追放勇者は孤独の道を征く
空夜キイチ
第一部:黎元の英雄 第一章
プロローグ:役立たずの勇者
「勇者の幸せって何なんだろうな」
ぽつりと呟いた言葉に、ユルグに同伴していた仲間たちが一瞬固まった。
王都へ向かう馬車の中で気まずい雰囲気が流れる。
彼らは所謂善人で、困っている人間を見かけたら放っておけないらしい。
そんな彼らにとって、勇者の仲間というのは光栄なことだ。
一年前、喜び勇んでユルグと共に旅立った彼らは――しかし、現実はそんなものではなかったと知ることになる。
ユルグのやる気のなさに、全員が愛想を尽かしているのだ。
彼からしてみたら勝手に期待して勝手に失望した馬鹿な連中だが、そう思っているのはユルグだけだ。
仲間たち――他の人間からすれば悪いのは役割を全うしないユルグ。
だからこうして、王城へ緊急招集を掛けられているわけだ。
要は、役立たずな勇者をこれからどうするか、ということ。
「それは……人助けや世界の平和、ではないですか?」
魔術師の仲間の男がそんなことを言う。
彼の名前は忘れてしまった。出会った当初は覚えようと努めたが、そんな気力はとうに無くしてしまった。
「そんな人間もいるんだな。俺には無理だよ。他人に対して自己犠牲で頑張るなんて」
「でも、ありがとうって言われると嬉しいじゃないですか。ああ、頑張って良かったなって思えませんか?」
僧侶の女が、胸くそ悪い事を言っている。
たぶん、彼女はユルグを馬鹿にしているんだろう。
ここに居る人間は全員、ユルグがどういう奴かを理解している。
勇者には向いていない不適合な奴だと、満場一致でそう答えるだろう。
それを分かった上でこんな台詞が吐けるんだ。背筋に悪寒が走る。
「誰かを助けて、世界の平和を守って報酬がそれだけ? 俺はそこまで聖者にはなれないね」
ユルグの態度に、我慢の限界だったのか。
戦士の厳つい男が馬車の中で立ち上がった。
「さっきから聞いてりゃあお前! 勇者がそんなこと言って良いと思ってんのか!? ふざけんのもいい加減にしやがれ!」
喚き散らしながら詰め寄ってくる男に、ユルグは心の底から辟易していた。
あまりにも理不尽だ。言い返す気力さえ残っていない。
周りでは男を止めようと何やら騒いでいるみたいだが、どうでも良かった。
力任せに揺すられながらぼうっと外の風景を眺める。
今この瞬間に、この世界のどこかにいる魔王とやらが全てを滅してくれたら良いのにな、なんて思いながら、ユルグは陽の光に瞳を細めるのだった。
勇者というものは世界のためにその身を捧げなければならないらしい。
勇者だから、困っている人を助け。
勇者だから、死ぬかもしれない戦いに身を投じる。
平穏な人生を送りたいと思っていた人間に、こんな仕打ちはあまりにも理不尽だ。
五年前に女神からの神託を賜り、勇者となった少年――ユルグはうんざりしていた。
この女神の神託というものは、何のことは無い。
生まれ持った才能、潜在能力――素質、とでも言うのだろうか。
誰しもが持ち得ないそれを、神託だのと呼び習わし、もてはやしているだけにすぎない。
もちろん、
剣の才、魔法の才……個人によって様々だが、磨かなければただの宝の持ち腐れだ。
素質があるからといっても、いきなり剣の腕が格段に上がったり魔法が扱えたりはしない。生まれもった才能と、血の滲むような修練を積むことで、初めてスキルとして習得に至る。
そして、得られた能力の系統を端的にわかりやすくしたものが、俗に言う冒険者や傭兵が名乗る『職業』なのである。
それには様々な種類が存在するが、一個人が持つ素質には限りがあり、覚えられるスキルにも限度がある。
どれほど魔法の扱いに秀でた者でも、全ての魔法の習得は出来ない。
自らに合ったものしか扱えないのだ。これは先天的なもので、どれだけ努力しようが塗り替えられるものではない。
しかし、結局は他人より少しだけ優れているだけ。
攻撃魔法が扱えたから魔術師。治癒魔法が扱えたから僧侶。剣の腕が優れていたから剣士。
