第二十二話
「どう、し、て」
目の前の明藍から目を逸らせない。私は転生じゃなく、成り代わり?そうだったら、私は彼女の居場所を、奪ってしまったってこと?――私が、この世界の彼女を殺し。
「あらあら、違うのよ。驚かせてごめんなさいね。見慣れた姿ならあなたが落ち着くかと思ってこの姿を借りてきただけで困らせるつもりは全然なかったの。怖い思いをさせて本当にごめんなさいね」
自分への嫌悪感と明藍への罪悪感で全身に悍ましいほどの悪寒が走り、大きく体を震わせた私を目の前の明藍が困ったように眉を下げながら穏やかな声で宥めた。そして止まらない涙を指で拭いながら私を安心させるように柔らかく微笑む。優雅な仕草、あまりにも綺麗な笑顔――すべてが人間離れしている彼女を見て直感した。
「せい、れい?」
「そうよ。今回のことであなたがとても悩んでいるようだったから、気になって見に来たの」
「シルフのおともだち?」
「そうね。私と彼女は近い存在だから」
近い存在の言葉にピンときた精霊はいたけど、目の前の彼女は私が思い描いている相手じゃない。でも彼女が側にいるととても安心する。目の前の彼女の存在感に段々涙が止まり始め、呼吸も落ち着いてきた。すると徐にイオ――明藍と呼ぶとややこしいし、彼女では距離があるからと言われイオと呼ぶことに――はその場にゆっくりと腰を下ろした。そして私を見上げながら自分の隣をポンポンと叩く。素直にイオに従って座ろうとしたところでふと、先程まで私を追いかけていた光の柱の存在を思い出した。慌てて周囲を見回したが、どこにも見当たらない。
「そんなに心配しなくて大丈夫よ。私達の話が終わるまでは現れないから」
「あなたは、いったい…」
あの光の柱の正体はわからないけど、とても強い力を感じた。それを目の前の彼女が抑えているとするなら、彼女はとてもすごい力を持っている精霊なのでは――。
幾分か落ち着いたことで思考できる余裕ができ始め、イオの正体に思いを馳せていた私を引き戻すように彼女が私の腕を少し強めに引っ張り、もう片方の手で隣を叩く。彼女に座るように言われていたことを思い出して隣に座るとイオは満足そうに頷いた。そして私の顔を覗き込むように距離を詰めてくる。
「今は私ではなく、あなたの事よ。さっきの言葉、覚えてくれている?」
「ぜんぶ、わすれる」
「そうよ。あなたが転生者だということも、心の傷も全部忘れさせてあげる。そうすればあなたは苦しみから解放される。今度こそ、あなただけの未来を生きられる。素敵な事でしょう?」
「でもそれじゃあ、かぞくが、みんなが」
「人の一生は私達精霊に比べると瞬き程の一瞬でしかない。でも人間達にとってその瞬き程の一瞬は永遠にも似た長い時間。“人に歴史あり”。人間達がよく使う言葉よね。長短関係なく人間の人生は一度きり。良いも悪いもたくさんある。だからこそ、長く様々な事柄を、想いを紡いできた歴史に譬(たと)えられる。人の生は濃く、激しい。それを背負おうとしているあなたの生はとても過酷なものになる。前世でしてきた以上に辛いことがたくさん待っている。その苦しみに今のあなたは耐えられる?」
「…」
「怖いなら、逃げていい。抱えきれないなら、切り捨てればいい。あなたにはその権利がある。あなたは神子。あなたが存在することこそが世界の幸福に繋がる。あなたは絶対に死んではならない。あなたを脅かす危険は排除されて当然なの。だってあなたの知る世界ではあなたの死が始まりだったのでしょう?あなたが生きているなら、未来はきっと変わる。だから、心配しなくても大丈夫」
そうだ。私は神子。死んではいけない。私が死ねば世界の均衡が崩れる。この美しい世界が失われる。そして、未来さえも失われてしまう。でも私が生きてさえいれば、世界の均衡は保たれる。家族の未来を守るには家族の運命を変えるのではなく、私の未来を変えなくちゃいけない。そのためにはすべてを忘れて、家族と一緒に生きればいい。家族はいつも私を肯定してくれる。受け入れてくれる。前世とは違う。私は存在しなければならない。私は守られるべき存在。忘れれば、やっと自分のために生きられる。
