さよなら。さち子

よしの

第1話 今日は朝から気分が悪い

 

 今日は朝から気分が悪い。

 理由は知ってる。二ヶ月ぶりに彼と会うからだ。


 この二ヶ月、彼とはまともに連絡を取ってない。生存確認だけはかろうじて。だから、生きてるって事はわかる。



「フラれるって分かってるのに、会うのって気分重くない?」



 前、会った友達にも言われた。そんなの言われなくてもわかってる。

 それでも朝から準備して、化粧バッチリ。シャワーも浴びて、下着もおニュー。滅多に穿かないスカート穿いて、買ったばかりのブラウスで、そそる谷間を作り出す。鏡を見ながら全身チェック。思わず「おいおい」って、鏡の中のお姉さんに突っ込んだ。



 お前は抱かれに行くのかい?



 何か期待してるんだろうか? いや、そんなハズはない。まあ自分のプライドの為だろう。着替えるのも面倒なので、そのまま行く事にした。最後、鏡に向かってニッコリと微笑えむ。



「うん、かわいい」



 2秒後の素の顔が本当の私。期待してるんだろうな。そうじゃないって事に。



 彼からメールで「話がある」と送られて来た時から、何となく予感はしてた。「会いたい」じゃないんだ。彼から連絡が来る時は、いつもその言葉があった。


 期待? 何をかな? 彼の事そんなに好きなんだろうか?


 多分そうでもない。この二ヶ月の事を思うとよくわかる。いなくてへーき。

 彼の事、そんなに好きじゃない。なら丁度いいのかもしれない。

 けど、やっぱり何かダルいと思って昨日 彼にメールした。


「会わなきゃダメかな?」


 会わなきゃダメらしい。会ってちゃんと別れを言いたいとは律儀な奴だ。彼と付き合った事は、あながち間違いではなかったようだ。

 相変わらず家を出る気は全く起きなかったが、滅多に履かないヒールを履いて気分を上げた。ドアを開けるといい天気。今日の私には余計なお世話。



「っしゃ、行くか!」



 とは100%ならないが、おしゃれしてる事が救いになった。



 駅までの道を歩いていると奇妙な木が見えて来る。アパートの階段下から生えている妙な木だ。その木は絶妙なカーブを描きながら育ったようで、階段下を上手にくぐって、道路に向かって伸びている。なので、その木は道路にハミ出しているのだが、通行の邪魔にならないように上へ上へと伸びている。丁度そこだけ屋根が出来たみたいで、急な雨には丁度いい。にしても奇妙。出来るなら、そうなる過程を見たかった。


 商店街に入ると見えてくる年季の入った八百屋さん。新しくラーメン屋が出来てもすぐ潰れるのに、この八百屋さんだけはずっとある。見る限り、お客さんは多くない。それもほとんど常連さん。売り買いしてる声よりも、世間話の方がよく聞こえる。そもそも何でスーパーあるのに八百屋さんで買うんだろう? 私にはない価値観だ。


 必ず通る花屋さん。花屋のおばさんが、じょうろで水やりしてる。綺麗な黒髪を可愛らしいシュシュで束ねている。おばさん、昔モテただろうな。遠目からでも整った顔立ちがよくわかる。歳は40後半くらい? 見た目は全然30代。女盛りは続いてる。


 普段なら気にしない。気にもしない。いつもの通り、いつもの景色。

 けど、今日はなんだか目に止まる。



 会いたくないな、会いたくないな。



 頭の中で言葉が回る。



 改札を抜けてホームに上がると、タイミングよく電車がやって来た。

 車両の中は適度な混雑。席には座らず、ドアの近くを陣取って座席の端に体を預けた。窓を鏡代わりにして何となく髪の毛を触る。さら髪で、ほんのり明るいロングボブ。毛先だけ ちょっと内巻きで、口元に少しだけ掛かっている。


「キャラじゃないよね?」


 って、旧友達には笑われる。けど、いいの。それが彼の好みなの。



 そのまま車窓を眺めていると、知らない誰かの視線を感じて虚ろい気味に息を吐く。顔を向けると卑猥な視線が下を向く。日頃、マキシ丈を好む私にとって、膝上10センチは かなり攻めた方。けど、久々に出した太腿ふとももは別にお前らの為じゃない。普段なら睨みのひとつも効かせてる。けど今日は仕方ない。今日の私はレベル高い。早起きした甲斐があったみたい。



 待ち合わせ場所はおしゃれ街のおしゃれカフェ。何か見覚えあるような。

 お店に入ると、首を左右に二度三度。

 彼はもういた。テラス席から、ぎこちなく手を振っている。


 「よっ」と一声。「久しぶり」と二声。


 席に座って彼を見る。ちょっと真剣、目が怖い。頬が痩けてる。眉毛の角度がいつもと違う。


 アレ? こんな所にほくろあったっけ? てか、こんな顔だったかな?


 彼の顔をじっくり見たのはいつぶりだろう。案外始めてかもしれない。

 会うなり凝視して来る私に向かって「なに?」と聞かれて、慌てて視線をぶん投げた。

 彼が手を上げると、媚びてる風の若い店員がやって来て、私には見向きもせず彼にだけ愛想を振りまく。何か、この子も初めて見た気がしない。

 メニューも見ずにコーヒーを頼むと「コーヒー飲めるんだっけ?」と彼に言われて、一瞬ヤバっと思ったけど、まあいいや。今日の自分のスタンスがなんとなくわかる。仕事モード。飲む気ないから頼んだの。だから当たり障りのない物を選んだ。彼の方を見ると、オレンジジュースを頼んでいた。


 えっ? オレンジジュース?


