第二十一話

「私、将来お花屋さんになりたい!」


小さな女の子が自分の未来を精一杯思い描き、頬を上気させながら嬉しそうに話す。しかし少女の家族は夢を応援したり肯定したりすることはなく、夢の実現に必要な現実的な部分を教えていく。お花の世話は、冬場は冷たい水にたくさん触れるから、力仕事が多いから大変だと。少女はそういう話がしたいわけではなかった。ただなりたいと思った夢を褒めてくれたり肯定してくれたりするだけでよかったのに、あーだこーだと色々話されて最後に大変だからと締めくくられたことであなたにはできない、そんな夢を持ったって無駄と暗に否定されたように感じた。とても傷ついた少女はそれ以来、「お花屋さんになりたい」と口にしなくなった。そうして時が経ち、今度は別の夢を思い描いた少女がまた家族に夢を語ったが、家族から返ってきた反応は前回と同じ。そうしてまた心を傷つけられた少女は夢を諦めた。

お花屋さんの夢を否定されても花を好きなままだった少女がある日、植物図鑑を眺めていると偶々見た目が怖いものを見ていたページを覗き込んだ家族が「気持ち悪い」と吐き捨てるように呟いた。そして如何にその花が醜いかどうかを語られた。確かに見た目がグロテスクなお花だったが、「そこまで言わなくても」と少女が異を唱えたが、家族は聞き耳を持ってくれず「そんな気持ち悪いものを見ていられる、神経を疑う。こんなん好きな人は変。人じゃないんじゃない?」と再度吐き捨てるように言われ、冷たい視線を浴びせられた。

存在を認めてもらえなかった花と一緒に少女は自分も否定されているように感じ、酷く心を切り付けられた。そうして切り裂かれた少女の心は治ることなく、また冷たい言葉や視線を浴びることが怖くて少女はそのまま図鑑を読むことを止めた。それから少女は図鑑自体を読むことを止めた。区分した分野を網羅している図鑑には可愛いもの、綺麗なもの、怖いものなど様々な見た目や特徴を持ったものがたくさん載っている。でも全部が全部、万人に受け入れられるわけじゃない。そもそも興味がない、自分にとっていいものにしか興味を持たない者にとって自分が気に入らないものは悪だ、と切り捨てることに躊躇がない。だから自分が傷つかないように、そして自分の大切なものを傷つけられないように少女は図鑑を読まなくなった――いいや、読めなくなったのだ。

それでも少女の家族の暴言は至るところで発揮される。日常会話の中で「これいいな」と何気なく呟いたことにも現実的な、そして否定的な言葉が返ってくるのでそれ以上の興味を持つこと自体を恐れてしまい、それからは何かを見て“いいな”と思ってもその感情が自分の好きなことに結びついたり興味のなかった分野に興味を持ったりと大きく育つことはなかった。

何度も何度も好きなものを繰り返し否定されてきた少女はその度に自分の心と大切なものを切り捨てたり守ってきたりした結果、家族の前で自分の想いを、興味を話すことを止めた。そんな日々を繰り返していくといつしか少女は自分が何をしたいのかを見つけようとすることすらできなくなっていた。

時が経ち、大学受験を迎えた年も両親に「これが向いていると思う」と言われ、深く考えずに頷いて薦められた大学へと進学した。でも結局、大学で勉学に打ち込んだもののなりたいものはなれず、大学で打ち込んだ勉強とは無関係の分野に就職した。そして少女は誕生日前日に職場をクビになり、トラックに撥ねられて生を終えた。自分が空っぽだったと気づかないまま、少女は死んでしまった。

以前言った、“前世の両親は私を愛してくれていた”は嘘じゃない。たくさんの愛情を注いで育ててくれたけど現実主義といえばいいのか、なりたいことややりたいことを話しても否定したりデメリットを話したりする人達だった。でも本人たちは私のことを想って夢を見るのではなく、現実を見るように促しただけ。悪い人達じゃない。

そして残酷なまでに正直な人達だった。これを言ったらどう思うかを相手が考える前に思ったことを反射的に言ってしまう。そして言った後に相手が「傷ついた」とか「言いすぎだ」とか言っても自分と違う意見は聞き耳を持ってくれない、そして機嫌が悪かったら人格否定に走る人だった。人の痛みがわかるようでわからない人達。だから、言われた言葉を私がどう受け取ってその言葉が私の未来に受けた影響をわかっていなかっただけ。私が彼らの言葉にどれだけ傷ついたかに気づかなかっただけ。それだけのこと。


ひっそりと陰で泣いている幼い少女。最後に与えられた夢に向かって勉強に打ち込む女性。でも結局、それも叶わず代わりの職も身に着く前に零れ落ち――最後は死んだ。最期まで空っぽのまま、生を閉じた。


かつて自分だった前世の女性の一生が走馬灯のように流れ、彼方へ消えていく。でも私がずっと隠していた心の傷は一緒に連れていってくれなかったせいで胸にたくさんの痛みがもたらされる。

そうして閉じ込めていた感情を露わにされ、傷つけられた心の傷が疼いて胸を抑えた私の前に今度は今の人生のこれまでが流れ始める。


赤ちゃんからのスタートには絶望したけどいつだって温かく私を包んでくれる家族のおかげでいつも幸せだった。前世の記憶があるからなかなか赤ちゃんらしい振る舞いはできていないだろうけど、それでもそれが私の個性だと家族は受け入れてくれる。神子=私、ではなく風野明藍を見て愛してくれている。だから私はそんな家族に応えたくて、守りたくて頑張ることを決めた。皆の笑顔を守ることが夢で、その夢のために必要なことを身に着けたくて、その時その時のできることをちゃんと積み重ねている。