たったそれだけのことだ。
けれど唯一、『勇者』と呼ばれるものは別格だ。
素質や習得可能なスキルに限度はない。修練次第ではどんな魔法でも使用可能。
それが『勇者』の正体だ。
だから、人々の望む通りに生きずとも、それを理由に後ろ指を指されるいわれは一つも無い。
けれど、周りの仲間も街の人間も。挙げ句は、故郷の村人たちもユルグの願いは聞き入れてはくれない。
心の拠り所にしている、幼馴染みのミアだって。
彼女はユルグにとって特別だった。
早くに両親を亡くし、ミアの家に引き取られたユルグは彼女と共に育った。
ミアはユルグにとっては何よりも大切な存在だ。
唯一、ユルグを理解してくれている彼女ですら、彼が勇者なんて辞めたいと愚痴を零すと――
「困っている人を助けないと。貴方にしか出来ないことだから」
なんて、そんな台詞を吐いてくる。
どうやら彼女には、目の前で苦しんでいるユルグよりも、どこの誰かも分からない人間の方が大事らしい。
以前に立ち寄った故郷の村で言われた言葉が、ユルグの胸に重くのしかかっていた。
王城に着いて、謁見の間に通されたユルグは国王から思いも掛けない言葉を贈られた。
曰く――
「そなたには勇者を辞めて貰う」
というものだった。
それを聞いた瞬間、ユルグは心の底から喜んだ。
これで仲間たちとも、勇者としての責務からも解放される。
待ち望んだ展開に安堵していると、視界の端で国王が手を挙げた。
瞬間、衛兵の槍先が全てユルグへと向いていた。
状況を理解出来ないまま呆然としていると、国王は重苦しく口を開く。
「そなたには勇者を辞めて貰う。しかし、神託を無かった事にはできんのだ。勇者はこの世界にとって必要不可欠な存在である。従って、そなたをこのまま放置しておくわけにはいかんのだよ」
「つまり、俺に死ねってことか……」
「残念なことだが、それしか方法は無いのだ」
国王は最後にすまない、と呟いた。
彼の態度からも苦汁の決断だったことが伺える。
ユルグを排除して、新しい勇者の出現を待つ。
それが最善だと考えたのだ。
ユルグもそれが一番良い方法だと考える。
彼が死ぬしかない、という一点を除いては。
到底、こんなもの受け入れられるわけがない。
ふざけるな、と叫びたい衝動に駆られる。
けれど、この場の誰もが口を揃えて言うだろう。
悪いのは役目を全うしなかったお前だ、と。
そんなもの、口を噤むほかはない。
王城の地下牢で、冷たい石床に座り込んで深く息を吐き出す。
こんなことになるならば、あの時に死んでおくべきだった。
そうであったのならこの一年、自責の念に苛まれることも、生き恥をさらすことも無かった。
今となっては唯一の家族である幼馴染みのミアも、ユルグが生きて帰ってこなくても然程悲しむことは無かっただろう。
仲間たちと方々を巡る修練の旅。
村に戻ってくるのも四年間で数えるほどしかなかった。
そんな人間が消えたところでたかが知れている。
悲しんではくれるだろうが、一時のことでいずれ忘れ去られるものだ。
けれど、こんな結末を望んでいるわけではない。
自らの意思に関係なく生命を脅かされるのなんて御免だ。
目を瞑って今までの人生を呪っていると、不意に誰かの気配を感じた。
顔を上げて牢の外を見ると、そこには仲間の僧侶が立っている。
「あんたは……」
「ユルグさん、私は貴方を助けにきたんです」
「なんで」
「国王だって貴方を始末しようだなんて思っていません。考え直して欲しいだけです」
名前も覚えていない、彼女の真摯な訴えにユルグは静かに頷いた。
「わかった……これからは心を入れ替えて頑張るよ」
「本当ですか!? 良かったです」
彼女は、本当に嬉しそうに笑った。花の咲くような笑顔だ。
眩しいそれに目が眩む。
どうあってもユルグは彼女のようにはなれない。根本からして相容れないのだ。
牢の鍵を開けて貰い鉄格子の外側へ出た瞬間、ユルグは彼女を押し倒していた。