『明藍』
家族の顔が浮かぶ。私を愛してくれる家族。ありのままの私を受け入れてくれる、優しくて温かい家族。
《他者のものは他者のもの。君のものは君のもの》
《君の努力は報われる?君は何を目指す?君はどこを生きる?》
ああ、そっか。答えはとっくにあった。簡単な答えだった。
「イオ」
「なあに?」
「わたし、わすれない。このままでいい」
「誰かのために?」
「ううん。じぶんのために。おもいだした。わたしは」
傷つくのが怖かった。傷つけられるのが痛かった。否定されると辛くて苦しかったから、自分の“好き”を切り捨てた。“好き”から“好きじゃない”に変えた。子どもの頃は知らないことがほとんどだから何でも新鮮に見えてたくさんのものにたくさんの“好き”を向けた。でもそのほとんどを私が切り捨てたせいで、“好き”の気持ちを向ける方向がなくなった。急に方向を見失った気持ちは私の心の奥深くに隠れてしまい、見つけられなくなった。でも、心の傷が表に出てきたことで心が開いて、閉じ込めていた感情がたくさん出てきた。
辛くて堪らない記憶がたくさんあった。向き合いたくない気持ちがたくさんあった。でも逃げ出したり切り捨てたりしなかったおかげで漸く、見つけられた。
興味を持ったものに手を伸ばしたかった。好きなものはずっと好きだと言いたかった。受け入れられなくても、大切なものへの“好き”を叫び続ければよかった。夢に向かって走る人達が眩しかった、羨ましかった。自分のやりたいことを探したかった。新しい興味に出会いたかった。やりたいことがたくさんあった。誰かに向けたい気持ちがたくさんあった。こんなにもたくさん、自分の中には気持ちがあったのに傷つくことを恐れて認めてももらえないことが悲しくて辛くて言葉にも行動にもしないでたくさん逃げて、切り捨てて――でも、だからこそ今がある。
イオの言う通りにしたらきっとすごく楽になれたと思う。全部忘れたら優しい家族に囲まれて暮らせる。温かくて優しい未来になるだろうなって想像もできた。逃げてもいいって言われると縋りたくなる。でもね、しまい込んだ気持ちが出てきてたくさん教えてもらってやっぱり、思った。
優しい家族と今の私のまま、一緒に生きたい。忘れても家族たちのことは覚えているだろうし想い出だって記憶に残ったままなのはなんとなくわかる。でも今の私が全部消えたらこれまで家族と一緒に過ごした記憶はあっても、そこで覚えた感情や感動はきっと違う。だって前世の記憶がなくなるなら、それはもう私であって私じゃない。私はこの場所を誰にも譲りたくない。皆と一緒に生きるのは私がいい。
皆を助けたい。皆の一生を背負ったり支えたりすることはできないけど、少しでも影響を与えられるようにできることをしていきたい。でもそうしながらも自分のやりたいことや興味を持ったことにもどんどん挑戦していきたい。皆を助けたい気持ちは変わらないし、笑顔溢れる未来を皆の側で見たい。でも、これが私の夢じゃない。私の夢はこれから探していく。
漏れだしそうになる嗚咽を堪えながら懸命に言葉を、想いを紡いでいく。
自分の気持ちをつぶさに正直に伝えるのはとても大変で苦しくて怖いことだと知っている。自分の気持ちを伝え、返ってきた反応が思っている反応と違ったら傷つく可能性の方が高い。でも同じように自分の発言で相手を傷つける事だってたくさんある。でもどんな形になるとしても自分の気持ちを言葉にしないことには何も始まらない。どんなことになったとしても。
自分の気持ちを吐き出している途中で堪えきれなかった涙が何度も頬を伝っていった。涙で詰まりそうになりながらもなんとか今の気持ちを話せた。そして一度深呼吸して俯いてしまっていた顔を上げ、不格好だけどなんとか笑みを作ってイオに向ける。イオの反応が怖かった。でもイオはとても綺麗な笑みを浮かべていた。そして私の答えを、想いを受け取るように頷いてくれた。
その瞬間、イオの足元に方陣が展開される。方陣は精霊が普段使っている風を操ったり精霊によって違う得意分野の能力を具現化させたりするよりも更に高度な術を使う時に展開されるものでその模様や大きさは精霊毎に違う。ふとイオの足元に展開されている方陣の中に風車があったことに気づいた私は大きく目を見張った。