 お前、オレンジジュースなの? 何かこう、アイスコーヒーみたいなのじゃないんだ? 別れ話するのにオレンジジュースなんだ。へーそうなんだ。


 コーヒーが来るまでに話を終わらせよう。


「で、なに?」


 余計な会話は挟まず本題に入った。彼は言いにくそう。な、雰囲気。俯いていて視線が合わない。コーヒーが来た。はえーよ。

 頭 軽そうに見えたその子も一応仕事は出来るらしい。ふいにコーヒーに手が伸びそうになって慌てて引っ込めた。彼は……まだ下がった視線は上がってこない。少しイライラ。組んでた足が落ち着きなく踊りだす。


 私、怒ってる?


 恐らく彼にはそう見えてる。少なくとも今日は可愛い顔は用意していない。

落ち着きなくストローの袋を開けて、オレンジジュースを飲み始めた。仕方なく、椅子にもたれたままコーヒーに手を伸ばした。



「結婚しないか」



 視線はカップに向いたまま。カップに付けた口もそのままだ。そのままで、ゆっくり視線を上げてみた。彼は……今度はちゃんと見てる。少し半開きになった口で、彼は続きを話した。


「俺、思ったんだ。ここ暫く会わなくなって、俺達このまま付き合ってていいのかなって。だからわざと連絡取らないようにもしてた。けど、気づいたんだ。俺には、さっちゃんが必要なんだって。本当に必要な人なんだって、その事に気づいたんだ」


 なに言ってるかはわかんない。必要なんちゃら? だけはかろうじて。


 だから、と続けたあと彼は、もう一度「結婚しよう」と言った。


 コーヒーをテーブルに置くと、物臭そうに手指を弄った。それでネイルしてない事に気がついた。何で朝 気づかなかったんだろう。いつもなら絶対してくるのに。あと、コーヒーってやっぱクソまずい。砂糖とクリーム入れないと飲めたもんじゃない。いつもなら ちゃんと入れるのに。つーか、この時期コーヒーって言ったらアイスでしょ? やっぱ、あの店員使えない。


「考えさせて」


 とりあえず口だけ動かした。今の私に通常の思考回路を働かせるのは無理がある。けど、その割に返答は悪くない。私、冴えてる? やっぱ今日は調子いい。


「話って、それだけ?」


 彼がぎこちなく頷くと「じゃあ」と言って立ち上がった。そのまま店を出ようとして、入り口の扉に手を掛けた所で振り返った。彼の顔を見ておこうと思った。どんな顔をしてるのか。それをもう一度見ておきたかった。

 そう思って彼の方を振り返った時、椅子に置き忘れているバックに気づいた。その滑稽さに誰よりも自分が一番驚く。真っ赤になった顔を隠すように、床だけを見て席に戻った。バックは取ったが顔は見れない。


「また連絡する」


 それだけ言って店を出た。


 穴があったら入りたい。ないなら掘る。コンクリだろうが関係ない。深く深く掘ってやる。


 店を出た途端、腰が抜けてしまって、駅までとても歩けそうにないので、しょうがなく休日の真っ昼間からタクシーを拾った。乗ったなり「窓、開けていいですか」と断わり入れると、返事も待たず全開にした。1秒でも早く心臓の鼓動を抑えたかった。出来るなら、窓から身を乗り出して大声で叫んでやりたい。

 が、生憎そんな度胸はなく。風の音でごまかしながら、小さく唸った。




 おじさんにお礼を言ってタクシーから降りると、エレベーターまで一直線。

 とりあえずボタンを連打する。締まるボタンも連打連打。


 家の階に着くと、扉を抉じ開け玄関ダッシュ。途中で脱げたヒールは手に持った。鍵をぶっ刺して、勢いよくドアを開けると、持ってたヒールを投げ捨てた。鍵を締めるのも忘れて家に上がると、ズンズン歩きながら服を脱ぎ捨てる。パンストに爪が引っかかろうが気にしない。いや、寧ろ破いてる。

 そのまま下着姿でベッドにダイブ。ワー!っと唸って、バタ足金魚。

 バタ付いてると足の痛みに気がついた。見ると踵が少し赤い。見た目が気に入って、少し背伸びして買ったハイヒール。あんなヒール、買わなきゃよかった。




 暫く経つと落ち着いた。

 少しだけ冷えた頭で彼の事を考える。さっきの彼を思い出す。

 なんか……可愛いかった。



 会いたい。スッゴく会いたい。



 会って、とりあえず一発殴ってから抱きつきたい。


 どうしよどうしよ、ヤバいヤバい。思考回路飛んじゃいそう。




「あーっ!叫びてぇー!!!」




 けど最後、結局彼の顔を見れなかった。彼、どんな顔してたんだろう?

 思い出したくても思い出せない。


 とりあえず起き上がると、キッチンに行って冷蔵庫を開けた。すぐに空き缶が2本転がって、豪快にゲップした後、無性にシャワーが浴びたくなって風呂場に行った。

 鏡を見ると、朝とは違った人が立っていた。今日は可愛い顔は用意してない。

下着以外は。


 脱いだ下着はそのまま捨てた。三日も悩んで選んだ下着は、役目を果たさず仕事を終えた。


 

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