第15話 性別の壁と至福のひと時





 ざわざわと若者特有の騒がしさがあるキャンパス内を千景は欠伸を零しながら歩いていた。


 すでに世間では週末に向けてあと一日頑張ろうという空気が流れている。

 だが前に学校に行ったのが今週だったか先週だったかすらあやふやな千景にとっては週末も何もない。

 高校まではほぼ皆勤ペースで真面目に通っていた気もするが、今となっては皆勤賞も夢のまた夢のさらにその夢のことだ。

 

 何故こうまでして大学へ通うのかと問われれば、残念ながら答えは「わからない」の一言に尽きる。

 当時の自分は何を考え、何故この大学を受験したのだろうか。

 その理由さえも明確には思い出せない。


 ただ、強いて言うのなら、自分と同じくらいの年齢の普通・・の少年少女がどういう生活を送っているのか気になったからだ。



 

 階段状に講義机が並べられた大きな講義室。

 その中段あたりの窓際席。


「はよっすー、未生みお


「あら、おはよう。珍しいわね朝っぱらから来るなんて」


 隣に座った千景に、心底驚いたように目を瞬かせた未生は暇潰しに弄っていた携帯から顔を上げ、久しぶりに会った友人に笑いかけた。


 彼女、と表現することが果たして正しいのかはさておき、彼女は大学でできた友人の雨野あまの未生みおだ。

 いつも会うたび完璧に化粧を施した美女。おそらく千景よりも女らしい。

 

「たまにはちゃんと学生やるのもいいと思ってさ。それに、未生だって私がいなかったら寂しいだろ?」


「あら、アタシのために来てくれたのね。じゃあ今日は最後まで一緒に授業受けてくれるわよね?」


「まあ、うん。気力が持てば…」


 女にしてはややハスキーな声で凄まれてしまえば、千景は頷くしかなかった。



 再び携帯に視線を落とした未生の耳には、先日京都旅行の土産として贈ったピアスが揺れていた。

 鞠を模した小さな飾りが特徴的な和テイストのピアスは思った通り美人な未生によく似合う。

 こうして普段から身につけてくれていることに渡した側としても嬉しく思う。


 そのままなんとなく横顔を眺めていれば、さすがに未生が眉を顰めた。


「なによ。アタシの顔に何かついてる?」


「いんやべつに。相変わらず美人だなあって思ってさ」


「あら、ありがとう。お化粧は得意なのよ」


「知ってるよ。でもたまには”未生くん”にも会いたいなぁって」


「未生ちゃんじゃ不満かしら?」


「不満なんてないよ。綺麗な未生もかっこいい未生も好きなんでね」


「フフ、ありがとう。褒めてもなにも出ないわよ」


 そう言って艶やかに笑う未生は本当に綺麗だと思う。

 これの本来の性別が男だとは思えないくらいには。



 彼女、もとい彼は、もともと女と言われても受け入れられる声や骨格ではあるが、歴とした男だ。

 幼少期はよく女の子に間違えられたらしいその中性的な顔にメイクを施し、女物の服を纏い、少し口調を変えれば、それはもう美人な女の出来上がりだ。


 未生の場合はオネエとかオカマとか、そういう性別を超えた部類には含まれないように思う。

 もちろん女でいる時間の方が圧倒的に多いのは確かだが、割合で言えば二割ほどは男が残っている。


 当の本人もどちらの性別も楽しんでいる節がある。

 以前、本来の姿の未生と買い物という名のデートを満喫したことだってあるくらいだ。

 性同一性障害というわけでも全くなく、未生はただ単にジェンダーレスの自由な思考に基づいて全力で人生を楽しんでいるというだけのことだった。


 ただ、大学には100%の確率で女の姿で来る。

 だから未生に好意を寄せる男が数多く存在するというのが現状だったりする。


 そうこうしているうちにいつの間にか始まっていた授業は一コマ90分で午前に二コマ。

 とにかく久々に脳内を学生モードに切り替えた千景は、心理学と歴史社会学の授業を欠伸を噛み殺しながら受けたのだった。

 




「…ふわぁぁ……」


 盛大に溢れた欠伸を申し訳程度に袖口で隠す。 

 午前だけで一体何回欠伸をしただろうか。


「あんたっていつも眠そうだけど授業中は寝ないわよね」


「根は真面目だからね」


「本当に真面目な人は自分から真面目なんて言わないわよ」


 午前の授業が終わり学食へ移動した千景と未生は、周囲の賑やかな喧騒に紛れてそれぞれ昼食を食べていた。

 隣のテーブルに座る数人の男たちからの視線が控えめに言って痛いのは、きっと目の前にいる性別迷子が美人だからだろう。


「ねえ、あんたって青が好きなの? いっつも爪は青く塗ってるわよね」


 欠伸の度に口元に手を添える千景の指先に注目したらしい未生にそう訊かれ、千景も自分の爪先をまじまじと見る。


 今日も今日とて剥がれた箇所なく綺麗に深い瑠璃色が塗られた十指の先。

 もはやここに青がなければ違和感を覚えるくらいには長い付き合いだ。


「んー、別に。なんとなく?」


「なんで疑問系なのよ」


「未生の方こそいつも綺麗にしてるよね。ネイルって日常生活で邪魔にならないの?」


「もう、色気のないこと言わないの。オシャレは楽しいわよ。今度ネイルサロンでも行ってみる?」


「あー…そのうち」


「それは絶対行かない人のセリフよ」


 呆れた溜め息を吐きながら口紅を塗り直す未生は本当に女より女らしい。

 

