第14話 夜更けの電話



 ◇ ◇ ◇




 夜も深まり、大半の人は眠りについている夜更け頃。

 千景は自宅の窓からぼんやりと夜空を眺めていた。


 日中は金縷梅堂として開けている階下も今は物音ひとつしない。

 リビングの明かりも落としてしまえば、そこは閑寂と闇夜が共在する静かな空間となる。

 

 夜空高くに煌々と輝く上弦の月は地上に万遍なく光を注ぎ、千景の横顔を儚く照らす。いっそ空虚にも見える冷淡な顔つきは常の柔らかな笑みとは程遠い。

 しかし、我が物顔で千景の膝を占領している白狐を撫で、千景と同じように夜空に目を向ける白蛇の姿を視界に収めてしまえば。

 まるで氷が溶けていくように、ふわりと目元が綻ぶ。



 小さく寝息を立てる銀を優しく撫でてやればぴくりと身動ぎ、力の抜け切った体を千景に預けてくる。

 この時ばかりはいつもの飄々とした姿は鳴りを潜め、愛でられ慣れた愛猫のように無防備な愛くるしさを惜しげもなくさらしてくれる。


 コツンと窓に頭を預けた千景は再び外に視線を彷徨わせた。




《…──考え事か》



 耳障りの良い声が静かに届く。

 次いでなんの感情も読み取れない真っ赤な蛇眼と視線が絡んだ。


「何か、考えてるように見えた?」


《いや》


「じゃあなんで訊いたんだよ」


 指先で頭を小突けば、朱殷はじゃれつくように体を滑らせしゅるりと赤い舌を伸ばす。

 気まぐれ気質の朱殷は夜の方が口数が増える。

 それでもこうして戯れてくるのは実に珍しいことだった。


「まあ、色々考えてたといえば考えてたけど。どっちかっていうと…」


《疲れた、か》


「……ふふ、そうだね」


 そう、疲れたのだ。


 精神的にというよりは肉体的に。

 これは完全に動き回りすぎたが故の肉体疲労だ。



 二泊三日の京都旅行から帰ってきたのは昨夜のことだった。

 一日目で全ての目的を達成したことで二日目と三日目は趣味に費やした。神社仏閣を回り、甘味処を食べ歩き、たんと京都の魅力を堪能することができた。


 そして今日は朝イチで御津前みづさき神社に顔を出してきた。

 志摩に頼まれていた京都の名産品多数と適当に見繕ったものをいくつか。明成あきなりには礼の品として日本酒を。笠倉家への土産物として豆大福も付けて。

 我ながら土産というには大量に買いすぎたと思うが、明成や瑞紀みずきにはいつもお世話になっている。

 日々の感謝を込めれば、これだけしても足りないくらいだろう。


 その後、久々に大学生らしく大学にも行ってきた。

 単位は大丈夫かと心配してくれる友人にも京都土産を渡し、久しぶりに真面目な大学生をしていた気がする。

 

 そんななんとも活発的な数日を送ったことにより、今こうして自宅で気を緩めたこの瞬間、全身疲労と気怠さが襲ってきたというわけだ。



 おもむろに手を伸ばしてサイドテーブルのカップを取る。


 中身は気分で淹れたハーブティーだ。

 もうすっかり冷めてしまってはいたが、気を落ち着かせてくれるカモミールの香りは健在だった。


「……ふわぁー……眠ぅ……明日は、ていうかもう今日だけど。店は休みにしよっかなー……」


 盛大に欠伸をこぼし、そろそろ寝ようかと立ち上がりかけた時。



───プルルルル、プルルルル、プルルルル…。



 静かな空間に突如響いた機械音。

 カップと共に置いてあった携帯が震えた。


「誰だよ、こんな時間に……」


 夜更けに電話をかけてくる人物に思わず悪態が出た。

 しかし液晶画面に表示された名前を見て、そんな気持ちも綺麗さっぱり吹っ飛んでいった。


 迷わず通話ボタンをタップする。




『───よお、クソガキ。元気にやってるか?』




 思い浮かべていた人物と、機器の向こうから聞こえた低い声が一致する。

 久々に聞いたその声音につい安心感を覚えてしまった。


「……うん、久しぶり。そこそこ元気にやってる」


『ククッ、そりゃあよかった』


 喉を震わせて笑う相手の様相が容易に想像できる。

 おそらく庭に面した縁側に座し、月が反射した池を眺めながら、酒を片手に笑みを浮かべているのだろう。


『この前ウチに寄ってったらしいじゃねえか。悪かったな、ちょうど家を空けててよォ』


「ううん大丈夫。いつも忙しそうだし、もしかしたらいないかもって思ってたから」


『そうか? 俺は残念だったぜ。オマエに会えなくて』


「ソーデスカ…」


 こんな夜更けに電話をかけてきたのは千景もよく知る男だった。

 つい数日前、京都旅行の際に立ち寄ったあの大きな屋敷の当主その人である。

 どうやらあの青年はしっかりと伝言役の役目を果たしてくれたようだ。


 クツクツとしばらく電話口で笑い声が聞こえていたが、ふと、その声が止まった。


『ところでよォ…───千景』


「……なんでしょう?」


 打って変わって地を這うような低い声で名を呼ばれる。

 無意識のうちに背筋が伸びた。


(…うわ、嫌な予感……)

 

