残音共鳴
サツキノジンコ
第1話
彼女達は震えていた。恐れているのか。怒っているのか。悲しんでいるのか。
第一印象は少女のような少年だと思った。生まれる性別を間違えているんじゃないかと疑問に思うほどに。眉を完全に隠してしまうほど髪の毛は伸びているし、体は糸のように細い。どうしてあれほどにも華奢な脚で立っていられるのか理解できず、しかし真っ黒いコートの下から窺える筋骨だけが唯一男らしいといえよう。とはいえ、腕だって針金のようではあったが。
彼は名乗ることなく、目的だけを端的に告げた。
「ぼくはこの物語を終わらせに来たんだ」
――と。
彼女たちにもそれは伝わった。此奴は自分達の《敵》であると。こんな見た目でも世界にとっては《悪》なのだと。長いか短いか三か月の間戦ってきた彼女たちの肌にはびりびりと伝わってきた。だから最初から容赦などしなかった。だけど彼女たちは油断していたのだ。
問答無用で殴り掛かるべきだったのだ。彼のように。合図も挨拶も暗黙の了解すら無視して、全員で袋叩きにするべきだった。何も弱い者いじめは悪の専売特許じゃない、正々堂々戦うことが英雄の専売特許でないように。
勝つために貪欲であるか否か。それが彼女と彼の勝敗を分けることになった。
彼はまず三人のうち一人に殴りかかり、そのまま気絶させた。あまりのスピードに、そしてあまりの素早さに、他の二人は圧倒された。しかし彼女たちも素人ではない。三か月間街を守ってきた腕も度胸もある。すぐに状況を認識して反撃に掛かる。しかし既に、彼はそこにはいなかった。
彼には彼女たちが次にどんな行動に移るか予想がついていた。理由なんて彼女たちが仲間であることだけで十分だった。三か月間命を賭して戦ってきた仲間をほかの二人は見捨てられるはずがない。ならばその一瞬の隙に逃げてしまえばいい。彼は近接戦闘においてはそれなりのポテンシャルを発揮できるが、それは飽くまで一般人を相手取った場合に限っての話。もし魔法少女二人に一斉にかかってこられれば勝敗など一周で決まる上に、肉体が二つあってもお釣りがくる。譬え正々堂々一対一のタイマン勝負であっても、魔法少女に一蹴決める事すら不可能だろう。そもそも肉体に適用される物理法則が違うとしか思えない。
だから確実に一人ずつ戦闘不能にしていく必要があった。しかしもう不意打ちは通用しない。彼女達もまた、自分達にこういう姑息な方法で勝負を挑むのは、少なくとも
だからこそ、そこに落とし穴がある。
勿論物理的な落とし穴があるわけではない。罠としては効果的かもしれないが、如何せん費用が掛かる上彼女がそこを踏むなんて不確定要素でしかない。やるならもっと確実でなければ意味がない。否命がない。
彼は無論魔法少女ではないし、魔法少年でもない。徹頭徹尾一般人だ。壁にめり込めば肉体の方が潰れるし、血液だって有限で一滴たりとも無駄にはできない。
彼女達には失念していることが一つだけあった。三人(二人)は今まで数多の敵をなぎ倒してきたが、人間とは戦ったことがなかったのだ。頭を使う怪物はいても、武器を使う怪人はいても、そう例えば
故に足元に転がる黒い物体が手榴弾であること気付くのにコンマ五秒遅れてしまう。一秒にも満たない刹那かもしれないが、二人の瞼が閉じきる前に目の前がフラッシュする。
キィーンッと言う高い音と昼間の太陽のように眩しい光の後、彼は駆けだした。視覚と聴覚を一時的に喪失している彼女らの前では、隠密に行動するよりも最短で彼女たちに向かって言った方が良い。元よりそのための手榴弾でもあった。だからこそ、彼は足音なんて消さなかったし、正面から飛び込んでいった。
