1.再会

第1話 魔法少女は高校生で。(1)

 ――四月。


 満開の桜がここぞとばかりに咲き誇るこの季節。

 桜の木々が埋め尽くすこの並木道を、一人、また一人と、瞳に輝きを宿したものたちが通り過ぎてゆく。


 ピンクの花弁も雨の如く降り注ぎ、道行く人々を祝福、あるいは歓迎しているかの如く、今日という門出の演出に精を出している中、彼あるいは彼女等は皆それぞれに、私たちは新入生ですといった初々しい雰囲気を全身から醸し出していた。

 きっちりと身なりの整った優等生らしき人もいれば、緊張と履きなれない靴のせいか、足取りが不自然な者もいたり、制服を少しだけ着崩した格好で気怠けだるそうにちんたら歩ている輩もちらほら見掛けられる。


 しかしながら、きっと彼らは内心こんなことを思っていることだろう。

 これからの高校生活がんばるぞー!とか、高校デビューしてリア充になるぞ!とか、彼氏作って青春を謳歌してやる!とか、まったく恥ずかしげもない希望に満ち満ちた感じのことを。


 私の限り、本当の意味で疑念や不安感を抱いているものなど、この場所に居はしない。


 は。


「希望……か」


 「嗚呼、春という季節はなんと残酷なのだろうか」と詩のような言葉を頭に思い浮かべつつ、憂鬱という名のバッドステータスに当てられながら、これから三年という時を過ごす学び舎へと、重い足取りで歩を進める私だった。



 ◇◇◇



 ◆4月2日 午前8時20分◆


 校舎の入り口に張り出されたクラス分けを、少し離れた木陰から遠巻きに確認する。


1―5いちのご……」


 同じクラスになって歓喜したり、別々のクラスになっても遊ぼうねとか重い友情確認をしているやり取りに些か苛立ちのようなものを覚えながらも、私は自分の名が記されていた教室へ、そそくさと向かう。


 ………


 大きな階段を二度ほど昇り、廊下の最も最奥にある部屋の前へと到着する。

 私の目の前にあるこの場所こそが、私が一年間を過ごすことになるであろう、基地や拠点とも形容すべき場所だった。


 到着早々、教室内の様子をガラス窓からこっそり覗き込む。

 すると、これから一年間もの間、同じ時間を共に過ごすことになるであろう同級生らしき人影が、数人分視認できた。

 だが、まだ名も知らぬそれらの他人には一切目もくれず、黒板に描かれていた席順表から即座に自分の席を探し出す。

 そして、空間に溶け込むように気配を消しながら、自分の座席が割り当てられた窓際中央辺りの席へと到着する。


「ふぅ……」


 何人かがこちらに視線を送り、驚く表情を見せたような気もしたが、そんなことには一切気にも留めず、予めカバンに忍ばせておいた小説を素早く取り出すと、すぐさま“話しかけるなよオーラ”という防護壁を展開する。


(計画通り……。ミッションコンプリート。なんだけど……)


 ここに至るまで誰とも話さずにこれたことに賛辞を送りつつも、残されている問題に人知れず私は頭を悩ませた。


 ………


 数分後、このクラスの担任を名乗る女性が現れ、私を含むクラス全員を講堂へ移動するようにと促した。

 長々とした校長の話やら、在校生代表や生徒会長の話やらが一通り済み、私を含めた新入生一同は休む間すら与えられず、再び教室へと誘導された。

 無論、私はその間も気配を消すことに全力を注いでおり、抜かりはなかった。


「……」


 元の席に戻るなり、すぐさま読書を再開し、私は周囲に付け入る隙を与えなかった。

 そんな私の数々の努力が功を奏した――なんてまったくもって定かではないが、私に話しかけてくるような人間は今のところ現れてはいなかった。

 ふと周囲の喧騒が気になって横目で確認すると、各々の席付近の生徒同士で何やらコミュニティーのようなものが出来始めていることが確認できた。


 私は率直に驚いた。

 こんな短時間で何をすれば、それほどに他人と親しくなれるというのだろうか、と。


 私自身も子供の頃は積極的な性格で、自慢ではないが仲の良い友達もそこそこ居た。

 だが、友達の作り方なんてものは遠い過去に置いてきたし、心も体も成長した今というこの環境において、同様の手段が通じるとも思えない。


(子供の時の経験などまったく役に立たない。一筋縄ではいかない世の中だな……)


 やさぐれるように社会への不満を募らせていると、私は私に起こっている異変に気付いた。


「――!?」


 私の左膝は、私の意志に関係なく、まるで生まれたての小鹿のように震えていた。

 私は慌てて両手を膝に当て、その震えを力で抑えつける。


「なん……で……」


 当然ながら、これは入学式で起立と着席を繰り返したことによる疲労から来たものなどではない。

 私は理解していた。

 これは極度のストレスによるものなのだと。


「お~い。席に着けー」


 その声に心臓を掴まれたように驚く。

 慌てて顔を上げると、先ほどのクラス担任が再び姿を現していた。


「入学式でも名乗ったが、改めて自己紹介をさせてもらう。一年間、このクラスを受け持つことになった、担任の五条ごじょうあかねだ。担当教科は現代文。一年間という短い間ではあるが、宜しく頼む」


