アザミの里帰り

斜偲泳(ななしの えい)

第1話チチキトク

 ある日の事。

 ユニガンに宿を取っていたアルドは、身支度を終えると、一階へと降りて行った。

「ふぁあ……よく寝たなぁ」

 心地よい睡眠の余韻を味わいながら、大きく伸びをする。

「よく寝たなぁ、ではござらん! もうすぐお昼ではござらんか! まったく、アルド殿のお寝坊さんには困ったものでござるよ!」

 旅の仲間である東方の女侍アザミが口を尖らせる。

「そんなに言うなら、起こしてくれればよかったのに」

「起こしたのでござるよ! 何度も、何度も! 扉を叩いて! でも、アルド殿は全っ然、起きなかったのでござる!」

 アザミの頬がぷっくりと膨れる。

「そうなのか? ごめん、全然気づかなかったよ。フィーネにも、いつも怒られてるんだけど。こればっかりは中々直らないんだよな」

 気恥ずかしさで、アルドは頭を掻いた。

「……ふぃーね? それは、おなごの名でござるか?」

「そうだけど」

「そ、そのおなごは、いつもアルド殿の事を起こしているのでござるか?」

「一緒の時は、大体そうかな」

「な、な、な!?」

 わなわなと震えると、アザミは勢いよく愛刀の飛雄國綱を抜いた。

「この、浮気者がぁ!?」

「うわ、どうしたんだよ急に!?」

「どうしたもこうしたもござらん! 拙者というものがありながら、酷いでござるよ!」

 くりくりとした目に涙を浮かべながら、アザミは怒り心頭といった様子で虚空を斬る。

「拙者というものがありながらって……俺とアザミは、別にそういう関係じゃないだろ!?」

「うっ……そうでござるが……で、でも、拙者の気持ちを知っておきながら、他のおなごといちゃいちゃするなんて、酷いではござらんか!」

「俺はいつだって、アザミの想いに答える準備は出来てるんだ。途中で逃げちゃうのは、アザミの方だろ?」

「だ、だって……それは、その……うぅぅ、うわああああ!」

 ビュンビュンと、疾風を纏う剣が目にも止まらぬ速さで虚空を斬り、つむじ風を生む

「よ、止せよアザミ!? 流石にそれは宿の人に迷惑だぞ!?」

「うるさいうるさいうるさいでござる! 拙者だって、叶う事ならこの想い、伝えたいのでござる! でも、いざ答えを聞こうとすると、胸が苦しくなって、無理なのでござるよ!」

