アメリカ独立戦争勃発
1775年になると、アメリカ独立戦争が勃発する。
アメリカ独立戦争のきっかけは、イギリス本国による課税の強化にあった。しかし、それはフレンチ・インディアン戦争(1754 - 1763)による財政危機の解消を目的としたものである。
フレンチ・インディアン戦争は、大伯父のフリードリヒ大王がヨーロッパで引き起こした七年戦争の裏で、イギリスがアメリカ大陸の植民地を拡大せんと起こした戦争であった。
フレンチ・インディアン戦争によって、イギリスはケベックなどのカナダの植民地とアメリカ大陸にミシシッピ川以東のルイジアナを獲得している。しかし、この戦争によって、イギリスの国庫は財政危機に陥っていたのだ。
イギリス政府は、かねてから「羊毛品法」や「鉄法」によって植民地での工業発展を妨げ、英国以外との独自貿易を禁じてきた。ここでさらに重商主義政策を敷くことでさらに植民地を圧迫する。また、フランスとの長い戦争中で必要となった自国軍の駐屯費や戦費を拠出するため、アメリカ植民地住民に対して重税を課すことを決めたのであった。
1764年に「砂糖法」、1765年には「印紙法」を成立させ、貿易独占を企てるとともに、アメリカ植民地からの税収増を図る。しかし、アメリカ植民地の住民たちの反発は激しく、特に「印紙法」はアメリカ植民地での広範な反対運動を呼び起こし、結局は撤廃することとなった。
1767年、イギリス本国議会がタウンゼンド諸法を制定し、植民地へ新たに税を課そうと試みる。すると、またも反対運動が起こり、1770年にはタウンゼンド関税も撤廃させられることとなった。しかし、この撤廃の際には、茶に対する課税は廃止されなかったのだ。そのため、イギリス本国の茶はアメリカ植民地の不満の象徴となる。
1773年、「茶法」によって、茶の貿易独占を企てた。そのため、東インド会社の茶が安く植民地に流入することになる。すると、アメリカ植民地商人たちの怒りは頂点に達した。1773年12月、ボストン港停泊中のイギリス東インド会社の船に暴徒が乱入し、積載されていた茶を海に投棄する事件が起こる。後にボストン茶会事件と呼ばれる事件だ。ボストン茶会事件に衝撃を受けたイギリス本国は、ボストン港を閉鎖、住民に対して強硬な姿勢を示した。
そうした中、1774年にイギリス議会はアメリカ植民地に対して、次々と懲罰的な立法措置を行う。こうした危機に、チャタム伯ウィリアム・ピット(大ピット)は滞英中のベンジャミン・フランクリンと協力して議会にアメリカ植民地と和解するよう働きかける。
しかし、首相フレデリック・ノースは、イギリス国王ジョージ3世の強い意志を背景に、植民地に強い態度で臨む決意だったため、この働きかけは徒労に終わることとなった。
これらの一連のイギリス側の政策に対し、アメリカ大陸13植民地の住民代表者は、フィラデルフィアで史上初めての大陸会議を開く。
彼らは、イギリス本国との和解の道を探ったが、打開できないままであった。
大陸会議は、植民地の自治権を求めて英国に対して反抗、1775年4月、英国の駐屯兵と住民有志による民兵が衝突する(レキシントン・コンコードの戦い)。これに対して、アメリカ13植民地の住民代表者たちは、第2次大陸会議を開催した。そして、ジョージ・ワシントンを戦争の総司令官に任命して大陸軍を結成する。1776年7月4日の大陸会議において、トーマス・ジェファーソンが起草し、プロテスタント的思想を体現して近代民主主義の原点となった「アメリカ独立宣言」を発表することとなったのであった。
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