第3話 超インフルエンサー

鳳凰チャンネル♪




 もはや幾度となく見慣れたタイトルに、ジャジーなサウンドが流れる。




 今回のテーマは、サムネイルによれば……




 モーニングルーティンでコーヒーは飲むな




だ、そうだ。




 奇をてらった内容かもしれないが、特に悪意ある内容とは思えない。




 実際、これまでの動画においても視聴内容に有害なものはなく、動画運営元から警告を受けるような内容が配信されたことはない。




「ここから、邪徒たちになんらかの指令が送られる可能性がある。もしそうだとしたら、その指令を先回りして、獣たちの新たな発生を止めないとならない」




 ネットカフェの一室に2人、


 南澤総士(みなみさわ そうし)が、画面を凝視しながら、津軽閔莝につぶやいた。




 閔莝は無言でうなづく。




 邪徒らの動画は、日頃は、警視庁庁舎内にあるDefの本部で閲覧するのだが、孔雀院鳳凰の動画については、あらゆるリスクを考え、ネットカフェから閲覧している。




 それは孔雀院のサイトに警視庁のIPアドレスなどの痕跡を残したくないなど技術的な警戒もあるが、それよりも大きいのが、孔雀院の使う音速催眠を警戒してのものである。




 ネットカフェでの閲覧ならば、少なくとも孔雀院の声を聞くのは、ここでヘッドフォンをして閲覧している総士と閔莝だけですむ。 




 いま、2人は2人用の個室にいるため、ヘッドフォンは2つあり、それぞれで孔雀院の動画音声を聞くことが可能になっている。




 孔雀院の動画チャンネルを確認するためがゆえ、今回閔莝に同行しているのは、空域部隊の総士だった。




 総士は、Defの空域部隊のリーダーである。




 Defには3つの部隊がある。






 この鳳凰チャンネルのような、動画を配信し、それを共有するメディアに対応する、空域部隊。




 文字や画像の投稿が行われるメディアに対応する、地域部隊。




 そして、個人間でやりとりされる、メールやダイレクトメッセージ、モバイルメッセージサービス、これらメディアに対応する部隊となる、地下域部隊だ。




 この敵対複雑度は、空、地、地下の順に上がっていく。




 つまり、鳳凰チャンネルは、Defが対応するメディアのなかでは、最も対応複雑度が低いとされる空域部隊の領域だ。




 ここでの戦いは他の部隊に加えて複雑ではないが、かといって、その難度は必ずしも低いものではない。




 映像によって、視覚と聴覚に直接働きかける、このジャンルは、SNSのなかでもその影響のダイレクト性は最も大きく、そこで対戦闘が、生じた場合は、まさに空中戦といってもいい激しい戦いになることがほとんどだ。




 しかも、この鳳凰チャンネルの配信主である孔雀院鳳凰の影響力は、今日の日本トップ、いや、世界でもトップレベルであると言ってもいい。




 鳳凰チャンネルのチャンネル登録者は3億人。日本人の視聴者のみで3000万人を誇る。




 この数は日本ではトップ。日本2番手以下の配信者の登録者数が最大で600〜800万人であることを考えると、孔雀院のインフルエンサーとしての影響力が桁違いであることがわかる。




 孔雀院の知名度はもはや芸能人以上であり、海外の雑誌では、「21世紀、アメリカ大統領より有名な日本人」として、紹介されたほどである。




 この孔雀院が音速催眠の使い手で、直接相手に声を届けずして、相手を催眠状態に堕とすことができるのだから、その影響力は日本のみならず世界でも計り知れない。




 音速催眠が使えるのは、今日、世界では孔雀院の他に閔莝しかいない。




 Defに属する技士はいずれも凄腕のものばかりだが、これら手練れの部隊のうちでも、孔雀院の音速催眠に直接対抗できるのものはいない。




 しかし、可能性の話でのみいえば、音速催眠を使える閔莝のみが、孔雀院に対抗できる可能性が高く、がゆえに閔莝はDefの3部隊のいずれにも属しておらず、すべての部隊を縦断する全域隊員とされている。




