第17話 自称呪われた男



 自らを「呪われている」とそう表現した男。

 そこに”かもしれない”という推測が入り込む余地はないように思えた。


(そこはかとない厄介事の予感……)


 若干空気がヒリついた志摩を目で制し、男の双眸から真意を窺う。


「いくつか質問しても?」


「ああ。構わないよ」


「まず第一に、貴方は視える人間ですか? 視えない人間ですか?」


 話を聞くにしても、まずは大前提として相手がどちらであるかを知っておかなければこれ以上話は進められない。

 千景の問い掛けが懐疑を含んでいると感じ取った男は、疑う必要はないと間髪入れずに頷いた。


「僕は視える人間だよ」


 男の様子からして嘘を言っているとは思えないがその言葉だけを鵜呑みにすることもできないので、もう少し試してみる。


「じゃあ、私の側にいるコたちは視えますか?」


「ああ、そのかわいいペットたちは霊だったのか。白い蛇くんと狐くんならちゃんと視えているよ。君は随分と用心深いようだね」


 肩を竦めてクスクス笑う男は難なく千景流霊感センサーに反応した。

 どうやら本当に視える人間のようだ。


 男が『呪い』という言葉を口にした時、疑いのほうが圧倒的に強い半信半疑であったが、それが視える人間の発言であったとなると信憑性は一変する。


「失礼しました。術師の性質上、簡単に人を信用することはできないので」


「構わないよ」


「協力の有無は後で考えるとして、ひとまず話を聞きましょう。場所を変えませんか?」


「ありがとう。よろしく頼むよ」


 男からの依頼を頭ごなしに断る理由がない千景は、ひとまず力を貸して欲しいという依頼の詳細だけでも聞いてみることにした。





 仕立ての良さそうなスリーピーススーツを着こなした男は長い足を持て余すように椅子に座り、香りの良い珈琲を啜っている。

 たったそれだけの動作がとてつもない優雅さを醸し出していて思わず見惚れてしまう。


 男が手首につける高価そうな腕時計に、よく磨かれた革靴。

 歩き方や口調、ひとつひとつの所作から感じられる隠しきれない上品さは、彼がただの一般庶民でないことを如実に物語っていた。


 そんな男を、当初予定していたファミレスなどに連れて行くのもなんだか躊躇われた結果、ちらりと目配せをした志摩との瞬時の見解の一致により、お洒落な喫茶店を談合の場に選んだというわけだ。



