1 炎天下

 大量に渡された団扇の山を見て、なるは重い息を吐き出した。ひとつを手に取れば、そこに描かれているのは自分の顔で、思わず顔が引きつっていく。

「こ、これを…… 配るの……?」

 冷や汗を団扇で払いながら、事の発端である二人組に目をやった。

「そ。本当だったら販売にしたいんだけどね、ボクたちはまだ《ハヤラス》としては知名度も低いし」

「実際に自分たちの手で配れば、顔と名前を同時に覚えてもらえる。ファンの顔も間近で見られるからね、一石二鳥だよ」

 陽向ひなたみくり。彼らは鳴よりもアイドルとしての知識を弁えている。実力に見合ったもの、宣伝効果のあるもの、それらを率先して持ち込むのはいつだってこの二人だ。

「わー! クラのかお、こんなんなんだ! おもしろーい!」

 クラウスは団扇を二枚取り出して両手に構え、遊び始めている。

「遊んでないで、ちゃっちゃと準備する! ほら、鳴ちゃんも! 自分のはちゃんと紙袋にまとめて! 一時間後に自然公園広場抑えてるから!」

「ちゃんと飲み物も持ってね。熱中症になったら、ねっちゅうしよーって言うよ」

「え、みーくんに言われたい」

「言うだけでしないところが良心的」

 などと二人に合いの手を入れてから、鳴は周りを見習って紙袋を手に取った。こんなにあっても捌ききれるのだろうか。一抹の不安と、後ろめたさを抱きながら。




「わあー! ひろーい!」

 Bstrange pro.ビーストレンジプロの事務所ビルから20分ほど歩いた場所。自然公園広場はその名の通りたくさんの木々に囲まれ、たまに点在するベンチが僅かに目を引く。

 その一角、木々が開けた広場には噴水が設置されていた。暑い、と零しながらも陽向は我先にと噴水の縁に腰を掛ける。

「許可貰ってんのはこの辺ね。炎天下で時間もそんなに掛けたくないけど、配分はリーダーに任せるよお」

「えっ、急……! う、うん、でもわかった。告知ももうしてるし、見てくれた人は時間になったら来るだろうし…… 状況次第でふたりずつ抜けたり、とかでいいかな」

「こう暑いからね、予想よりは減ると思うけど、気を抜かないようにしないとね」

「ふんすい! あそびたい!」

「クラ! めっ!」

 いつも通りに自由に駆け回るクラウスをたしなめながら、鳴は時計を確認した。昨日SNSで告知した時間まであと30分。公園内は親子連れはちらほらと臨めるものの、ファンらしき層は見当たらない。それに少しだけ焦燥感が募る。リーダーの自分ではなく、元から人気のあった二人が呼び掛けていれば、今頃既に多くのファンが詰め寄せていたのではないだろうか。

「なーちゃん、あつい?」

「えっ、う、うん、暑いけど」

「ひーちゃんのとなり、すずしそう!」

 クラウスに釣られるようにして、視線が噴水へと動く。こんな暑さの中でも陽向は長袖だ。しかも黒。プロ意識美意識共に高々な彼にとって、日差しは大敵なのだ。それでも、暑い暑いと文句を放ちながらも、炎天下に躍り出ている。

「ナル、見て見てBsプロ水だって。パッケージがそれなだけで、少しプレミアがつくよね」

 対して芧は涼しげだ。暑さをものともしていないのか、いや、うっすら汗は滲んでいるが、それでも今日持ち出した小道具や備品を見て楽しんでいる。芧を見ていれば、暑さなんて感じないかもしれない。

「なーちゃん! やっぱりここすずしいよ! なーちゃんもおみず、あびよ!」

 クラウスはどこでも元気いっぱいだ。いつのまに靴を脱いだのか、噴水に足を差し入れてバシャバシャと水を掻き回している。水滴を受けて陽向が怒る。それを見て芧が笑う。クラウスは気にせずバタ足を続ける。彼らはいつも通りだ、と拳を握った。

「あっ、鳴ちゃんまた前髪落ちてきてる」

「うわ…… 汗で取れちゃったのかな」

「ほらもう、こっち来て」

 水滴が舞う噴水のヘリへ。顔に霧が掛かった。

「たしかに、涼しいかも」

 パチッ、頭の上で何かが弾けた。陽向に顔を向ければ、イタズラめいた笑み。

「試作のヘアピンだって。うちのロゴが入ってんの」

「え、ちょ、女子向けじゃん!」

「しっかり宣伝してね、ナルコちゃん」

「やめえ!」

 外そうとすれば、芧にそれを阻まれる。腕が掴まれた、顔が近い。

「ナル」

「な、なに」

「ねっちゅうしよ?」

「しねーよ! ……ん? あ、熱中症? なってないから!」

 必死に訴えれば、芧は笑って眉毛を下げた。

「残念」

「いつからお前はキス魔になったんだ」

「そんなみーくんもカッコイイ」

「陽向くんややこしくなるから黙って」

「なんだと鳴ちゃんコノヤロウ」

 いつの間にか四人で噴水の縁にこべりついていた。

「ねえ、ナル」

「なに? ちゅうはしねーからな」

「ふふ。そんな感じで、ナルもいつも通りでいればいいんだよ」

「……なんだよ」

 密集しているのに、暑くない。クラウスが弾く水のおかげかな、などと思いながら、鳴はBsプロ水に手を伸ばした。

 ファンミーティングまで、あと10分。

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