 全域隊員は閔莝を除けば残りは3人しかいない。


 他の3人はもちろん音速催眠は使うことはできないが、個々に突出した催眠を使うことができる。




 全域隊の4人は、それだけ選抜された技士たちだが、閔莝はDefのなかではまだまだ、ひよっこだった。


 Defに入隊してまだ一年もあまりであるし、年齢もチーム最年少レベルの17歳である。




 閔莝の音速催眠は、孔雀院に対抗するためのDefの希望の源泉ともなりうるが、まだまだ、その能力を使いこなし切れているとはいえず、同じ音速催眠であっても、その術の熟練度は孔雀院とは天地の差である。




 いまもしも閔莝が孔雀院と直接対峙することになれば、閔莝は、たちどころに孔雀院の音速催眠によって闇に堕とされてしまうだろう。




 ただ、現状では、その危険は低い。




 なぜなら、いまだ孔雀院がDefの技士に直接手を下したことはないからだ。




 孔雀院は自分の配下となるものたちに指令を与え、彼らが孔雀院に代わって人々を闇に堕としてきた。




 この配下たちを孔雀院は聖徒と呼ぶという。




 人々を闇に堕とす悪魔のような面々を聖徒と称するなど、ふざけた話であり、がゆえに、Defは彼らのことを邪徒と呼称する。




 孔雀院は配下を聖徒と呼ぶことは、自らを神の化身のように考えているということだろう。しかし、悔しいかな、孔雀院の力は一般の人間では覆すことが不可能であるまでに、孔雀院の能力は神がかっている。




 その能力こそが極限的なレベルに高められた音速催眠の力である。




 その力は、同じく人間離れしたDefのメンバーのあらゆる能力を持ってしても抗うことはほぼ不可能で、同じ音速催眠の力をもつ閔莝であっても、いまの実力では対抗することはできないだろう。




「皆さん、ごきげんよう」




 画面越しに笑みを浮かべた男が現れたーーー孔雀院鳳凰。




 孔雀院の部屋の一室か、高級マンションのリビングのような場所に孔雀院が1人。いつもの景色だ。




「本日のテーマは、モーニングルーティンでコーヒーは飲むな、です。皆さんは、朝、コーヒーを飲まれますか。僕は、コーヒーは飲みますね。キリマンジャロが好きですねえ。ははは、冗談です」




 軽妙な語り口で、爽やかに語りかける。早口でもゆっくりでもない、速度。この話し方が、女性視聴者のハートを掴んでいる、という話が、どこかのネット記事に載っていた。




「さっそく本題に移りましょう。なぜ、朝コーヒーを飲んではならないのか、それはね…」




 孔雀院が微笑みながら、やや下を俯く。




「まずい、くるっ!」




 総士がブラウザのウインドウを閉じた。




 孔雀院の笑顔がモニターから消え、デスクトップ画面に設定されているイルカの写真が画面を埋め尽くす。




「画面を閉じてしまうと、孔雀院が何をしようとしているのかわからないよ」




 閔莝は、総士の顔を覗きこみつぶやいた。




「わ、わかってる。ただ、ここで孔雀院が音速催眠を使ってきたら、俺たちにそれは抗えない」


「そうなれば、俺が総士さんに音速催眠を共振させて防戦する」


「お前はどうする? 俺を守っていては、お前自身が孔雀院の音速催眠を防ぐことはできないぞ」


「そのときは、総士さんが俺にかけられた催眠を解いてくれよ」




 閔莝がいたずらっぽく微笑んだ。




「気軽に言うな。お前が孔雀院の術に嵌められたら、そう簡単に解けるものじゃない。かけられた術はその術をかけた本人以外に解くことができない、というのが催眠の基本なことはお前も、わかっているだろう?」