「申し遅れたね。僕は久瀬くぜ博臣ひろおみ。よろしく」


 差し出された名刺には確かに楷書体で『久瀬博臣』と書かれていた。

 しかしそれよりも気になるのは彼が持つ肩書きだ。


「代表取締役……」


「すっげ……」


 千景の手元を隣から覗き込んでいた志摩からも同様に率直な驚きが聞こえた。

 思わず名刺に食い入る二人に、男、もとい久瀬博臣はくすりと笑う。


「これでも一応IT関係の会社を経営していてね。こういう場面で名刺を渡すのもどうかと思ったんだけど、僕の身元を証明するにはそれが一番手っ取り早くて」


「どーも」


 立ち居振る舞いからただの一般人ではないと思っていたが、やはり大層な肩書きを持つ人物だったようだ。

 その端正な顔立ちと若々しい雰囲気から、すでに年齢不詳感は否めない。

 おそらく二十代後半、過度に見積もってもぎりぎり三十代に入るかどうかといった風貌だ。


 とりあえずこの男が、千景のような一介の大学生もどきが関わる機会など一生こないような人物であることだけは理解した。



 ここまでしっかり自己紹介を受けていて、こちらが名乗らないのは失礼極まりないことは重々承知しているが、術師の身である千景は簡単に名を出すことは控えた。 


 一度ミルクティーで喉を潤し、さて、と久瀬に向き直る。


「先程、自分は呪われていると仰っていましたね。その詳しい事情を聞かせてもらっても?」


「ああ、そうだね。ことの発端は十日くらい前になるんだけど…」


 久瀬は変わらず穏やかな口調で静かに経緯を話し始めた。




 いつものように仕事を終えてマンションに帰宅した、その日の夜。

 ちょうど時計が午前二時を回った頃。


 ───部屋の呼び鈴が鳴った。


 こんな時間に誰だとモニターで玄関先を見るが、そこには誰の姿もない。

 その日はちょうど疲れていたこともあってか、悪戯だと判断してとくに気に留めはしなかった。


 しかしその奇妙な出来事は次の日も、その次の日も、またその次の日も続いた。


 決まった時間に一度だけ。

 ピンポーン、と軽快な機械音が部屋に響くだけで、相も変わらず玄関先に人の姿はない。


 さすがに不審に思い、五日目の夜に玄関に張り込んで悪戯主の正体を自分の目で確かめることにした。


 その夜、午前二時。

 今日も来ましたとばかりにやはり一度だけ鳴る呼び鈴。

 すぐさま玄関のドアスコープから玄関先を見ると、前日までとは違い、一人の女が立っていた。


 俯いた顔には髪がかかりその顔を見ることはできない。

 こんな時間に何の用かと玄関を開けて文句のひとつでも言ってやろうと思ったのだが、ふと、薄暗い廊下の明かりに照らされた女の肌が異様に青白いことに気がついた。


 久瀬自身こういう出来事に不慣れなわけではなかった。

 人より幾分か回転の速い脳内で、もしかしたら、と最悪な可能性を弾き出してしまったことで一気に全身から血の気が引いた。


 思うように動かない体を引きずって、リビングのモニターを確認してみれば。

 やはりというか、案の定というか。



 ───その映像に女の姿は映っていなかった。



 ひゅっと息を呑む。


 震える足取りで玄関口に戻り、恐る恐るドアスコープに片目を近づけ。

 そこから見えた光景に、恐怖と直結した冷や汗がたらりと流れた。


 覗き穴越しにジッとこちらを見つめる血走った眼。

 動くでも口を開くわけでもなく、まるで市松人形と相対しているかのようにピクリとも逸らされず、瞬きひとつしない女。


 その姿に、とてつもない恐怖を感じた。


 久瀬の悪い予感は当たっていた。

 肉眼では見えるのにカメラを通せば途端に映らなくなる女。


 つまりはそういうこと・・・・・・なのだろう。



 その夜を境に女の霊の行為はだんだんとエスカレートしていった。


 相変わらず呼び鈴は鳴らすが、その後ガタガタと頻りにドアを揺らし始めるようになったのだ。

 防犯システムの整ったマンションに住んでいるとはいえ、霊的存在を相手に人間しか想定していないロックがどこまで正常に機能するのだろうか。


 ついにはドンッ、ドンッ、と扉を叩き「開けてぇ、開けてよ。中に入れて」と言葉を連ねるようになっていった。




「それで僕もさすがに身の危険を感じてね。そういえばこういう案件を専門に扱っている人たちがいることを思い出して、三日前に依頼してみたんだよ」


「えっ、一度術師に頼ったんですか」


「うん」


「……その人、何かの組織に所属してるような術師でしたか?」


「うーん、そこまではよく分からないんだけれど、彼らは個人でやっていると言っていたね」


「そうですか…」


 どうらや久瀬はすでに術師を頼っていたらしい。

 久瀬の話によれば自称個人でやっている術師らしいので、おそらく術師会の人間ではないのだろう。


 一度術師を頼っているはずの久瀬がこうして千景に話をしてくるということは、まだ問題解決には至っていないことになる。


「依頼した術師に家にも来てもらって、対処にあたってもらったんだけどね。彼らも最初は自信満々だったのに、いざその霊がやって来ると『自分たちでは手に負えないからこの依頼は断ります』って。帰っちゃったんだよ」


「うわぁ……」


 早々に手に負えないと判断したその術師は依頼を放棄したらしい。


 ただ単に術師の実力が足りなかったのか。それとも女の霊が相当なものだったのか。

 話を聞く限りでは後者のようにも思える。


「それで、術師なんて二度と頼るものかと思っていたんだけど。ついに昨日、鍵をこじ開けられてしまってね」


「……よく無事でしたね」


「昨日はたまたま運が良かっただけかな。霊はいつもきっかり10分で立ち去っていくからね」


 本人はニコニコ笑っているが、正直笑える話ではまったくない。

 一歩間違えれば、恐らく昨日のうちにでも彼は大変なことになっていただろう。


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