暴れる身体を押さえつけて、叫び声をあげないように口を塞ぐ。
「やっぱり俺はアンタみたいにはなれない。騙して悪いけど、ここでじっとしてて」
涙を浮かべながら彼女はなおも何かを言いたげに叫んでいる。
けれど、口を塞いでいるから何を言っているかは伝わらない。
抵抗する気力も無くなったのか。しばらくすると大人しくなった。
それを見計らって、後ろ手に縛って牢屋に放り込む。
「どうして、こんなことを」
「俺はやっぱり勇者には向いてないみたいだ。でもまだ死にたくないんだ。だったら逃げるしかないだろ」
「でも、だからってこんなこと……一生、国から追われることになりますよ」
「このまま心をすり減らして生きるよりマシだよ」
――アンタにはこの気持ち、分からないだろうけどね。
最後にそう言うと、彼女は俯いて何も話さなくなった。
身体一つで王城から逃げ果せたユルグは、故郷の村に帰ろうと思い立った。
今の彼にはそこしか行き場がない。
幸い、ユルグの脱走が兵に知れ渡っている気配はないし、少しの間なら滞在できるはずだ。
そこからどうするかは、その後に決めれば良い。
事件はその道中に発生した。
村までの道を歩いていると、行商の馬車が向かってきているのが見えた。
何やら相当急いでいるらしく、ユルグを見かけると急停止して御者が大声で叫ぶ。
「この先には行かない方が良い!」
「何かあったのか?」
「この先にある村で商売をしていたんだが、いきなり魔物どもが攻めてきたんだ。命が惜しかったらやめときな!」
――アンタも気をつけてな。
去り際にそんな台詞を残して、馬車は去って行った。
御者の知らせにユルグは走り出した。
この先の村なんて、彼の故郷であるヴィリエの村しかない。
「……っ、くそ! ふざけんなよ!」
なぜいきなり魔物が村を襲いだしたのか。
理由はわからない。けれど、偶然とは思えなかった。
奥歯を噛みしめてユルグは村へと向かう。
何がなんでもミアだけは救わなければ。
彼女だけがユルグの生きる希望で、彼女がいたからこそ今までなんとか頑張ってこれたんだ。
ミアとの最後が、あんな夢見の悪い思い出だなんてそれだけは許容できない。
村の入り口まで行くと、既に魔物が村内を荒らし回っていた。
その光景を目にして、瞬時に息が詰まる。
指先が震えて、この先に進むのを本能が拒絶している。
もし、ミアがすでに死んでいたら。そうであったら、ユルグの生きる意味は無くなる。
最悪の想像をして、慌てて頭を振った。
必死にミアの姿を探して、彼女を見つけた。
「ミア!」
「――っ、ユルグ!」
ミアは村の外れの茂みに身を潜めていた。
偶然村の外へ出ていて、この襲撃に巻き込まれなかったみたいだ。
「いきなり魔物が襲ってきて、みんなが……」
彼女はかなり動揺しているようだった。
こんな惨劇を目の当たりにしたら誰だってそうなる。
こうして隠れているミアには何の非も無い。
「ユルグならみんなを――」
「俺は勇者だけど、もう勇者じゃいられないんだ」
「なにそれ……変なこと言ってないで助けてよ!」
「……できない」
「なんで!? ユルグは勇者なんでしょ!? だったら――」
泣きながらミアはユルグの胸に縋ってくる。
けれど、それ以上彼女が何を言っているのか、聞き取れなかった。
昔のようにユルグがただの村人であったなら、ミアもこんな事は言わなかっただろう。
彼に何の力も無ければ、魔物に村を襲われていても助けてなんて言わなかった。
彼女がユルグに助けを求めるのは、彼が勇者だからだ。
その事実が、何よりも恨めしい。
今までユルグを散々振り回してきたそれに縋り付くミアが、何よりも許せないと思ってしまった。
「逃げるよ」
「……え?」
「ここに居るとあいつらに気づかれる。とにかくこの場所から離れないと」
「な、なんでそんなことするの? だって、ユルグならあれくらい」
「倒せるよ。勇者なら余裕だろうね」
「だっ……、だったら」
「俺、さっき言っただろ。もうそんなんじゃないって」
