第16話 ハティの事情
ハティは罠を思い出して恐ろしくなったようだ。
「罠?」
「うむ。お礼としてジュースを振る舞ってもらったのじゃが……それを飲んだら頭がクラクラして、ぼーっとしてしまったのじゃ」
「それはジュースじゃなくてお酒じゃないか?」
「……お、さけ? とはなんじゃ?」
竜には酒を飲む習慣はないのだろうか。
いや、ハティが幼竜だから知らないだけかもしれない。
「人族の飲み物には、そういうものがあるんだよ。飲んだらクラクラしたり眠ってしまったりする」
「毒というやつじゃな。ハティも聞いたことがあるのじゃ。おそろしいものじゃ」
毒ではないのだが、似たようなものかもしれない。
「酒を飲まされたあと、ハティはどうなったんだ?」
「うむ。頭に何かを嵌められたのじゃ」
「俺が壊した魔導具だな」
「そうなのじゃ。あれを付けられた直後から、体が自由に動かなくなったのじゃ」
「幼竜とはいえ古竜を操るとは、尋常ではない魔導具だな」
「まったくもって恐ろしいのじゃ。人族は恐ろしいのじゃ」
本当に怖いようで、ハティはずっと尻尾を小刻みに揺らし続けていた。
「それで魔導具を付けた奴に、ロッテを狙えと言われたのか?」
「その辺りが判然としないのじゃ。体の自由が利かなくなって、それからはぼーっと、そう夢の中にいるような感じだったのじゃ」
「ふむ?」
酒で酔わせたとしても、そして幼竜だとしても、古竜を操るなどものすごく高度な技術だ。
野盗の類いでは絶対ない。
もしかしたら、俺の師匠ケイ先生がらみだろうか。
ここにケイ先生の拠点があると知れば、襲う者はいるかも知れない。
「もしかして、ハティはロッテではなく、俺を狙ってこっちに来たのか?」
「……わからぬのじゃ。ただただひたすらに人を殺せと言う声が頭の中で響いていて、目の前の人間を自分が食らおうとするのじゃ。必死に抵抗しようとしても、体が言うことを効かぬのじゃ」
「そういえば、ロッテを襲っているハティの動きは遅かったな」
強力な竜ならば、ロッテぐらいの動きの少女を食らうのは難しくない。
それこそ、一瞬で食らうだろう。
だが、ハティはまるで嬲るかのように、ゆっくりと動いていた。
あれは嬲っていたのではなく、殺したくなくて必死に抵抗していた結果なのかもしれない。
「ハティが抵抗してなかったら、俺も間に合わなかっただろう」
「本当に助かったのじゃ。主さまがいなければ、ハティはあの人間を食らってしまっていたのじゃ」
そのとき単純に疑問に思った。
「人を食らう竜もいるだろう? ハティはどうして、人を食らいたくないんだ?」
竜にも味の好みはあるだろう。
だが、ハティは人を食べたらこの世の終わりといった表情だ。
人の味が嫌いだったとしても、そこまでなのは少しおかしい。
「……人は嫌いではないのじゃ」
「そうなのか。なぜ?」
「人は可愛いのじゃ。猫ぐらい可愛いのじゃ」
「ふーむ? 猫は可愛いが……」
「であろ? 人も猫ぐらい可愛いのじゃ」
竜の価値観はよくわからない。
だが、猫を自分の牙と爪で切裂いて生きたまま食べるように操られたら、俺も必死に抵抗すると思う。
「もちろん酒とか毒とか魔導具とか、恐ろしい物を使う人もいるのじゃが……人は可愛いのじゃ」
「猫のほうが可愛いだろ。猫と同じくらい可愛いのは犬だな」
「確かに犬も可愛いのじゃが……、人も同じくらい可愛いのじゃ」
「ふむ。よくわからないが」
「わからないのは主さまが人だからなのじゃ!」
そう言われて冷静に考えると、そんな気がしてきた。
犬も猫も、年老いておっさんになっても可愛い。
だが、人間のおっさんはあまり可愛くない。
そう感じるのも、自分が人間だからかも知れない。
「俺には竜と猫が同じくらい可愛いと思うから、それと同じようなものか」
「え! 主さまは竜が好きなのかや?」
「大きいと恐いと思わなくもないが、それは猫も同じだからな」
猫は可愛いが獅子や虎は恐い。
正確に言うと、獅子も虎も見た目は可愛いのだが、強すぎて恐いのだ。
それが普通だ。
「なるほど、わかったのじゃ! 主さまは小さい竜が好きなのじゃな」
ハティは機嫌良くうんうんと頷いていた。
少し話が脱線してしまった。
「で、話を戻すが、ハティはその魔導具を壊した俺にお礼を言いにわざわざ来てくれたのか?」
「そうなのじゃ! あれが付いたままだと、ハティはきっと人を殺しまくって、そのうち討伐されていたのじゃ」
「それはそうかもしれないが……」
討伐される前に都市がいくつか消えていただろう。
「それに、体の自由を奪われるなど、古竜としての尊厳の危機なのじゃ。つまり主さまはハティの命の恩人、尊厳の恩人じゃ」
「大げさな」
俺がそういうと、ハティは大げさにぶんぶんと首を振った。
首を振るのに連動して尻尾もぶんぶんと揺れる。
「大げさではないのじゃ! 古竜の誇りにかけて、
「そこまでしてくれなくていいよ」
「いや! 絶対仕えさせて欲しいのじゃ!」
「いや、ほんとに。そんな悪いし」
「悪くないのじゃ! それに少しでもハティを哀れと思うならば、ハティを仕えさせて欲しいのじゃ」
ハティは結構真剣な表情だった。
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