 毎日大学に来ている未生には千景以外にも友人がたくさんいる。それでもこうして千景が来た日は当たり前のように昼を共にし、一緒に授業を受けている。

 学部が同じで講義が被ることも多いとはいえ、やはり大学に入って互いに一番最初にできた友人だからこそ、気の置けない関係を築けているのだと思う。


「それはそうと。ねえ千景、今日帰り暇?」


「とくに予定はないけど。どしたの?」


「これよこれ。付き合ってくれないかしら」


 そう言って見せられた携帯の画面には『2名以上でお越しのお客様! ケーキバイキング20%OFF!!』の文字。


「ふふ、乙女だねえ」


「最近糖分が足りないのよ。一緒に来てくれるでしょう?」


「もちろんですとも」


 甘党の未生に負けず劣らず、実はかなりの甘党である千景。

 二つ返事で頷いた千景にその誘いを断る理由は見つからなかった。




 すべての講義を終えて大学を出たのは十六時ごろだった。

 ちょうど学校帰りの学生たちが街に出てくる時間帯だ。金曜日ということもあってか駅前はそこそこの賑わいを見せていた。


「おっと、危ないよ未生」


「……? ありがとう」


 すれ違い様に接触しそうになった未生の腕を引き、その拍子に少し蹌踉めいた体を支えてやる。


「……ねえ、やっぱりアタシとあんた、生まれてきた性別逆だったと思わない?」


「何言ってんだよバーカ」


 思わず腕を引いてしまったが、先ほどのはどうしても未生が接触するのを避けなければならなかった。というか避けさせたかった。

 そう、何故なら未生がぶつかりそうになった相手はただの人間ではなく霊体だったから。


 相手が悪霊でない限り、視えない人間にとっては霊と接触しようと何も気づかず、とくに被害もない。だから躱す必要もない。

 けれどもやはり千景としては目の前で友人をオジサン霊にぶつかるのはなんとなく回避したかった。



 ちなみに未生は視えない側の人間だ。


 今のぶつかりそうになったオジサン霊に気づいた様子はないし、何より今日も朝からずっと千景に張り付いている朱殷と銀の存在に触れられたことは一度もない。


 千景も自分が視える人間であることと、霊を相手取る術師であることは打ち明けてはいない。

 それは『信じてもらえないのではないか』という不安からではない。

 千景が生きている危険と隣り合わせの世界観に、無闇に人を巻き込みたくはない。それが大切な友人であれば尚更のこと。


 澄み切ったその笑みを、自分を取り巻く特殊な事情で曇らせたくはなかったから。



 やってきた店は可愛いというよりは西洋チックなお洒落な店だった。

 綺麗にカットされた芸術品のようなスイーツがずらりと並び、見ているだけで胸がときめいてきた。


「さて、食うか」


「男がでてるよ未生ちゃん。格好と口調がカオスだっての」


「フフ、ごめんなさい。ついテンション上がっちゃって」


 テンションが上がると男が出てくるらしい未生。

 なんともいえない可愛らしさに顔を綻ばせ、千景もいくつかのケーキを見繕う。


 つやつやと鏡のようにグラサージュされたチョコレートケーキ。

 宝石のような色とりどりのフルーツで飾られたタルト。

 バターの香りとジューシーな林檎がたまらないサクサクのアップルパイ。


「うんまーいっ…!」


 見た目も楽しく味も絶品。

 クオリティの高いケーキバイキングに千景も未生も大満足だった。

 

 

 その後も、女子トークであって女子トークでない会話に盛り上がり、未生が席を立ったタイミングを見計らって腹ペコ二匹に食べさせてあげつつ、全力で至福のひと時を楽しんだ。


 だから、と言い訳をするつもりはないのだか。

 他のことに意識が傾いていたからこそ、鞄の中で震える携帯が通知を知らせていたことに、店を出るまで気がつかなかった。





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志摩:今どこ?

志摩:近くにいたら助けて欲しいんだけど

志摩:近くにいなくても助けて


《志摩から着信がありました》


志摩:チカ

志摩:たすけて


《志摩から着信がありました》

《志摩から着信がありました》

《志摩から着信がありました》


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