掌編小説・『いちご』

夢美瑠瑠

掌編小説・『いちご』



掌編小説・『いちご』


 ぼくは中学生で、もうすぐテストなので英語の勉強をしているのですが、日本語だと簡単な言葉なのに、英語だとずいぶん長くて難しいつづりになる名詞とかがあるのに気が付いた。例えば「いちご」はStrawberryで、12字になる。12の階乗、となるとこれは数学だが、ずいぶん大きい数字で、12字の単語という範疇だとそれだけの数が存在しうる。「菊」は日本語では二字だが、英語だとChrysanthemumになって、13字になる。発音も難しい。「Mississippi」とか、「Mediterranean Sea」などという単語も覚えようとするとずいぶん難しい。一番長い英単語で、僕が知っているのはPneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosisという綴りで、ざっと45字だが、日本語にすると「肺塵症」という病名で7字にしかならない。これは要するに英語は26文字しかなくて、言葉が短いとバリエーションが少なくなる。日本語には漢字というものがあるので短くてもほぼ無数に近いバリエーションがありうるし、シノニムが多くなっても文脈や筆談で通じ合える。どちらにも一長一短あるかもだが、言葉が複雑で難しくなるほどに文学的になる感じはある。端的に言うとギャグっぽくなる。長い単語や難しい感じ漢字というのはそれだけで一種のギャグでもあって、おかしみがあって、文「学」が生じうる余地ができる。文「ギャグ」にもなるのだ。1月15日が「イチゴの日」だったり、11月11日がポッキーの日だったりするのも言葉遊びである。1月11日は犬の日で、2月22日が猫の日だったりするのも同様。俳句やら短歌にも言葉遊びは多いと思う。和歌などにも洒落は多い。「からころもきつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもう」という業平の和歌は「杜若」という言葉を使った「折句」というものらしい。自由で平和になって、人心に余裕が増えるにつれて遊び心が活躍できるようになり、「文学」も盛んになるのかと思う。「文芸復興」というのは伊達ではないのだ。

 ヘンリージェイムズというイギリスの作家がいて、文章が晦渋で難解なことで有名らしくて、「彼女、ヘンリージェイムズを原書で読むらしいよ」とか、文学趣味をからかって?言ったりするそうですが、ぼくも勉強して英語が読めるようになったら是非その「ヘンリー先生」の謦咳に接したいと思う…

 「あ、この場合この『謦咳を接する』って表現って正しいのかな?」僕はすぐさま辞書を引き出した。おじいちゃんから借りた「大辞林」である…


(この子がのちの文豪の夢美璃璃氏である…)


(了)

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