続・東方見聞録

土屋和成

第1話 プロローグ

 『百万の書』あるいは『東方見聞録』は、13世紀末に、モンゴル帝国の皇帝クビライ(セチェン=カアン)に仕えた、ヴェネツィア人マルコ=ポーロが語った内容を、有名小説家ルスティケロ=ダ=ピサがまとめた書物だとされている。

 ヴェネツィアに帰国したマルコは、1296年のクルツォラの海戦でジェノヴァの捕虜となり、虜囚中、ルスティケロに驚くべき話をした。それゆえ、『百万の書』で描かれた内容は1296年以前のものということになる。

 ところが、『百万の書』には、1299年におこなわれた、モンゴル帝国の内戦に関する記述がある。キプチャク=ハン国というモンゴル帝国の構成国の一つで、当主トクトと諸王ノガイが戦ったことは、他の同時代史料にも記述があり真実である。

 内戦は空想の産物ではない。『百万の書』に内戦の記述があるのは、後に付け加えられたか、あるいは、マルコ=ポーロという人物がすべての話を語ったのは嘘だということになる。

 『百万の書』を書く上で参考とされた資料は、ペルシャ語文献だと考えられる。ヴェネツィアは、モンゴル帝国各地の情報を、情報提供者を通じてペルシャ語の書簡のかたちで手に入れていた。ヴェネツィアの間諜が帝国をめぐっていたのだろう。マルコ=ポーロは、そうした間諜の一人あるいは複数の人が仮託された架空の人物で、クビライに仕えていたというのは、話を面白くするためのルスティケロによる脚色である。

 ヴェネツィアにとって、モンゴル帝国との交易は、文字通り死命を制するものであり、それはジェノヴァにとっても同じであった。

 13世紀末、ジェノヴァはモンゴル帝国に関する膨大な情報をヴェネツィア人捕虜から手に入れたが、独自で情報収集をおこなう必要性に迫られていた。

 ジェノヴァの有力者ベネデット=ザッカリーアは、東ローマ皇帝ミカエル8世パレオロゴスと友人であり、かつキプチャク=ハン国のキング・メーカー諸王ノガイはミカエル8世の娘婿だった。これにエジプト・マムルーク朝のスルタンを加えた、東地中海の3強はすべてジェノヴァと友好関係にあったことから、東地中海は事実上、ジェノヴァの海だった。

 ところが、皇帝ミカエル8世が亡くなると、政治的・軍事的安定は徐々に崩れていった。東方は群雄割拠の状態になりつつあった。商業的成功と取引相手との友好関係は不可分である。ジェノヴァは、どの君主や有力者と組めばいいか、難しい舵取りが求められる時代を迎えたのである。

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