奴隷の少女
「――うあッ」
少女は地面へ転がり落ちると蹲ったまま動かない。
その間にも馬車との距離は離れていく。
「……良かったのか?」
「なあに、あれは出来損ないの不良品だ。ハーフエルフは純血と違って大して値が付かん。置いておくのも餌代が掛かるし、ここで処分できて良かったよ」
にやにやと気味の悪い笑みを浮かべて奴隷商は奥へと引っ込む。
落ちた少女に釣られて、馬車を追ってきていたシャドウハウンドが離れていった。けれど、たった数匹だ。これでは囮の意味が無い。
少女一人を落としたくらいではスピードは上がらず、いずれ追いつかれるだろう。もはやこいつらの命運は決まったも同然。
ユルグの役目は商隊の護衛だが、この人数を一人で守り切るには限界がある。四方から襲われては手が回らず、確実に損害は出る。ましてや商品がダメになってしまえば、こうしてユルグが護衛する意味すら無くなるのだ。
――だったらどちらを取るべきか。
しばし逡巡した後、ユルグは荷台から飛び降りた。
飛び降りざまに剣を抜き、シャドウハウンドへ斬り付ける。
霧散したのを尻目で確認して、向かったのは先ほど放り出された少女の元だ。
「目を瞑って顔を伏せていろ!」
にじり寄っているシャドウハウンドと少女の間に割って入ると、小石を掴んで真上へと放り投げる。
――〈ホーリーライト〉
瞬間、投げられた小石を中心に眩い閃光が暗闇に穿たれた。
影すら眩むそれは、激しい光の中くっきりとシャドウハウンドらの姿を現実へと転写する。
姿を現わしたそれらに、ユルグは剣を突き立てた。
赤い鮮血が飛び散り、先ほどまでは斬り付けても霧散していた黒い身体は力なく地面へと倒れ伏す。
一瞬にして辺りは静寂が支配した。
残りのシャドウハウンドは馬車の方へ向かったみたいだ。
ほっと息を吐き出して、ユルグは剣を収める。
神官、僧侶が使える魔法。ホーリーライト。
何の変哲も無い光を生み出す魔法だが、シャドウ系の魔物と相対する時にこれがないと打つ手が無い。
旅をするには彼らの力は必須で商隊の護衛にも必ず同行するのだが、ユルグの場合は自分で使えるから必要も無いのだが。
「もう顔を上げても良いぞ」
「……っ、う?」
何が起こったのか分かっていない少女は、不思議そうに周りを見回している。地面に倒れている魔物に息を呑んで、それからユルグへと目を向けた。
「あ、あり」
「――やめろ」
続く言葉をユルグは遮った。
そんなものが欲しくて、こいつらを切り伏せた訳では無い。
「俺は俺の為にお前の命を救ったんだ。わかるか?」
「……わか、ない」
「ここを抜けたらお前を奴隷商へ売りつける。デンベルクじゃ奴隷売買は合法だ。罪に問われることも無い。タダ働きは御免だからな」
見捨てた奴隷商の馬車があのまま無事にこの森を抜けられるとは思えない。約束していた謝礼金ももらえず終いだろう。
「それが嫌なら俺の元から逃げても良い。追いかけたりはしないさ。そうした場合、魔物に襲われて呆気なく死ぬだろうがな」
「んぅ……」
嫌だと言うように少女は首を振った。
「だったら立って歩け。ここはまだシャドウハウンドの縄張りだ。ぐずぐずしていたらまた襲われる」
少女はユルグの言葉に従って立ち上がった。足取りは多少おぼつかないが、歩けないほどの怪我は負っていないみたいだ。
「……報酬に一匹やるよ、か」
図らずも、あの男が言った通りになってしまったわけだ。奴隷なんて欲しくもないし、足手まといだ。さっさと放り出したいが街へ着くまでは我慢するしか無い。
溜息を吐いて、ユルグは森の中を進むのだった。
===
シャドウハウンドの縄張りを抜けたところでユルグは足を止めた。
「そろそろ良いだろう。ここで休憩にしよう」
「……あい」
ユルグもそろそろ体力の限界だ。
ここで野営をして、陽が昇ったらまた進むとしよう。
周囲に鳴子を設置して、焚き火を囲む。
忙しなく野営準備をしているユルグを、少女は座り込んでじっと見つめていた。
「さっきも言ったと思うんだが、そんなに見つめられると気が散る」
「んぅ……」
ユルグの言葉に、少女は視線を逸らす。
けれどやはり気になるのか。たまにちらちらとこちらの様子を伺っているようだった。
言いつけてもキリが無いと判断したユルグは、拾ってきていたシャドウハウンドの骸を解体する。
旅をしていく中で、こうした魔物を食べることもあった。
最初は抵抗もあったが慣れてくるとたいしたことは無い。味もまあまあイケる。
「お前、腹は減っているか?」
「……っ、ん」
ユルグの問いに、少女は驚いたように肩を振るわせた。
何度も頷くところを見るに、腹は空いているみたいだ。
