第43話 逃避行


「グレナドの実や!」


 あれから暫く進んだ僕たち。だが景色は一向に変わらずに見渡す限りの木木木。


 その中でも比較的普通サイズの木になった実を指さして、ジェニは「ラッキー」と声を上げた。


「グレナドの実?」


 見た感じナッツ類のようだ。固い殻に覆われている。


「栄養価高くて、日持ちもよくて、沢山血を作ってくれる!冒険者だけやなくて貧血気味の奥さんまで大人気の食べ物や!」


 万能食品ってことか。「へぇー」と相槌をうち、ジェニが何個か木から取って来たものを受け取った。


「結構固いなこれ」


「繊維に沿って割るんやで!見とってみ!」


 なかなか割れずに苦戦していると、ジェニがパキッと割り方を教えてくれた。なるほど、コツがあるみたいだ。


 実を食べてみると、まぁまぁ普通のナッツ類って感じの味だった。いや、普通よりは少し濃かったかな。きっと栄養が多いからだろう。


「このなんとも言えやん味!近くにはこれだけしかないけど、探せばまだあるかもな!」


「なんか中途半端に食べたらお腹空いてきたね。昼休憩にしよっか」


「いぇーい!」






 無限の火打石を取り出したジェニは、土がむき出しになったところに焚火を焚くと肉を焼き始めた。


 あれだけいっぱいあったミミーアキャットの肉もこれで最後だ。


 ジュウゥゥ


「「いただきます!」」


 何度嗅いでもこの香りは食欲を掻きたてる。「うまいうまい」と無邪気な声が森に響く。


「そしてこのランチのメインディッシュ、ストロベリスの肉でございまーす!」


 焼き上がった肉からは、焼き苺のような甘い香りが漂ってきた。ストロベリスは名前の通りイチゴを好む。だからその身までイチゴ味になっているんだろうという想像がはかどる匂いだ。


 串刺しにしたその肉にジェニと交互に噛り付く。


「イチゴだ!!」


「イチゴや!!」


 食感は肉。なのに味はイチゴ。なんとも奇妙な感覚だ。だけど美味い。ジェニと共に初めて味わう感覚に舌鼓したづつみを打つ。


 







 僕たちは食後の休憩と、木にもたれかかって座っていた。一体何年あればここまで大きく育つのかは分からないけど、こうしていると安心感に包まれる。


 暫くそうしていると、満腹のせいもあってか次第に睡魔がちらちらと様子をうかがいだして、僕は舟をこぎかかっていた。


 ジェニもうつらうつらとしている。


 ピーン!


 その時僕の眼は確かに何かを感じ取った。おぞましく強大な何かを……


 それはこの平穏を一瞬にして破壊していくであろうと、脳ではない何かが必死に警鐘を鳴らしていた。


「ジェニ!!戦闘態勢!!」


 叫んだ。いやっここは得体の知れない何かを刺激しないためにも、静かにしていた方が良かったかもしれない。ただ僕は全力で叫ぶことを選んだ。ジェニに危機を知らせることを。


 隣を見ると、ジェニは口よりも早く行動に移していた。僕に何事かと尋ねる前に、素早く立ち上がって剣を構えていた。


「ガルルルルルルゥゥゥゥ」


 重低音の唸り声をあげて闇の中より出でしは、体長3メートル弱、その巨体とずっしりとした動きから体重は340キログラムは超えると思われる、ジャングルの王者サーベルタイガーだった。


「ヤバい……アニマ、逃げやな……あれには勝てん……」


 発達した犬歯は、サーベルという名前に相応しい鋭利さを見せて影の中に怪しく光る。


「ガルァ!」


 ザクッ


 身もすくむような咆哮ほうこうと共に繰り出された前腕の鋭い爪によるひっかき攻撃を、ジェニは間一髪でヒュッと躱した。


 あれだけ安心感があった木に深々と爪痕がつく。


 なんて速さと力だ!まともに食らったら一撃で命が消し飛ぶぞ!