風車は風神アイオロスの象徴であり、風野家の家紋にも組み込まれている。象徴が組み込まれている方陣を展開するのは右翼と左翼と――神である精霊達の王様だけ。それなら、イオは、いいえ、あなた“様”はまさか――。
私が口を開くよりも先に方陣が光り出し、その光はあっという間に周囲の闇を晴らして私を呑み込み、意識を遠退かせる。
「今度は本当の姿であなたに会える時を楽しみにしているわ」
悪戯っぽく微笑んだ彼女に見送られながら、私の意識は完全に遠退いていき――気づいた時には見覚えのある、自分の部屋の天井が視界に映っていた。
あまりに多くのことが起きた夢の中から私は帰ってきた。ふと左手に感じる温かさに頭をそちらに向けるとお兄ちゃんが上半身をベッドに預けるようにして突っ伏しながら私の手を握ってくれていた。
夢の中で私が流されかけた時、家族を思い出せたのはきっとこの手のおかげだ。お兄ちゃんが“私”に帰ってきてって願い続けてくれたおかげで私は家族を思い出して、家族を求めた。だからシルフの言葉の意味がわかった。
「おにい、ちゃん」
お兄ちゃんがいてくれたから帰ってきたことを実感して安心して無意識にお兄ちゃんを呼んでしまった。そしたらその声にすぐさまお兄ちゃんが体を震わせて跳ね起きた。目の下に濃い隈を作っているお兄ちゃんの目が私を捉え、数度瞬きしたかと思えばみるみるうちに潤みだしていく。そして零れだしそうになった嗚咽を堪えるように唇をぎゅっと噛みしめ、壊れものを扱うように優しく私を抱きしめてくれた。
「よかった、明藍。本当に、よかった…」
絞り出すようなお兄ちゃんの声に深い安堵が滲んでいるのが伝わってきたら、もう駄目だった。一瞬で溢れ出してきた涙が次々と頬をつたっていき、お兄ちゃんの肩をあっという間に濡らしていく。
「おにいちゃん。おにいちゃん。ごめ、ごめん、なさい」
心配させてごめんなさい。逃げようとしてごめんなさい。捨てようとしてごめんなさい。
しゃくり上げながらだから長文もしゃべれないし途切れ途切れになっているけど、想いだけはしっかり込めてお兄ちゃんに謝り続ける。でもお兄ちゃんは首を振り、横になっている私を抱き上げて宥めるように背中を何度も撫でてくれた。
「謝らなくていい。明藍が目を覚ましてくれて、本当によかった。お帰り、明藍」
「ありが、と…。おにいちゃ、ほんっ、とに、ありが、と、う」
お兄ちゃんの優しさが嬉しくて申し訳なくてでもなにより温かくて益々涙が止まらない。それからも私は暫く泣きじゃくり、その間お兄ちゃんはずっと私を抱きしめたまま頭や背中を撫で続けてくれた。
おまけ 明藍を見送った彼女の話
あら、迎えに来てくれたの?
…。
ふふ、何かを言いたそうね。
危ない橋でした。
そうね。でも言った通りしょう?彼女はきっと私の手を取らない、と。
回想
――人はとても脆い生き物だわ。脆くて弱くて、困難にぶつかって立ち止まって動けなくなってしまうことも少なくない。でもそうした困難を乗り越える力を秘めているのもまた、人なのよ。
彼女にはその力があると?私はそうは思いません。彼女は危険すぎます。
そうね。あなたの理由もわかるわ。でも見込みがなければシルフはあそこまでしないわ。私はあの子の目を信じている。
だからといって、やり過ぎですが。
そうね。でもだからこそ、私が行くのよ。
回想終了
…。
眉間に皺が寄っている。彼女の答えは気に入らなかった?
何とも言えません。ただ、驚いてはいます。人の想いの強さはあれほどに強いのかと。
そうね。あの子は本当に誰かを守りたい気持ちが強い。自己犠牲に繋がりかねないあの危うさをどう昇華できるかはあの子自身と取り巻く人々に懸かっているわ。
難解な生き物ですね、人とは。
でもだからこそ、彼らの成長は興味深い。さあ、そろそろ帰りましょう。しなければいけないことが山積みだもの。
はい。アイオロス様。
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