 そして、千景の嫌な予感はよく当たる。


『テメェ、術師会に行ったな?』


「…ハハ、ナンノコトデショウカ?」


『とぼけんじゃねえよ。俺ァ言ったよな? あの連中には関わるなって』


「…………」


『弁明があるなら聞いてやるが?』


「……あはっ、好奇心に負けちった」


『チッ』


 語尾にハートマークでもつきそうな勢いでおちゃらけてみれば、返ってきたのは本家も震える迫力満点の舌打ちひとつ。


 何故この当主は千景が術師会に関わったことを知っているのだろうか。

 言伝を頼んだ彼には細かい話は何もしていない。そもそも当主には京都に行ったこと自体話してはいないと言うのに。


『なんでバレたかって? オマエ、俺への手土産に塗香ずこう勾玉まがたまを置いてったろ。ありゃ術師会がよく配る呪具だぜ。しかもそれぞれ二つずつってことは、銀か蛇野郎を人間姿で連れてったな?』


「……ご名答。今回は銀に同伴を頼んだよ。もちろん朱殷も連れてったけど」


『ったく、テメェらがそういう隠し事上手いっつうのは知ってっけどよォ。気付かれたら面倒なことになんだから気をつけろよ』


「あ、うん。でももう朱殷のことも銀のこともバレたけどね」


『……あ?』


「なんか黒髪の男に。七々扇の天才とかって呼ばれてたっけ?」


『………あ゛?』


 千景の爆弾発言は百戦錬磨の当主もさすがに予想していなかったらしい。

 一拍の間を置いて、男はドスの効いた疑問符を並べた。

 驚きと不機嫌を滲ませた声音のまま千景を問い詰める。


『テメェコラ、どういう意味だ』


「いや別に…」


『まさかあの七々扇の小僧に接触したのか? つか、あの程度の集まりに来てたってか? あの無感情なクソガキが?』


 千景に訊いているのか、ただ自問自答しているだけなのか分からず、しばしの間口を閉ざす。

 どうやら当主も”七々扇の天才”と呼ばれる彼のことは知っていたようだ。


 呪術業界の人間関係や事情は千景にはわからないが、仮にも一介の当主である男の立場を考えれば、他家の術師と何らかの面識があってもおかしくはない。


「まあまあ。バレたって言ってもその天才くんにだけだし、誰かに言いふらすようにも見えなかったし」


『……ハァ、それはまあいい。オマエのことだから上手くやったんだろ。それよりも連中に貰ったっつう呪具は…』


「ああ、あれね。当主サマがいない場合も考えて、ちゃんと追跡機能っぽい術は解いといたから大丈夫だよ。あいつらに私の情報なんて死んでも与えたくないしね」


『ホント優秀なクソガキだなァ。立派な術師に成長してくれて俺は嬉しいぜ』


「どーもお陰様で」


 今回初めて術師会と接触してみて、彼らが陰湿な手口を好む組織だということはよく理解した。

 そしてやはりというか期待を裏切らないというか、案の定あの日集まった術師をタダで帰すつもりもなかったようだ。


 屋敷を出る際に配られた呪具三セットには、それぞれ位置情報を特定するような、日常生活で言うところのGPS機能にも似た呪術がかけられていた。

 もちろんなんの変哲も無い呪具に見えるよう巧妙にカモフラージュ済みだ。


 もしそれに気付かずにその呪具を持ち歩いていた場合、瞬く間に術師会にこちらの動きを知られていたことだろう。


 この術で彼らが何を知りたかったのかは大体予想がつく。

 その程度の小細工に千景が気づかない筈もなく、当然術を解くことも簡単ではあったがそうしてしまっては面白味もない。

 ということで、とりあえず霊符の方は術を解かずにそのまま清水寺で会った少年に渡しておいた。

 未所属術師の所在を知ることができたとほくそ笑んでいるであろう術師会連中の顔が落胆の色に染まる場面を直接見れないことだけは非常に残念に感じたが。


『ま、オマエが楽しく過ごせてんなら俺は何も言わねえよ。困ってることはねえな?』


「ん。いつもありがと」


『そう思ってんなら今度は俺がいる時に顔見せに来いや』


「はーい」


『夜遅くに悪かった。じゃあな』


「うん。またね、紫門しもんさん」


 短く言葉を残して、あっけなく通話は切れた。

 千景はそのまましばらく携帯を握りしめる。


 切る直前に千景の名を呼んだ当主の声は酷く優しい響きを帯びていた。

 耳に残るその声で、相手がどれほど千景に愛情を持っているかがよくわかった。


 彼と会うたび、会話をするたび、じんわりと心が弛緩していくのを自覚する千景もまた、彼に対して大きな愛情を抱いていた。

 とはいえ愛情は愛情でも、この二人の場合は恋人に抱くような甘いものではなく、ひと回りもふた回りも歳の離れた肉親に抱く愛情と同義だが。




《───……我は、奴が嫌いだ》



 耳元で、忌々しげに朱殷は吐き捨てた。

 そのまま千景の右手に絡みつき、手の中に収まる携帯をするりと抜き取っていった。

 

「知ってるよ。てかお前は大抵の術師が嫌いだろ」


《さあな》


 不機嫌を滲ませる朱殷を首元に移動さ、通話中にもうつらうつらと膝の上で船を漕いでいた銀を抱き上げ、今度こそ寝室へ向かう。


(あれ、そう言えば八ツ橋に関するコメントなかったけど…まあいっか)


 いつの間にか空は明るんでいた。

 まもなく遠くの地平線から顔を出す太陽が朝の訪れを告げるのだろう──。

 

 

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