第二十五話 丈成ことお兄ちゃん視点

今日は明藍の傍についていたい。という母上の願いを父上は無理をしないことを条件に認められ、俺と父上は母上を残して部屋を出た。部屋の外には騎士を配備し、隣の部屋には母上の侍女の紅玉も控えているから心配はないが、絶対とは言い切れない。俺達は人知を超えた力を持つ存在を痛いほど理解しているから。


「父上。お疲れのところ申し訳ないのですが、お話があります。お時間をいただけますか?」


「それは私の台詞だな。長くなるだろうが、構わないか?」


「もちろんです」


踵を返した俺達が向かったのは父上の執務室。扉の鍵を開け、ドアノブを回して入室された父上の後ろに俺も続く。そして向かい合うように置かれている執務室のソファに一人ずつ、腰を下ろした。程なくしてノックの音がし、父上が入室を許可するとティーセットと軽食を乗せたワゴンを押したセバスチャンが入ってくる。


「旦那様はコーヒーにされますか?」


「ああ」


「お坊ちゃまはいかがいたしましょう?」


「ミルクティーを頼む」


「かしこまりました」


手慣れながらも美しい所作でテキパキと俺達の前にティーセットと軽食の乗った皿を準備し、セバスチャンは退室していった。彼の気配が完全に遠ざかったことを確認した父上がコーヒーを飲んでいたカップをソーサーに置き、倣うように俺もミルクティーの入ったカップをソーサーに置いた。


「話の内容は明藍が倒れた日のこと、か?」


「はい」


「確かにその話は私も聴かなければと思っていた。大まかな内容はお前が送ってくれた手紙で把握しているが、明藍のためにも詳細を把握しておきたい。頼めるか?」


「もちろんです。俺も父上の意見をお伺いしたいです」


深呼吸を一つして、父上の真剣な面持ちを真っ向から見返す。そしてあの日のことを思い出しながら、俺は口を開いた。


―――――――

あの日、明藍の特訓後は自室で家庭教師にもらった宿題をこなしていた俺は唐突に違和感を覚え、理由を探っているとその違和感が急に嫌な予感に形を変えた上に明藍と結びつくような不思議な体験をした。第六感ともいうべき勘の働きを無視できず、明藍が心配で、そして自分を安心させたくてスティーブを連れて明藍の部屋へ向かうと彼女の気配がとんでもなく揺れていることに気づき、名前を呼びながら慌てて扉を開けたら、目が合ったと思った明藍の瞳がすぐに閉じられていき、体が傾いていった。


「ゲイル!!」


目の前で倒れていく妹の姿に一瞬で全身から血の気が引き、すぐさまゲイルを呼んだ。応えるように一陣の風が俺の横を駆け抜け、床と激突しそうになった明藍を柔らかな風が受け止める。追うように駆けだしながらスティーブに視線を向けると彼はすぐに頷き、踵を返した。そして風で明藍を受け止めてくれたゲイルにお礼を言って彼女を腕の中に抱き寄せ、顔を覗き込んだ。


「明藍、しっかりしてくれ、明藍」


血の気の引いた青白い顔、苦しそうに眉を寄せながら瞳は閉じられて俺の呼びかけにも反応を示さない。辛いのは彼女なのに、苦しい思いをしたことを考えると俺の方が泣きそうになる。唇を噛みしめて感情をやり過ごし、明藍の体に異常がないかを探ろうとすると明藍の体から風の力をほとんど感じ取れない。昼間の特訓で明藍の体力は消耗していたが、精霊達と干渉し合う風の力はここまで消費していなかった。でも今の彼女からは残っていたはずの力がほとんどない。こんな短時間で力を失わせることができるのは――。

俺はいつも以上に読めない表情で佇んでいるシルフに顔を向ける。


「シルフ様。一体何があったのか、説明していただけますね」


《わあ、とっても怖い顔。僕の力に怯えていたあの頃とは大違いだね。人間の一年や二年は侮れないなぁ》


努めて冷静にと自分に言い聞かせながら、仕事で家にいらっしゃらない父上の代わりに風野家の代表として風野家の跡取りとして公的な立場だと伝えるように口調を改めて彼女と対峙する。俺の態度にシルフは一瞬口角を上げたけどすぐに戻していつもと変わらない態度で俺に話しかけてくる。


「はぐらかさないでください。私が聞きたいのは」


《わかっているよ。でも話せることはない。僕達は話をしていただけ。神子である彼女の命運を占う、大切な話を。――ごめんね、もう時間みたい。説明は今度、気が向いたらしてあげるよ》


余裕の態度を崩さないまま、シルフの周囲を風が逆巻く。そして止める間もなく、彼女はあっという間に姿を消してしまった。開きかけた口を閉じて吐き出せなかった言葉と共に残った感情に思わずうなり声を上げる。

精霊と人間。互いに干渉し合えるからこそ、奪ったり与えたりすることはできる。でもそれはそうそう起きることじゃない――むしろ、あってはいけない。基本的に精霊は俺達がどんな事情を抱えていても不可侵を貫く生き物。不干渉を貫いているはずの精霊が、俺達よりも力を秘めている神子の明藍に直接的な干渉を行い、枯渇寸前まで力を放出させた。

想定外の範疇を超えている事態が起きているせいで頭がパンクしそうだけど、そんなことを言っていられる状況じゃない。やるべきことがたくさんある。


「――その後は父上へ送った手紙に書いた通りです。ゲイルの協力を得ながら明藍に力を分け与えて力の回復を促進。お医者様の手配。父上達への連絡。以上をこなしながら父上達のお帰りをお待ちしていました」