「逃げよう!ジェニ!!こっちだ!!」


 いくら逃げると言っても、闇雲に逃げては道に迷ってしまう。そうしたら土地勘のない僕たちはお終いだ。じわじわと追い詰められてしまうだろう。


 そうならない為にもなるべく正規ルートから逸れてはいけない。それに正規ルートはけもの道とは言え道がある。


 まだ足を取られる心配も少なくて済むんだ。僕はそのことをジェニに伝えた。


「はぁ……はぁ……!」


 全力で駆けているせいで息が上がる。だが止まるわけにはいかない。


「ジェニ!右へ跳んで!!」


 ビュンッ。次の瞬間ジェニの左側に鋭い爪が振り下ろされる。


「どう足掻いたって奴の方が足が速い!このままじゃジリ貧だ!」


「アニマこっち!!あの木の下スライディングで抜けるで!!」


 後ろを気にしながら走る僕と、前を向いて状況と進行ルートを逐一報告するジェニ。


 そのジェニが木の下を抜けると言った。目の前には大きな木が横に倒れている。なるほど、確かにこの下を潜り抜けたら、奴は迂回するしかない。


 ズザァァ。


けた!?」


「うん。止まった……」


 木の裏でジェニがホッと一息つく。


「いや……ダメだ!!走ってジェニ!!飛び越えてくる!!」


 よろけながらも全力で前へ。次の瞬間さっきまでいた場所にドシンとサーベルタイガーが着地した。


「ひっ!あっぶね!ジェニ、ルートは!?」


「あっとる!!けど、このままじゃく前に追いつかれる!!」


「……一か八か木の間をジグザグに走ろう!!奴は自重が重いせいでカーブを曲がる時に必ず減速する!!軽い僕たちが有利なように逃げるんだ!!」


 サーベルタイガーの行動を逐一報告しながら、ジェニにそう言うと「分かった!!」と木の間を縫うように走っていく。


「「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」」


「左に避けて!!」


 ビュンッ。


「くっそ!しつこい!!なんでこんなにしつこいんだ!!」


「分からん……でも、きっとこいつめっちゃ腹減っとる!!目ぇ血走っとるもん!!まるで目の前で美味しい肉をお預けされた子供みたいな……」


「なんそれ!?僕たちが肉ってこと!?飢餓きが状態ってこと!?」


「ちゃう!!腹は減っとるけど、痩せとらん!!」


「……はっそうか!肉を焼いたから……!?こいつ僕たちが焼いた肉の匂いで腹を空かせたんじゃないかな!?」


「はぁ……はぁ……やとしたらもっと早く出発しとくべきやったな!つい油断しとったわ!」


「いや、ご飯にしようって言ったのは僕だ!これは僕のミスだ!!」


「いやアニマのせいじゃないやろ……アニマ後ろ!!」


「わわっ!」


 ビュンッ。しまった、少しお喋りが過ぎたか。危うく脳みそが右脳と左脳に物理的に分かれるところだった。


「くっそぉぉおおおお!!」


 走る。走る。我武者羅に走る。息が上がろうと、肺がはち切れそうになろうと全力で。少しでも足を遅めたらその瞬間冒険が終わる。


 もうとっくに正規ルートは見失っている。現在地も分からない。下手をしたら第2層側の階段へと逆戻りしているかもしれない。


「アニマ真っ直ぐそのまま走って!!」


「分かった!!」


 僕と並走するジェニは剣を握り締めると、縦に回転しながら跳躍ちょうやくした。全力疾走していたこともあってか、その勢いは凄まじいことになっている。


 そして頭上にあった巨大な枝を一刀に斬り落とした。


 ドォン……


 枝は質量を持って、サーベルタイガーの頭上に落ちた。


「凄い……!」


「グルルルゥァァアアア!!」


 サーベルタイガーは巨大な枝の下敷きになって、苦痛の悲鳴を上げる。いや、怒りの咆哮か。


「やったか!?」


 僕の問いに、スタッと華麗に着地したジェニは「ちっ」と舌打ちする。


「はぁ……はぁ……あれやとすぐ出てくる!!ダメージも多分たんこぶ程度や!!それより、余計怒らせてまった!!」


 ジェニの言葉通り、サーベルタイガーはすぐに出てきて、「ガァァアアアア!!」と咆哮を上げた。


 少しは距離を稼げたが、奴は怒りに任せてペースを上げた。今まではスタミナを気にしていたようだ。


「まだ力を隠してたのか!!ジェニ、まずいよ!!」


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……そやな!!」


「はぁ……はぁ……ジェニ、スタミナが!!?」


 横を走るジェニはもう、息が完全に上がってしまっている。さっきのアクロバットがとどめになったんだ!