ミアは意味が分からないとでも言うようにかぶりを振った。
泣きながら、お願いだからみんなを助けてと縋り付く。
ユルグがそれに頷くことはない。
「助けない。俺は普通の村人に戻りたいんだ」
「ふざけないで!」
刹那、鋭い痛みがユルグの頬に伝わる。
少ししてミアに頬を張られたのだと理解した。
「ユルグ、昔はこんなんじゃなかったでしょ……なんで」
「……なんで? 俺は何も変わってないじゃないか。お前らが勝手に期待して勝手に失望したんだろ!? ふざけんなだって!? それは俺の台詞だ!」
怒気を込めて睨み付けるとミアは押し黙った。
彼女の前ではこんなふうに怒鳴ったことは一度も無い。
本当なら優しいままでいたかった。けれど、それはもう無理だ。
気づくと、ユルグはミアの鳩尾を殴っていた。
気絶した彼女を担ぐと、静かにこの場から離れる。
大切な幼馴染みに暴力を振るったことに心は痛むが、この状況ではあれが最善だった。
ユルグにとって、ミアが生きていてくれればそれだけで十分なのだ。
「ここに来るのも、随分と久しぶりだな」
山奥に建てられた小さな小屋。
その中のベッドにミアを寝かせて、ユルグは一息ついた。
ここは彼が勇者になる前――五年前に建てた山小屋だ。
神託を授かる前は、ユルグはただの村人だった。
いずれは世話になっているミアの家を出て独りで暮らしていくつもりだった。
だから、ここに小屋を建てて自立する準備をしていたのだ。
それも勇者なんてものになってしまったことで無意味なものになったのだが。
今は身を寄せる絶好の隠れ家だ。
「これからどうするかな」
故郷の村もなくなり、国内では指名手配。
ミアもユルグには愛想を尽かしているだろう。
一先ずはここに居られるだろうけど、長くは持たない。
小屋の中にある使えそうな物を見繕っていると、気絶していたミアが目を覚ました。
「……ここ、は」
「おはよう」
声を掛けるとミアは表情を強張らせた。
あんなことをしたんだ。当然ユルグを警戒する。
彼女の態度に特に驚きもせず、ユルグはミアの疑問に答えた。
「ここは五年前に俺が建てた小屋だよ。ミアの家に長居する訳にもいかなかったし、近々自立しようと思ってたんだ」
この事はミアには言っていなかった。
言えば反対されると分かっていたからだ。
彼女の両親もミアも、ユルグを本当の家族と思って接してくれていたから。
「女神様はなんで俺なんかに勇者なんて大層なもの、託したんだろうな」
「……」
「特別な力なんていらない。俺は、ミアの傍で平穏に暮らせればそれで良かったんだ」
今更こんなことを言ってもどうにもならないが、それでも口に出さずにはいられなかった。
ユルグの独白に、ミアは黙って壁を向いたまま。
村人を見捨てた人間には当然の態度だ。
彼女が許してはくれないことなど分かっている。けれど、ユルグは謝罪をしようとは思えなかった。
国王に死の宣告をされてから、彼は勇者ではなくなったのだ。今ここにいるのは、ただの村人のユルグなのだから。
薪を集めて小屋に戻ってくると、ミアの姿が消えていた。おそらく、街に行ったのだろう。
既に街中にはユルグが脱走したことなど、知れ渡っているはずだ。
ミアの裏切りは予想していたことだ。
何も驚くことはない。あんなことをしでかしておいて、恨むなと言う方がおかしい。
ユルグにとって、彼女が生きてさえいてくれればそれで良かった。それ以上を望むなんて、今のユルグには許されることではない。
ミアが密告すればすぐにでも兵士がここに押しかけてくる。であれば、すぐにここから発たないと。
「さようなら」
誰も居ない部屋の中に声を掛けて、ユルグは小屋を後にした。
荷物は少しの保存食と路銀、それと小屋の中に置いてあった護身用の安物の剣。
素性を隠すために作った、木彫りの仮面を嵌めてユルグは当て
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