だから、前世の私と違って明藍は空っぽじゃない。自分の意思で、心で決めたからたくさん頑張れる。頑張れば未来は守れるってずっと信じてきた、それなのに――。


《前世でどんなに努力をしても君にはない才能を持つ同年代や後輩を超えられなかったのは、先の未来を描けなかったのは自分の努力が足りなかったから。でも今生は違う。自分にはまだ秘められている可能性はたくさんある。だから、今から努力を重ねればできることはたくさん増えて、それらは全部大切な人達を救う未来に繋がる。――これは君の夢であり願望であって、君自身の未来じゃない。君はちゃんと自分の未来を見ている?前世で縋った過去から脱却できている?君は――“今”を生きていると自信を持って言える?》


未来の私は大切な人達の笑顔を守っている。そこで私は―――――何をしているの?守っているって知識で?力で?…私の未来はどんな姿?…わからない、わからない。自分の意思で、心で決めたと思っていたのに、今回も違うの?これも私のものじゃないの?


誰かのために生きる=自分が生き続けることに繋がるけどそれは誰かに依存しながら生きているともいえる。自分でこうしたい、ああしたいっていうのがないから信頼を寄せたり好きになったりした相手がしていることを盲目的に信用したり相手の存在を無条件に肯定したりする。悪い言い方をすれば思考を放棄している。

だから相手が脅かされたり貶されたりされることや逆に相手から向けられる感情には敏感だけど自分自身のことになると途端に鈍感になる。自分を大切に想えないから、誰かがいる前提の話しかできない。


思わず蹲った私の頭の中に前世の私の姿が次々と浮かぶ。自分の過去と心の傷が勝手に紐解かれて合わさって前世の自分を強烈に思い出さされる。その流れで今の人生にも同じことが行われる。


もちろん家族を大切に想う気持ちや皆を幸せにしたい気持ちに嘘はない。でもだからこそ、私は自分を優先させようと思っていない。勉強するのもたくさん知識を蓄えておいた方が救済に役立つから。力の制御をするのも誰かに迷惑をかけないという気持ちが大前提にある。私はいつだって誰かのことしか考えていない。


呼び起された心の傷――自分の未来に自分がいることを想像する。自分の未来を考えること――が疼いて痛んで、胸が張り裂けそうなくらい痛い。でも今度は前世のようにその痛みを切り捨てたりしまい込んだりして夢を変えることはできない。逃げてしまったら、放棄してしまったら――たくさんの人の運命が狂わされる、悲劇しか待っていない。

私の目指す未来が叶わなかったら…全部、なくなる。皆、死んじゃう。そんなのは絶対に嫌だ。でも私が選べなかった選択で命を救えたのなら、私は一生自分を責める、不甲斐ない自分を恨む。救えない人がいることを覚悟はしているけど、それは私の力が及ばないことが大前提。私の手の届く範囲で誰かを喪うのは耐えられない…!


それなら、もう答えは一つしかない。切り捨てられない、逃げられないなら――――私自身が変わるしかない。……どうやって?

自分のやりたいことも満足に見つけられず、興味の気持ちを一かけらも育てられなかった私がどうしたら自分のことを考えられる?どうしたら、自分のために生きられるの?自分の夢だと確信していた夢にも私は存在していなかった。確信が揺らいで、音を立てて崩れていって…どうしたらいいのか、まったくわからない。

でもわからない、できないではいられない。どうしたらいいのか迷って動かないでいると、何も身に着かない。必要なものが何も手に入らない。力がなければ、大切な人達を守れない。

そしてその力を手に入れるには知識だけでなくシルフに認めてもらわなくちゃいけない。そうしないと彼女は神子としての私は認めざるを得ないから認めるけど、風野明藍個人としては絶対に認めてくれない。上辺だけの関係なんて嫌だ。都合のいい時にだけ力を貸してもらうのもただただ、シルフを利用しているみたいで嫌だ。私はシルフとちゃんとした信頼関係を結びたい。シルフとは一生付き合っていくのだから。でも、今の私は彼女に返す答えを持っていない。


気持ちと見えない未来に苦悩していると突然、上空から光が差し込んできた。真っ暗な闇の中で一際目立ち、闇を祓おうとする光。徐々に近づいてくるそれから私は逃げ出した。逃げるように足を動かした。ここが夢だというのはとっくにわかっていた。わかっていたからこそ、私は動かなかった。夢から覚めたくなかったから。

夢から覚めたら現実が襲い掛かってくる。襲い掛かってきた現実で心の傷の疼きに苛まれ、苦悩するだけ。何の解決策も浮かんでいない、答えの出ない壁に立ち向かうには私の覚悟が足りない。ひとりじゃ、何もできない。足を動かしながら嫌だ、わからないと何度も繰り返しながら幼子のように泣きじゃくる。どうしたら、どうしたら――。


「そんなに辛いのなら、全部忘れてしまえばいい。お手伝いしてあげるわよ?」


突然聴こえてきた声に体を揺らし、涙で濡れたまま周囲を見回すと顔を上げるととても驚いた。黒みがかった藍色の長髪に黄緑色の瞳を細めて笑顔を浮かべた、今の私よりも成長した状態の――風野明藍が正面に立っていたから。


おまけ

本当に行かれるのですか?

ええ。万が一を起こすわけにはいかないもの。あの子のためにも。

彼女はどちらの手を取るとお考えになられているのですか?

決まっているわ。彼女はきっと――。

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