役という肩書きを持つことから漠然と感じていたが、久瀬が大層な金持ちだということが確信に変わった。



 暫くエレベーターに運ばれて着いた先、久瀬の部屋は最上階にあった。

 ロックを解除するのをなんとなく眺めていれば、ふと、何かの気配を感じ取った。


 それは朱殷と銀も同じだったようで、二匹ともピクリと小さく反応する。


(…なんだこれ……どこ?)


 気配といってもごくごく小さな違和感程度。


 この場に誰かがいるとか、そういうあからさまなものではない。

 例えるなら残り香のような儚いものに近い。


 それでも確実に、そこに存在する、もしくは存在していたという、些細で確かな記憶。


(……残滓ざんし、か)

 

 スッと目を細めた千景は神経を研ぎ澄ませる。


「…どうした?」


 一向に中に入ろうとせず、一瞬で空気をヒリつかせた千景。

 それを不審に思った志摩が首を傾げた。

 ドアを支えていた久瀬も、訝しんだ顔つきでこちらの様子を窺っている。


 しかし視界の端で捉えたそんな二人には目もくれず、千景はおもむろに左手を伸ばしてドアに触れた。


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