第7話 琴音の神業スケジュール




 わたしの新しい日々が始まった。


 二週間ほど通学していると、分刻ふんきざみのタイミングでスケジュールを立てれるようになった。


 毎朝六時に携帯けいたいの目覚ましは鳴るが、直ぐには起きれない。


 六時七分に、もう一度目覚ましが鳴るようにセットしている。


 二度目の目覚ましの後、眠い目をこすりながら、昨晩さくばん用意しておいたアウト・フィットに、三分で着替える。

 

 六時十分には、お母さんが前の晩に作ってくれた味噌汁みそしるに火を付ける。汁が熱くなるまでに、冷蔵庫から生卵なまたまご漬物つけものを取り出し、炊飯器すいはんきを開けてご飯をお茶碗ちゃわんにつぐ。


 六時十五分には、朝食の用意が全て完了して、「いただきます」と手を合わせて食べ始めると同時に、携帯で今朝の天気を確かめる。


 何故なぜなら、家から近くの駅までは自転車で通学する。


 雨の時は、レインコートと長靴ながぐつくので二分はロスする。


 天気の日のように自転車を速くげないので、そこでも三分ロスする。


 合計五分のロスは果てしなく大きい。


 雨の日は、二十分ある朝食時間を十五分に切り上げる。


「一口食べたら、最低三十回はちゃんと噛まんといけんよ。出来れば、五十回噛んだら最高やけどね」


 小さい時から、母さんにうるさく言われて育った。


 雨の日は、噛む回数を二十五回に減らす。


 食べ終わった後、歯磨はみがきに三分。


 女の子にとって一番大事な、メークに十分必要だ。


 実際、十分で完璧かんぺきなメークは不可能だが、列車の中で周り構わず、リタッチをするのが普通だ。


 JR鹿児島かごしま本線の折尾おりおから博多はかた間で、大きな鏡を見ながら、所構ところかまわずメークをやり直している、十八歳前後の女の子を見れば、多分わたしである可能性が高い。


 次に大切なトイレの時間を五分取ると、家のドアを出るのは六時五十分になる。


 朝のトイレの時間はとても大切だ。


 特に自転車をぐのに、どうしても腹に力が入ってしまう。


 駅に行く途中で、便意べんいが来て引き返せば百パーセント遅刻ちこくする。


 途中にコンビニが一つあるが、そこにはトイレがない。


 どうにか折尾おりお駅まで着けたとしても、多くの人が出勤する時間帯なので、トイレが空いている可能性は非常に低い。


 わたしはトイレに座ると、最初にトイレットペーパーのロールから、三枚切り出して四つに折る。


 なぜならば、四枚切るよりも二十五パーセントの紙を節減せつげんできるからだ。

 

 二十五パーセントの努力で、アマゾンの熱帯雨林ねったいうりん伐採ばっさい軽減けいげん出来ると、小さいころ何かの本で読んだ。


 日本のトイレットペーパーが、アマゾンで伐採ばっさいされた木で作られているのは、ほとんど不可能だと思いながらも、毎日続けている習慣しゅうかんになってしまった。


 六時五十分に家のドアを閉めて、自転車を小屋から出すのに二分。


 ペダルをぎ始めて、折尾おりお駅までは十五分かかるので、七時七分に駅前の自転車置き場に入る。


 かぎをかけるのに一分。


 北口の改札口まで急いで二分。


 三番プラットホームまで駆け上がるのに二分。


 快速荒尾あらお行きが到着する二分前に、五番車両の黄色い線の前に到着する。


 これがこの二週間で身につけた、わたしの神業かみわざスケジュールだった。


 今日も七時十四分の快速荒尾あらお行きに乗った。


 いつもよりも乗客が多く感じたのは、気の性だろうか? 


 どちらにしても、折尾おりおは北九州から乗る最後の駅なので、ほとんど博多はかた駅までの五十三分間は立ちっぱなしだ。


 いつものようにメークのリタッチを終わらせた頃、赤間あかま駅から乗客は多くなった。博多はかた駅に近くなればなるほど、乗客は増えていく一方だ。


 パミュから入学式の時に、「ヤンキーだ」と言われてからは、なるべくスエットパンツの代わりに、スカートをくように心がけている。


 普通は身なりを気にしないわたしだったが、あの言葉はかなりショックだった。


 今日は、上は赤のスカジャンだが、下は黒のスリムのペンシルスカートを履いている。


 左手で手すりを掴んで、右手で携帯のメッセージをチェックしていると、

「ジワーッ」と誰かにお尻を触られた気がした。


 今日はいつもよりも乗客が多いので、誰かのカバンが当たったのだろうと、後ろを振り向かずに携帯に目を戻した。


 忘れてしまった頃に、また誰かから

「ジワーッ」とお尻を触られた。


「あれっ」とつぶいて、後ろを見回すが、それらしき卑猥ひわいそうなおっさんは誰もいない。


「なんだったんだろう?」と思ったが、痴漢ちかんというほどではなかった。


「まあ、気の所為せいか?」と思い直して、そろそろ降りる用意を始めた。


 列車は数分後に博多はかた駅に到着した。


 ドアがまだ開かないうちから、乗客は待ちきれずに後ろから押してくる。


 ドアが開いたすぐさま、乗客は車両から出ようと急ぐ。


 わたしが一歩足をプラットホームに乗り出した時、誰かから尻を鷲掴わしづかみされた。


「キャッ!」と悲鳴をあげたが、みんなから押されて後ろを振り向く余裕もない。


 ホームの真ん中に立ち止まって、あたりを見回すが、誰が痴漢ちかんなのか解るはずもない。


 乗客たちは叫び声にも反応せずに、中央改札口の方向に雪崩ゆきなだれのように下りていった。


 痴漢にあったのは、これが生まれて初めてだった。



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