 喚きながら、アザミはさらに剣速を上げる。ここまで来ると、もはや剣風の竜巻だ。

「わかった! わかったから! アザミの心の準備が出来るまで、俺は幾らでも待つから! それに、フィーネの事をだって誤解だよ! フィーネは俺の妹なんだ!」

「うわあああああん…………へ?」

 中途半端な格好で、アザミが固まる。

「そ、それは、本当でござるか?」

「本当だよ。俺がアザミに、そんな嘘つくわけないだろ?」

 心外だと言う風にアルドが答える。

「な、なんだ。拙者とした事が、とんだ勘違いを。アルド殿がそんな男ではない事は分かっていたのに。このアザミ、一生の不覚でござる! この通り、許してほしいでござる」

 耳まで真っ赤にすると、アザミは今にも地面に這いつくばりそうな勢いで謝りだした。

「まったく、アザミの思い込みの激しさには困ったもんだな」

 腕を組んで、アルドは眉を寄せた。

「うぅ、面目次第もござらん……」

 しょんぼりするアザミに、アルドはにっこりと笑いかけた。

「はは。冗談だよ。さっきの仕返しだ。今更、そのくらいの事で怒ったりしないって」

「悪い冗談でござるよ、アルド殿!」

 嬉しさ半分、いじけ半分でアザミが叫んだ。

「ははははは」

 アルドが笑っていると、受付に立つ宿屋の娘が恐る恐る声をかけた。

「あの……」

「あ、ごめん。煩かったよな」

「いえ、それは大丈夫ですけど。そちらのお客様に、お手紙を預かっておりまして」

「アザミに?」

「あぁ、それならば、拙者の父上でござろう」

「父上って、アザミのお父さんか?」

「うむ。飛燕天昇流の繁栄の為、一人異国で武者修行に励む拙者の身を案じ、よく手紙を送ってくるのでござる」

「そうか。いいお父さんなんだな」

「うむ! 拙者の自慢の父上でござるよ!」

 嬉しそうに言うと、アザミは受付の娘から手紙を受け取った。

「さてさて。どういった内容か……そ、そんなぁ!?」

 先ほどまでの元気はどこへやら。愕然として、アザミが叫ぶ。

「ど、どうしたんだ、急に叫んだりして」

「そ、それが、アルド殿……大変なのでござる!」

 アザミは、今にも泣きだしそうな様子だ。

「大変て、手紙になんて書いてあったんだ?」

「うぅ、ショックで、もう一度読むのは無理でござるよ」

 そういうと、アザミは震える手で、手紙をアルドに渡した。

「どれどれ。チチキ、トクスグカ、エレ……?」

 意味不明な文面を、何度も反芻する。

「父危篤、すぐ帰れ!?」

 言葉の意味が分かると、アルドも驚いて叫んだ。

「うわぁああああん! 父上~!」

 アルドの言葉に、アザミが泣き出す。

「落ち着くんだアザミ! 泣いてる場合じゃないだろ! すぐに故郷に帰ってあげないと!」

「そ、そうでござった……は、早くリンデに向かわねば!」

「いや、それじゃ時間がかかり過ぎる! 合成鬼竜を呼ぶから! 家まで送っていくよ!」

「アルド殿……なんと優しい言葉……やはりお主は、拙者が見込んだ男でござるよ!」

「なに水臭い事言ってるんだ。俺達は仲間だろ! 困っている時に助けるなんて、当たり前だ!」

「な、仲間でござるか。微妙に引っかかるが、今は置いておくでござる」

 ぶつぶつと呟くと、アザミは言った。

「拙者の故郷は、東方はガルレア大陸にある巳の国イザナなのでござるが……」

「ん、どうしたんだ?」

 急に歯切れの悪くなったアザミに尋ねる。

「その、親切ついでで申し訳ないのでござるが、アルド殿に一つ、どうしてもお願いしたい事があるのでござるよ……」

「大事なお父さんの一大事だ! なんだって言ってくれ!」

「う、うむ。しからば……あ、あ、あ……」

「どうしたんだ、時間がないんだろ? 早く言ってくれ」

「あぅ。う、うむ! アルド殿! 拙者の婿になって下され!」

「任せろ! って、えぇ!? このタイミングで言う事じゃないだろ!?」

 仰天するアルド以上に、アザミは取り乱した。

「うわあああああああ! ち、違うでござる! 今のは、そういうアレではござらん!」

 と、再び愛刀を抜き、虚空を刻む。

「だから、危ないって! 頼むから、落ち着いてくれ!」

 アルドの懇願に、どうにかアザミは冷静さを取り戻した。

「す、すまぬでござる。その、拙者はかねてより、武者修行に加え、飛燕天昇流を共に育むに足る強い婿殿を探しており、その事は父上も承知しておった。この通り、拙者は女の身。父上としても、飛燕天昇流を託せる御仁の婿入りは楽しみだったに違いない。頻繁に届く手紙にはいつも、婿殿は見つかったかと、必ず書いてあったでござる」

 父の事を思ってか、アザミはぐすぐすと鼻を鳴らした。

「その度に拙者は、こう答えた。必ずや、父上のお眼鏡に叶う立派な武人を連れて帰ります故、楽しみに待ってて下されと! そうしてついに、拙者はアルド殿と出会ったのだが……。この通り、肝心の拙者の気持ちの整理が未だつかず……。かといって、手ぶらで帰れば、きっと父上はがっかりするでござる! そこでアルド殿! 恥を承知でお頼み申す! どうか、帰郷の間だけ、拙者の婿殿の振りをして欲しいのでござるよ!」

「そういう事ならお安い御用だ」

 あっさりと、アルドは了承する。

「うむ……そうでござろう。いくらアルド殿が底の抜けた桶の如く際限なしのお人よしとは言え、こんな都合のいい話、よいと言ってくれるはず……って、えぇ!? 良いのでござるか!?」

「あぁ。俺には両親の記憶はないけど、それでも、家族の大切さは分かるつもりだ。今は緊急事態だし、アザミのお父さんを安心させる為だって言うのなら、喜んで協力するよ」

「はぅっ!?」

 ――これだからアルド殿は! なんと素敵な御仁でござろう。不覚にも拙者、ときめいてしまったでござるよ!?

「どうしたんだアザミ。胸なんか押さえて」

「じ、持病の癪でござる。直ぐに収まるでござるから、心配ないでござる」

「そうか? なら、急いでイザナに向かおう!」

 そう言うと、アルドは一足先に駆けだした。

「うぅ、芝居とは言え、アルド殿を婿殿として父上に紹介する事になるとは! あぁ! 拙者の心の臓は、バクバクで壊れてしまいそうでござる!」

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