 見た目の年齢は二十四、五くらいで、短髪で高身長、そして美人でスタイル抜群ときているため、既に数人の男子生徒からは熱い視線が注がれていた。

 そのハキハキとした言動と発声からして、バレーボールやバスケットボールのような体育会系の部活の顧問なのだろうと察しがついた。

 私個人の観点から言えば面倒臭いタイプではありそうではあったものの、男性でなかっただけ幾分かマシだと率直に感じていた。


「んじゃまあ、このあとやることといえば、セオリーでは自己紹介なんだが……」

「――!!」


 その言葉と同時に教室が俄かにざわつき始めた。

 無論、その一言で私の心臓も一際激しく脈動した。


「とりあえず、出席番号順で。んじゃ、君からよろしくー」


 そう言って、扉側最前列の生徒を指さすと、唐突に自己紹介タイムが始まった。

 私の心中などお構いなしに。


 ………


「はぁ~……」


 とうとうこの時が来てしまったかと、私は内心で呟きながらひと際大きな溜め息を漏らした。


 正直なことを言うと、私はこの自己紹介という時間が一番嫌いだった。

 なぜなら、私にとってこの時間は、苦痛と羞恥にまみれた時間でしかなかったからだ。


「んじゃ、次ー」


 そうこうして要らぬことに気を巡らせているうちに、まるで時間がすっ飛んだかのように私の番はあっさりと訪れた。

 私が忙しなく席を立つと、室内が一瞬ざわめき、シミュレーション通りの反応を見せる。

 だが、それでも平静を装いながら、私は覚悟を決めて口を開く。


「は、はな……。るき……です……」


 私の一言で、その場は一時の静寂に包まれた。


 暫く他人と会話する機会がなかったことが要因ではあるだろうが、口がうまく回らず、数年間の代償は私が思っていたよりも私の身体機能に影響を与えていたようだった。


 ざわめく教室の空気が癪に障ったのか、火に油を注ぐように一人の女子生徒が声を上げた。


「ちょっとー。聞こえなーい。ハッキリ喋ってくんなーい?」


 その言葉が声が小さいことを指摘しているわけではなく、私をイジる目的で発せられたことは明らかだった。


(うっさい! 黙ってろ! ギャル子A!!)


 その見た目から名づけた《仮称・ギャル子A》を心の内で罵倒したが、当然ながら事態はこれっぽっちも好転しなかった。


「……ぅぐ」


 静寂の中の一秒一秒という時間が、私にとって数分にも感じられるほど長く感じられた。

 しかし、このままでは今後の自分の立場がただただ悪くなってゆくことも、私は理解していた。

 それ故に私は大きく息を吸って覚悟を決め、今の自分に出せる限界まで声を振り絞った。


「は、花が……咲く……春の希望と書いて……花咲はなさき春希はるき……っ!!」


 事前に準備しておいた自己紹介の文面は役に立たず、私の口からはその一割しか出てこなかった。


「花咲く? 爺さんかよー、なにそれウケるー」

「ちっさー。ここは小学校じゃないでちゅよー? きゃははは!」

「あれって男の子かなー……?もしかして女装……?」


 その直後、クスクスと笑う声が教室内に満ち、ニタニタとした奇異の視線が私に集まった。


。やっぱり……というか当然か……)


 周囲を見渡すと、いつの間にやら黒いもやのようなものが教室全体を包むようにかかっていた。


「あ、ぅ……」


 140センチという小学生のような低身長と、黒髪のボサボサのくせ毛に加え、黒ブチ眼鏡で胸も当然、平たい。

 架空のキャラクターのようなメルヘン全開な苗字に追い討ちをかけるように、春希はるきなどという、ミスマッチアンド男子のような読み方。

 ようするに、私の身なりと名前を知った人間は、もれなく笑うのだった。


「……」


 最高潮にまで追い込まれた状況にもはや声も出せず、私のネガティブ思考がグルグルと脳内を駆け巡り、私の思考回路を蝕んでゆく。


(最悪だ。これが嫌だったんだ。この空気が嫌なんだ。この展開が嫌なんだ。だから、避けてきた。吐き気がする。逃げ出したい。そうだ。逃げてしまおうか。嗚呼。逃げればいいんだ。そのほうが楽だ。逃げれば全て解決する。逃げよう――)


 私の足は衝動的に一歩踏み出し、逃げる準備が整った矢先の出来事だった。


「すごく素敵な名前ですの!!」


 重い空気や私の真っ暗な気分を、まるで雲間から光が差し込むかのように、その声が打ち破った。

 私は声のした方向にゆっくりと視線を移す。


 声の主は、私のすぐ右隣――それも私の目の前にいた。


「えっ……?」


 私は思わず目を疑い、二度ほど目を擦った。

 なぜなら、彼女の周囲には黒いもやはただの一つもなく、屈託なく笑った彼女の笑顔がハッキリと見えたから。

 まさしく、一点の曇りもないその笑顔を見て、私は思わず口走ってしまった。


「天……使……?」

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