呑まれる前に

さが あさひ

プロローグ

「やはり、このままでは駄目でしょう。」

年の頃30代くらいの女性は、そう呟いた。

「そうだな。残念だけどね。」

こちらも、年の頃30代くらいの男性がぼそっと答える。

「難しいものですね。」

二人はそう言い合って溜め息をついた。

「また、新たに作るしかないようだな。」

男性がそう言うと、女性の方がうつむき加減で

「悪い事をしたわ。ちゃんと育ててあげられなかった。ごめんなさい。」

「当局に申請しよう。」

二人は頷き合った。


1.

小学6年生の宮木明日香は、溜め息をついた。

「何でうちは、こうなんだろ?」

自分の部屋が無い事に嘆いていたのである。

「みっちゃんちはいいなー。」

友達の名前を呟く。みっちゃんの家はお金持ちで、とにかくいい家に住んでいる。

もちろんみっちゃんの部屋もあって、何でも揃っている。羨ましくて溜め息が出る。

「まあ、携帯は中学になったら買ってくれるって言ってたから、それまで我慢しよ。」

独り言でストレスを発散させるのは、明日香のルーティンだった。

上を見たらキリが無いのは、わかってはいる。親のいない子供もいる。暴力を振るわれて命を落とす子供だっているのだから、と思ってはみるものの、中々納得はいかない。

世の中の、不平等を嘆かずにはいられない。

「またトイレでブツブツ言ってるの?怖いから。」

母の早苗が明日香に文句を言う。

「いいじゃん別に。誰だって独り言くらい言うでしょ?」

本来は、自分の個室があればそこで言う。

無いのだから仕様が無い。と明日香は、心の中で反論する。

明日香の家は2DKの借家暮らしだ。家族は3人。

母の早苗。父の康隆。そして明日香。

友達のみっちゃん家と比べるのはさすがに悪いと思うが、せめてもう少し何とかなるんじゃないか、と考えてしまう。

「お父さん帰って来たら、ご飯食べに行くから、用意しておいてね。宿題があるなら、終わらせておいてよ。」

母にそう言われて仕方なくリビングに戻る。

「へいへい、やりますよー。」

明日香は、宿題の漢字ドリルを開いて、また溜め息をつく。

毎日が面倒くさい事の連続だ。

生きる事は、面倒くさい。

どうして人は生きるのだろうか?

そんな事を毎日のように考えてしまう。

この世に生を受けたなら、全うしなければいけない。なぜなのか、とかそんな事はわからない。けれど、どうやら自分なんかには計り知れない大きなものがカラクリとして存在しているように感じる。

6年生の明日香にとっては、自分ではどうにもできない何か大きな流れ。

生きる事はそういう事だと結局解決には至らない所に辿り着いてしまうのだ。

たまに外食したり、そんな風に生きられている事は、幸せな事だと、有難い事なんだって思いたい。

そう言い聞かせて、毎日をやり過ごしている。

明日香は、宿題のドリルに鉛筆を走らせた。


夕方、父の康隆が仕事から帰宅。

月に一度は、康隆の知人の経営する和食店へご飯を食べに行く。

家は、別に裕福なわけではないが、たまにこうして外食をしに行く事を父は決めていた。

父の中にいくつかのこだわりがあるのだが、これも、そのうちの1つだ。

明日香が幼い頃から続いている習慣だった。


外に出たら、夕暮れ時の空は、暗いピンクから、うっすらと群青にグラデーションしており、その向こうに闇が待ち受けているようで、少し怖いような気持ちになった。

でも、家族が一緒にいてくれるなら、大丈夫と思えたのだ。

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