「普通はね。しかし総士さんは違うだろう」




 そう、南澤総士のもつ超催眠の能力は、他者にかけられた催眠を解くことができるというものだった。




 催眠にかけられた被術者は、その催眠をかけた術者だけがその催眠を解くことができる、というのが催眠の大原則である。




 ゆえに別の術者が被術者に別の催眠を重ね、かけられた術の効果を薄めるようなことはできても、そのかけられた最初の術を消し去ることはできない。




 これは壁に塗られたペンキの上に別の色を重ねているに等しく、この重ね塗られた色が剥がれ落ちると、その抑止効果は再び失われる。




 それほどまでに最初にかけられた術の効力は強固なのである。




 しかし総士のもつ超催眠は中和催眠と呼ばれ、この超催眠は、被術者にかけられた既催眠に対しての独自の効果を発揮する。




 中和催眠はすでにかけられた術のなかに入りこみ、そこに新たな術を混ぜ合わせることで、術の効果を消滅させるのだ。




 いわば、中和催眠は、壁に塗られたペンキに中和剤を塗り、そのペンキそのものを消すようなものである。




 この中和催眠を使える技士は、現状、Defのなかでは総士しかいない。




 しかし、この術にも欠点はある。


 それは中和に失敗すれば、既存の催眠を除去できるどころか複雑化し、場合によれば悪化、最悪の場合は、もとの術をかけた邪徒であっても、それが解けなくなることさえある。




 そうなれば、その術はほぼ生涯に亘り、被術者の身体から離れることはなくなり、その身体と精神を蝕んでいくことになる。




「閔莝、ここでの術者は孔雀院だ。俺の中和が失敗したら、お前は孔雀院の闇から一生出られなくなるかもしれないのはわかってるだろう」


「はは、総士さんを信じるしかないよ。そもそも、今回、孔雀院が音速催眠を使ってくるかわからなし、使ってきたとしても、それほど強固な術をつぶやいてくるかわからない。普通のレベルなら、総士さんにはそれほど難しくはないだろう?」




 閔莝は、中硬度以下の催眠を中和除去するにあたっては、総士がこれまで一度も失敗したことがないことを知っている。




「軽く言うんじゃない。孔雀院の今回の術の硬度が低いかどうかはわからない」




「それを確かめてみるにはもう一度再生してみるしかないよ。そもそも、孔雀院が動画内で音速催眠をかけることはほとんどない。総士さんの思い過ごしかもしれない」




 総士は孔雀院がうつむこうとした瞬間にすぐに動画を止めてブラウザを閉じた。その後の動きは、まだ確認できていない。




「たしかに、孔雀院がこれだけの登録者を集めて以降、動画内で音速催眠を使うところは見たことがない。記録が残る動画で、誰も気づかないとはいえ、これ以上、自分の術の痕跡を残したくないのもあるもしれない。だが、今回は俺はなんだか嫌な予感がしたんた。だから動画を閉じた」


「単に心配しすぎなだけかもしれないだろう。とにかくもう一度再生してみよう。孔雀院が音速催眠をかけてきたら、即座に俺が総士さんに音速催眠をかせて音を共振させ効果を消す。孔雀院がいくらすごいとは言え、奴ははるかかなたの場所にいてしかも録画された動画を画面越しで語りかけているだけだ。それに対して俺は総士さんの真横だ。さすがに孔雀院に負けやしない。でも、総士さんに術を向ける俺は無防備になってしまう。だから、総士さん、もし俺が孔雀院に術をかけられたら、それを必ず解いてくれ」




 総士は目を閉じてしばらく考えるように腕を組んだ。




「わかった。もう一度見てみよう」




 総士がマウス操作でブラウザをダブルクリックし、動画チャンネルに移動し直す。




 そして再生。




 ジャジーなリズムとともに、シャープなフォントでデザインされたタイトルが再び2人の目の前に現れた。




 鳳凰チャンネル♪

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