「俺一人で食べられる量じゃないし、余ったのは棄てるつもりだ。食いたいなら勝手に焼いて食べると良い」
「あり……」
「黙って食べろ」
余計な事は言うなと釘を刺すと、少女は静かに食事を始めた。
今までどんな境遇にあってきたのかは知らない。知りたくも無い。
だからって少し優しくした位で懐かれてもらっては困る。
どうせこいつとは森を抜けるまでの仲だ。
「あの……」
「なんだ」
「おろ……おと、さんは?」
「……お父さん?」
「んぅ」
少女の発した言葉は要領を得ないものだった。
父親はどこだ、と聞いたみたいだがそんなの、ユルグが知る由も無い。
それと、先ほどから気になっていた事だが。
「父親のことは知らない。それとお前、上手く喋れないのか?」
「……んぅ」
頷きに、奴隷商が言っていた言葉を理解した。
――出来損ないの不良品。
おまけにハーフエルフだ。
そうなると奴隷として売っても二束三文にすらならない。
森を抜けるまでと言ったが、この労力に見合う程の価値が彼女にあるとは思えなかった。
「声が出るってことは話せない訳では無いな。耳があまり聞こえないのか」
「すこい、だけ。くち」
「読唇術なら出来るのか?」
「んぅ」
と言っても、それは話すことにはあまり関係ない。
相手が何を話しているのか、聞き取りを補うためのものだ。
現に、今までユルグは仮面を嵌めていた。その状態でも会話は出来ている。
聴力は全く聞こえないというわけではなさそうだ。
念のため、仮面を外す。
ユルグの声は聞こえているようだが、
「それで、お前の父親がなんだ?」
「あい、じょうぶ?」
「大丈夫?」
聞き返すと、少女は頷いた。
――父親は大丈夫なのか?
それを尋ねたかったみたいだが、どうしてこんなことを聞くのか。ユルグにはさっぱりだ。
「お前の父親は俺が知っている人間なのか?」
「……んぅ」
もしやと思って聞くと、彼女は肯定した。
ユルグが知っている人間というと、先ほどの奴隷商の一団の誰か。そういうことになる。
「もしかして、商人のあの男か?」
「んぅ」
少女は迷いなく頷く。
それにユルグは絶句した。
よもや、自分の娘を奴隷にする親があったとは。
しかも誰が見ても眉を顰める、そんな扱いだった。
ここまで来ると、本当に救いようがないクズだ。
けれど、そんな男を彼女は心配しているらしい。
あんなのでも親だからか。
心情を理解出来なくもないが、理解はしたくないものだ。
「あの状況で無事なら奇跡だ。あまり期待しない方が良いな」
ユルグの言葉に少女は俯いた。
彼女が何を思っているのか。ユルグには計り知れない。
肩入れすれば面倒事に巻き込まれかねない。余計な気は回さないに限る。
けれど、まだ夜は長い。
話し相手には丁度良いだろう。
「お前の母親はエルフか。母親似なんだな。顔があの男には似ていない」
「……っ、ほんと?」
何気なく言ったユルグの言葉に、少女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
それに一瞬、ユルグは面食らう。
笑うと結構かわいい顔をしているものだ。
「――ふぃの」
「……フィノ?」
「なまえ」
自分を指さして、もう一度繰り返す。
――フィノ。
それが少女の名前らしい。
きっと母親に付けてもらったものだろう。
「なまえ、おしえて」
「俺の?」
「んぅ」
「嫌だ」
即答すると、フィノは傍に座っていたユルグの腰に縋り付いてきた。
「擦り寄るな!」
「なんで!?」
「お前の臭いはきついんだ。それと、俺が名乗る義理もない」
指摘すると、フィノはすごすごと離れていった。
けれど、諦めてはいないようだ。
「ケチ!」
「うるさい。言えない理由があるんだ」
「……なんで?」
「追われているからな。下手に名乗って俺の居場所がバレたら意味がない」
「いあない」
このまま押し問答を続けていれば朝になりそうだ。
フィノも言わないと言っているし、逐一喚かれるよりはマシか。
「――ユルグ」
「……ゆうぐ」
「ユルグ」
「ゆ、ユルグ」
「今のは完璧だったな」
何の気なしに言った言葉に、フィノは嬉しそうに顔を綻ばせた。
しかし、今のは少し軽率だったと、ユルグは内心ひやりとする。
懐かれないように距離を保たないと後で面倒だ。
「飯を食ったならもう寝ろ。陽が昇ったら休憩は終わりだ。起きなかったらそのまま置いていくからな」
「わ、かった」
フィノはユルグに言われた通りにする。
少し経つと寝息が聞こえてきた。どうやら相当疲れていたみたいだ。
それを見遣って、ユルグも静かに目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます