アメリカ独立戦争(西部戦線)-1
1775年にアメリカ独立戦争が始まった時、アメリカ植民地とオハイオの北米インディアン領の境界は、暗黙的にオハイオ川となっていた。この境界線の根拠は、1763年宣言であり、イギリスの植民者がアパラチア山脈の西に移住することを禁じたものだ。
イギリス政府は、フレンチ・インディアン戦争(七年戦争)の後に、フランスから新たに獲得した広大な領地で、インディアンと開拓者の間に紛争が起こらないように宣言を発行している。しかし、アメリカの開拓者やイギリスの土地投機家達がこの制限に異議を唱えた。
そのため、イギリス政府は北米インディアンと2つの条約んでいる。1768年、スタンウィックス砦条約とハードレイバー条約を結んだことで、オハイオ川の南に開拓者が入ることを認めた。こうして、イギリス政府と開拓者の間の西部の土地政策に関する緊張関係は弱まっていく。
オハイオ渓谷で実際に生活し、狩猟を行っていたのはインディアンの大部分は、ショーニー族、ミンゴ族、デラウェア族、ワイアンドット族たちであった。しかし、1768年の条約に、彼らは何の相談も受けていなかったのである。
ショーニー族は、イロコイ族がイギリスに自分たちの土地を売ったことに憤激した。そのため、ショーニー族は西部インディアンの同盟を結成し、彼らの土地を失うことを防止する活動を始める。しかし、イギリスとイロコイ族の役人は、ショーニー族を外交的に他のインディアン部族から孤立化する様々なに働きかけた。
1774年に起こったダンモアの戦争の時、ショーニー族は同盟部族が少ないまま、ヴァージニア植民地の民兵と敵対することになる。この戦いではヴァージニア側が勝ち、ショーニー族はオハイオ川を境界と認めざるを得なくなった。
しかし、ショーニー族とミンゴ族の酋長たちは、この条件を不服としていたのである、そのため、1775年のアメリカ独立戦争の開始から間もなく、彼らは新たな戦いを始めることとなった。
アメリカ独立戦争の開戦当初、イギリスも13植民地の大陸会議も西部の北米インディアンを戦争の局外に置こうとしていた。
1775年10月、ピット砦でアメリカ植民地とインディアンの指導者たちが会合をしている。その前年のダンモアの戦争で作られた境界線を確認し合ったのだ。
しかし、ショーニー族のチーフ・ブラックフィッシュやミンゴ族のプラッギーといった酋長たちが、イギリスの支援が無いままに、ケンタッキーに侵攻し、入植者達を追い払おうとする。
ヴァージニア植民地の知事パトリック・ヘンリーは、オハイオのプラッギーの集落を攻撃することで報復措置を取ろうとした。だが、ヴァージニアの民兵が中立のインディアンと敵対的なインディアンの見分けが付かないために、中立であるデラウェア族やショーニー族を敵に回してしまう事態を恐れ、遠征は思い止められた。
しかしながら、デラウェア族やショーニー族は戦いに参加するかしないかのどちらかに別れていく。デラウェア族のホワイトアイやショーニー族のコーンズトークは中立を守ることを決める。デラウェア族のバッコンガヘラズやショーニー族のブルージャケットはアメリカ植民地に敵対することを選んだのであった。
ケンタッキーでは、孤立した開拓者や猟師がしばしば攻撃の目標にされる。そのため、開拓者の多くは東部に戻らざるを得なくなっていく。
しかし、1776年の春には、200名足らずの植民地人がケンタッキーに残っていた。彼らは、要塞化された開拓地であるブーンズボロ、ハロズバーグ、ローガンに入っていた。
1776年12月、プラッギーがマクレランズ・ステーション、現在のジョージタウンへの攻撃で戦死した。
1777年、イギリス軍はカナダを発してサラトガ方面作戦を開始する。北東部の作戦において戦略的陽動行動をとるため、デトロイトにいた役人がインディアンたちを徴兵した。そして、インディアンたちに武器を与え、アメリカ開拓者を襲わせ始めたのである。こうして、ケンタッキー、ウエストバージニア、ペンシルベニアで数知れないアメリカ開拓者が襲われ、殺されることとなった。
1777年11月、中立の主唱者だったショーニー族のコーンズトークが、憤激したアメリカ民兵に殺される。そのため、インディアンとアメリカ植民地側の緊張関係が大きく脹れ上がった。
しかし、アメリカ植民地側から暴力が行使されているにも拘わらず、多くのオハイオ・インディアンはまだアメリカ独立戦争とは別の世界にあろうとする。残念なことに、インディアンたちが、デトロイトのイギリス軍とオハイオ川沿いのアメリカ植民地との間に住んでいる限り、それは難しい問題であった。
アメリカ独立戦争の初期、ヴァージニア植民地は西側境界をオハイオ川沿いにあるピット砦、ヘンリー砦、ランドルフ砦の3つの砦
に守備隊を置いて守ろうと考えていた。しかし、防衛線が長く実効が上がらない。北米インディアンたちが襲って来るときは、砦の間を抜けて来るのだ。
1778年、アメリカ人は西側境界を確保するために攻撃的作戦が必要であると決断したのであった。
オハイオに対するアメリカ植民地軍の最初の遠征は大失敗に終わることとなる。
1778年2月、エドワード・ハンド将軍が冬季にも拘わらず、ペンシルベニア民兵500名を引き連れ、クヤホガ川沿いのミンゴ族集落を急襲した。ミンゴ族集落では、イギリス軍が軍需物資を保管し、インディアン襲撃隊に配給していたのである。
しかし、この遠征は悪天候に阻まれたため、目的地まで達しなかった。この遠征の帰路において、ハンドの部隊の者数人が、平和的インディアンであるデラウェア族の集落を襲う。そして、男性1人と数人の婦女子を殺害している。殺されたインディアンたちの中には、デラウェア族の酋長キャプテンパイプの縁戚が含まれていた。
インディアンの非戦闘員のみが殺されたため、この遠征隊は軽蔑的に「女々しい攻撃隊」と言われることとなる。
無法な民兵の行動に加え、ピッツバーグ近辺の王党派市民がハンド問題の輪を大きくした。
1778年3月、イギリス軍との結びつきが強かった3人の男と北米インディアンたちがピッツバーグを離れて、イギリス軍と同盟インディアンの側に寝返ったのだ。3人とは「女々しい攻撃隊」を誘導した通訳サイモン・ガーティ、その地域の貿易商人マシュー・エリオット、イギリス・インディアン部局のアレクサンダー・マッキーである。3人とも、アメリカ独立戦争の期間中は、イギリス軍の価値ある工作員となった。
このことから、ハンドは多くの批判を浴び、また寝返りを許したことを大陸会議に調査問責され、1778年5月に辞任する。
1777年、戦火の拡大に続いて、西部辺境のアメリカ植民地人は大陸会議に保護を願い出た。そのため、大陸会議の委員会は調査を実施する。
こうして、1778年初め、大陸軍の2個連隊を西部に駐屯させることを決めた。また、アメリカ開拓地に、インディアンが侵略してくることに対して、砦の防御線が効果を発揮していないため、委員会はオハイオ川のインディアン居留地側に砦を築くように要求する。
最初の砦建設は、大陸軍がデトロイトに対して遠征を行うことが可能にになることも期待されていた。
オハイオ地方に砦を築くため、アメリカ植民地人はデラウェア族インディアンの承認を求めている。1778年9月、アメリカ植民地人はデラウェア族と交渉しピット砦の協定を結んだ。これで、タスカラワス川沿いにローレンス砦を築くことが可能になったのである。
しかし、この計画は不首尾に終わることとなった。協定の交渉相手であったデラウェア族の酋長ホワイトアイズが、1778年にアメリカの民兵に殺害されたのだ。
そして、ホワイトアイズのライバルであったキャプテンパイプが、アメリカ植民地人との同盟を捨て、西のサンダスキー川に移動した。そこで、デトロイトのイギリス軍からの支援を受け始めたのである。
この時点で、アメリカ独立戦争は東のペンシルベニアやニューヨーク植民地北部での戦闘が過熱していた。そのため、大陸会議はデトロイトに対する作戦に人を割けなくなっている。こうして、1779年にローレンス砦は放棄された。
1778年遅く、若きヴァージニア民兵士官ジョージ・ロジャース・クラークが、イギリス軍の防御が手薄なイリノイ地方を攻略する作戦を開始する。1778年7月4日、志願兵の1個中隊を指揮したクラークは、イリノイ地方の主要駐屯地カスカスキアを占拠した。
更にビンセンズを降伏させる。しかし、ビンセンズはデトロイトのイギリス軍指揮官ヘンリー・ハミルトン将軍によって取り返された。
1779年2月、クラークは冬季にも拘わらず再びビンセンズを急襲する。そして、ハミルトンを捕虜にすることに成功した。
アメリカの辺境に住む人たちには、ハミルトンは「髪買い将軍」として知られている。 それは、ハミルトンがインディアンたちに、アメリカの植民地人を殺して頭皮を剥ぐ様に指示していると信じられていたからであった。
そのため、トーマス・ジェファーソン知事はヴァージニアのウィリアムズバーグにハミルトンを連行し、戦争犯罪人として裁判に掛けている。しかし、イギリス軍がアメリカ人捕虜に報復措置を取ると脅かしたため、1781年にジェファーソンが折れて、ハミルトンと捕虜の交換に応じたのであった。
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