ぐっぎぅん固いモノと柔らかいモノが両方潰れるような音がして、ハッキリとしない土埃の中彼の体が宙を舞う。どうやら彼女達のうちの一人が放った正拳突きを顔面に食らったらしい。視覚と聴覚を奪ったはずなのにどうして――その理由は実に簡単だった。咄嗟に片方の魔法少女が、正拳突きを放った方の魔法少女の耳を塞いだのだ。光は音よりも早い。つまり光をシャットアウトすることには遅れても、音であれば間に合う。実に魔法少女らしい、正しく肉体の物理法則が人間とは異なる対処法だった。あとは足音で気配を察知し、正拳突きを放ったのだった。
一方魔法少女の正拳突きを食らった方はと言えば、五メートルほど吹っ飛んだ後生垣に仰向けに倒れていた。しかしながら、辛うじて意識はあるようでふらふらと立ち上がる。そんな彼の代わりに、まるで彼のダメージがそのまま彼女に流れ込んだかのように、正拳突きを放った方の魔法少女が倒れた。と言っても勿論彼のダメージが彼女に流れ込んだわけではない、その証拠に彼の方も相当なダメージがあるようで未だ足元が
ただ彼の両手には見慣れた透明な筒状のモノに銀色の針が付いた――注射器が握られていた。
安心してください、即効性の睡眠薬です。
鼻血が気管に逆流したのか少々
人は勝利を確信した瞬間どうしても油断が生まれてしまうという。彼はそこを突いたのだ、注射器の針で、頸動脈を。つまるところ全てが僅か一瞬を作り出すためのブラフだったということなのだろう。手榴弾から自身が殴られるまで。最初から狙いは一つだった。魔法少女に殴られて鼻血程度で済んでいるのがいい証拠だ。普通一般人が彼女たちに殴られればひとたまりなどなく、当たり所によっては即死するのがオチだ。五メートルの飛翔と言うのも明らかに
最後の一人になって漸く彼女達は自分達が相手を侮っていたことを理解する。
今までどんな格上の相手にも仲間と力を合わせて、勇気を振り絞り倒してきた。私達ならどんな強敵とだって渡り合える――はずだったのに。一緒にこの街を守ろうと約束したはずの仲間は、既に討たれてしまった。この目の前の少年によって。
悔しくないわけがない。理由も、目的も告げずに私たちの前に現れた彼。力を持たないくせに、二人のことを倒した彼。ギリギリと歯を食いしばる。噛み締めている唇は既に破れて、朱色の血が溢れているが本人に気付く素振りはなかった。それほどまでに彼女は、名前も知らない目の前の少年が憎いのだ。
今まで出会ったどんな怪獣よりも。
今まで出会ったどんな怪人よりも。
今まで出会ったどんな人間よりも。
これほどまでに、心の底から憎んだことはなかっただろう。魔法のステッキは今や人を殴るための鈍器にしか見えなくなっているし、倒れている二人のことを介抱する余裕なんてあるはずもなかった。
いつの間にか彼の流していた鼻血は止まってしまっている。その間二人に動きはなかった。どちらも空いて様子を窺うばかりで、一向に攻撃を開始しない。魔法少女は彼が使う奇策を用心しているようだったが、彼にはもう策と呼べる策は残っていなかった。
代わりに彼は彼女達のことを考える。三か月の間誰に知られることもなく、誰に褒められることもなく、誰に慰められることもなく、孤独を三人で分かち合ってきた彼女達のことを。物語の主人公になりえる彼女達のことを。
彼は瞼を閉じ小さく、そして長く息を吐いた。腹の底から、肺胞の一つ一つから酸素を全て吐き出すようにして。しかしきっとこの拳は届かないと理解する――だからこそ。
彼の視界はやがてゆっくりと動き出す。左の瞳で彼女を捉えながら、右の瞳に走馬灯を映して。
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