話を終えた俺は喉の渇きを潤すようにミルクティーの入ったカップに口をつける。少し冷めてはしまったが、冷めても美味しいようにセバスチャンが調整して紅茶を作ってくれていたようで香りも味も全然損なわれておらず、ほんのりとした甘さと紅茶の香りが強張っていた体が解けていくような感覚に思わず小さく息が漏れた。

俺の話を聞いた父上は目を閉じて顎に右手を当てながら左手で右肘をポンポンと叩いていた。これは考え事をされている時の父上の癖だとわかっている俺は父上が考えをまとめ、口を開かれるのを待った。時計の針が時を刻む音だけが響く静寂の中、父上の目がゆっくりと開かれた。


「詳細はわかった。私が意見を言う前に丈成の意見が聴きたい。今回のことで思うことを聴かせてくれ」


「――明藍が倒れてから、頭が真っ白になったり血が上ったり急に冷えたりと自分の感情はとても目まぐるしく動いていました。明藍が目を覚まさないまま2日も経過したのでこのまま目が覚めなかったらどうしようと最悪の想像が過ってしまうこともあり…正直気が気でなかったです。

こんなことをして、何になる。何が目的だ。どうして明藍がこんな目に遭わなくちゃいけない。

明藍の手を握って無事を祈りながら数えきれないほどの恨み言をシルフに言っていました。明藍を傷つけた彼女を決して赦さないと何度も思いました。

ですが目を覚ました明藍と会話をして、明藍の変化に気づきました。倒れる前までになかった余裕が生まれていた。以前よりももっと自分の気持ちを懸命に伝えようとしてくれました。その切欠を与えてくれたのがシルフであるなら、彼女も明藍のそういう頑張りすぎて自分に気を配れていなかったところを案じた故の行動なら、彼女に感謝を伝えなければと今は思います。ただ、枯渇寸前まで明藍の力を引き出す方法でしか方法はなかったのかとも考えてしまうので、全面的に感謝をとは言えませんが…」


本当にこの3日間は気持ちが目まぐるしく動き、変化していった。

憎悪にも似た暗く冷たい感情と明藍を大切に想い、案じる温かい気持ちが自分の中に同時に存在しているから気持ちの振り幅が大きいせいで自分が自分ではないような感覚を何度も味わった。特に冷たい感情に気持ちが傾いている時は破壊衝動が強くなって周囲に当たりそうになって爆発前に何度か屋敷の皆には謝罪したほどだ。明藍が目を覚まし、変わった様子を目にしてから彼女の行動に理解の一端を示せるようになったものの、全部を受け入れ切れたわけじゃない。

父上に自分の気持ちを吐露しながら思い出してしまっているので今も抑え込んでいた感情が込み上げてきて胸が詰まっている感覚がして息がし辛くなっている。気持ちを吐き出し、抑え込むために顔を俯かせて小さく何回も息を吸ったり吐いたりしていた俺の視界の片隅に映る、肩に乗せられた大きな手。顔を上げると父上がとても温かで柔らかい眼差しを俺に向けてくれていた。


「よく、そこまで気持ちを落とし込めた。苦悶している明藍を傍で見ていたお前がそこまで感情を昇華させるのは決して容易ではなかったはずだ。大切な者達が苦しみ、悩んでいる様をただただ見ているだけしかできないのは本当に辛いことだからな」



「父上…」


俺には想像もできないほど重く、哀しい感情が父上の瞳の奥で揺れている。いつも明るい輝きを放っている父上の瞳が暗く翳っているのをはっきりと見てしまい、何かを言おうと口を動かしては閉じて、結局震える口からは父上と呼びかけるしかできなかった。俺があまりにも情けない顔をしていたせいか、父上はすぐに翳りを奥に押し込めていつものように穏やかな微笑を浮かべ、肩に置いている手で励ますようにポンと叩いた。


「行動原理の違いがもたらす影響は絶大だ。だから相手のすべてを受け入れ、わかろうとしろとは言わない。だが今回のようにここは許せないが、ここなら許せると見つけることで相手への理解はより深まり、見える景色が変わる。今のお前なら、この言葉の意味がわかるはずだ」


「はい!」


「強くなったな、丈成」


熱の籠った言葉に俺は大きな声で返事をし、頷いた。肩に置かれていた手が頭に移動し、頭を撫でられる。見上げると眩しいものでも見るように目を細めながら父上が微笑まれていて、その視線の温かさに気恥ずかしさとくすぐったさを覚えて思わず視線を下げると今度は両脇の下に腕が差し込まれ、そのまま持ち上げられた。


「ち、父上!俺はもう幼子ではないのですよ!?」


「はは、何を言う。私にとってはいつまで経ってもお前達は可愛い子ども達だ。年齢など関係ない」


高笑いしながら父上が左右に動き回る。先程よりも気恥ずかしさは大きくなったが、幼い頃によくしてもらった想い出がよみがえり、自然と頬が緩む。それから暫しの間、父上に抱き上げてもらって想い出に浸っていたのだった。


おまけ

すっかり遅くなってしまったな。朝は気にしないでしっかり眠るように。

ありがとうございます。あ、結局父上のご意見を聴けないままでした…。

いや、あれは建前だ。丈成の意見を聞いてみたくてああ言ったのだ。騙した形になってすまないが、おかげで貴重な意見を聴けた。成長したな、丈成。

ありがとうございます。

うむ。では、部屋に入ったらすぐに眠るように。明藍よりも御寝坊になってしまうかもしれないからな。

それは困ります。明藍に気を遣わせそうですから。今日はありがとうございました。おやすみなさい、父上。

礼を言うのは私の方だ。ありがとう、丈成。おやすみ。

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