「こんくらい……修行に比べたら……まだまだ……!」


「左に避けて!!」


 ジェニは咄嗟に避けようとして……ふらついた。疲労から足を取られてしまったようだ。


 肥大した筋肉から放たれた致死の一撃がその背中に迫る。


「ジェニ!!!」


 間一髪その手を引くことに成功した。鋭い爪が逃げ遅れたジェニの髪を数本散らす。


 ヤバいヤバいヤバいヤバい!ジェニはもう限界だ!!


 だが打つ手がない!


 このまま走って、その先に何か……現状をひっくり返す何かが……


 僅かな期待を胸に、ジェニの手を引いて一心不乱に走る。


 その時、パァァァっと視界が開けた。それは僥倖ぎょうこうか或いは……


「はぁ……はぁ……そんな……」


 開けたと思った目の前には足がすくむほどの高さの崖。大きな川から流れた水が落ちて滝になっている。


「グルルルゥゥゥ」


 後ろからは勝利を確信したのか、ネズミを追い詰めたと思ったのか、低くうなるサーベルタイガーがのっそのっそと現れた。


 笑うという行為は本来、牙を見せて威嚇するという行為から来ているらしい。


 圧倒的存在感を放つサーベルタイガーは今、確かに笑っていた。


 狩りの大詰めを意識したのだろうか?それとも惨めな獲物を嘲笑ったのか?


 


「ジェニこうなれば一か八かだ!!僕が右に出ておとりになるから、その間に左に走って!!」


「嫌や!!そしたらアニマは…………絶対嫌や!!」


「でもこうするしかないんだ!!言う事聞いてジェニ!!お願いだから!!」


「前!!!」


 その瞬間、世界はスローモーションになっていた。僕の脳はやけに冷静になって状況を観察する。


 目の前には高速で迫る巨体。サーベルタイガーが振りかぶった前腕が今まさに振り降ろされようとしていた。


 ほとばしる汗が宙を舞うのが見える。サーベルタイガーの見る者全てを恐怖させる顔が、その毛並みが、動きにつられて波打つ様まで見える。


 ああ、しまった。


 僕はまた同じ失敗を繰り返してしまった。お喋りに気を取られて前方への注意が疎かになっていた。


 ただ例え注意していたとしても、この一撃はきっと躱せなかっただろう。


 だって背中にジェニがいるのだから……


 僕の背中に……ジェニが……


「……え?」


 間抜けな声が出た。


 背中にいると思っていたジェニは、気が付くと僕の前に立って剣を構えていて、背中で僕を後ろへ突き飛ばしていた。


 何が起こった!?


 ……!?


 地面から足が浮いた瞬間、スローモーションは終わり落下の感覚がこの身を襲う。


 ジェニも僕の上を後ろ向きに落下している。


 下は滝壺だ。確かにあのままあそこにいるよりは、助かる可能性は高かったかもしれない。


 流石ジェニだ。高所でも迷わずジャンプできる君は、僕が除外していたもう一つの選択肢を僕の代わりに選んでくれたんだね。


 重力加速度は誰にだって平等だ。水面は凄まじい勢いで迫りくる。


「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!」


 ドップーーーンッ!!


 激しい音と水柱を立てて、意識はそこで途絶えた。






【余談】

グレナドの実は大変人気で、軽く炒めてピリ辛に味付けをしたものが、酒のつまみにブームとなっている。

決して絶品と呼べるほどの味ではないよくあるナッツ類だが、栄養価が段違いで、富裕層の中年男性や、貧血を気にする中年女性が好んで食べる傾向にある。

一度に大量に採取できるので、庶民の間でも少量なら出回っている。

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