第拾一話 ラブコメは分からん

「いつかくる別れを育てながら……生きていく二人に必要なものは、なんだかわかるかい?」


 窓から差し込む赤い光が、振り向いた彼を包んでいる。

 夕日と綺麗に並んだ机。

 今、この教室には私と彼、二人しかいない。


 必要なもの? なんだろう……私は目を閉じて考えてみる。

 だけど、答えはなかなか浮かんでこない。


 彼が私に言う。


 「それはね、恋と……状況さ」と。


 ——その時の彼の表情をなんていえばいいだろう? 私の視線は吸い込まれるように釘付けになり、動かせなくなった。


 どこか寂しくて、でも決っして悲しみのない顔。

 透き通った透明な笑顔。

 それは、真っ赤な夕日に照らされた教室と言う舞台に立つ役者にも見えた。


「……難しいよ、……恋なんか知らないし」


 私は口を尖らして出来るだけ意地悪に言葉を返す。

 そうでもしないと、いつまでも彼を見つめていそうだったから。


 「ごめん」と彼が、手を差し出してくる。


 またさっきとは違う笑顔が私を見ている。

 不思議な人だと思う。

 沢山の笑顔を持つ彼、まるで違う人間が何人も体の中にいるみたいだ。


 うーん、……彼の差し出している掌を見る。

 ここで、すぐに手を出すのは、なんだか負けたような気がしてはっきり言ってシャクだ。

 だけど……結局は同じ、か……と思い。できるだけゆっくりと彼の右手を握る。

 少しでも、らすぐらいはしたいから。

 私は彼に嘘をついた。

 知らないんじゃなく……理解できていない。

 これが恋なんかなんて分からない。

 だって初めてだから。

 私の胸が、耳鳴りがするぐらいにドキドキし始める。


 二人は手を繋いで歩き出す。

 真夏の夕刻の一瞬。

 見えない明日に向かって歩き出した。





 ————————————————————






 ここまで書いて、時折明トキオリアカリはペンを机に置いた。窓の外から入ってくる夏の夕刻の日差しが、机の上にある今しがた彼女の書いていた小説をフワリと照らしている。


 うーん、と右手を高く上げて背伸びをして、誰に言うでもなく話し出す。


「いやマジ、ラブコメの書き方が分からん。恋とはなんぞや? 状況? なったことない。美味しいのか? それは……はあ」


 ため息をつきながら手を下ろす。

 そこに聴き慣れた親友の声が。


「アカリー! 帰ろー!」


 元気そうな声は、短く切り揃えられたショートボブの女の子からだ。


「シオリー、もう部活終わったの?」


 私の机の隣に来て、シオリはノートを覗き込んでくる。

 シオリは、私が趣味で書いている小説の唯一の読者だ。


「まーた、なんか変なもの書いてんでしょ? 大体、今時……ノート、紙に書く?」


 屈託なく笑うシオリを見る。私はこの笑い顔が大好きなんだ。


「うるさいわねー、いいでしょ。好きなのよこれが」


「わからなーい。だって、めんどくない? アカリもたまには運動し? 体を動かす方が楽しいよー」


 まあ、確かにめんどくさい。シオリの言う通りだ。

 時々、どうして書いているのか迷う時もある。

 でも、自分の書きたい事が書けた時の感覚は何事にも変え難いのだ。

 これをシオリにうまく伝えるのは……海に逃げた小魚に石を当てるより難しい。


「いいのよ。楽しいから」と簡単に返し、私はノートをカバンにしまいながら立ちあがる。


「アカリ! 渋谷で美味しいタピオカドリンク発見した! 帰りに行こう!」


「タピオカって、結構カロリーあるのよねー、どうしようかなー」


「いいじゃん! アカリ全然、細いよ? 行こう! 行こーう!」


 アカリの手を取り走り出すシオリ。


「わかった、わかった! 行くから!」


 二人の笑い声が学園に転がる。

 蝉の声がした夏の日の午後。

 時折明のある日の一ページ。


 遠い遠い日の一瞬。


 夏の夢の午後。






 ……







 …………








 …………







 そして、今。




 時折志郎の現在。





 剣と剣が。






 ぶつかる。









 ……








 …………








 ……………………









 ——ドンッ!!!!







 爆散する大地眺めながら、私は宙で体制を整え眼下を見る。

 地を剣でエグった男、シローは構え直し、飛び上がり私に迫る。


 ——ガ、ガガガ! ガッガガ!


 ソラで剣と剣が何度も打ち合う。

 魔素を纏う剣がぶつかる度に輝き、煌めく。


 ——ガンッ!


 お互いの渾身の力で振り下ろした剣が空中でぶつかり、生まれた衝突から二人は吹っ飛ぶ。

 転がり巻き上がる土煙。

 すぐに立ち上がり二人は構え直す。


 ——動き始めたのはシローが先だ。


 一瞬で、私の目の前に現れたシローは稚拙な剣を幾度となく振り下ろしてくる。


 ——ガンッ! カーンッ! ガッガガガ! カンッ!


 応答する斬撃。ユリカは冷静に弾き、防御する。

 第三訓練所に剣と剣が激しく打ち合う音が響きわたる。

 二つの影が、己と己の力をぶつけ合う。


「はーーーー!!」


 シローは剣を右、左と力まかせに振り抜き、すかさず下段から切り上げるが、


 ——ガツン! 


 あっさりとユリカに跳ね返される。


 だが、打ち返された反動をそのまま剣に乗せて、横に回転しながら裏拳のごとく打ち出すが、相手は器用に剣でサバき躱す。

 空に切るシローの剣。


 ——次元が違う。


 男の剣はただ力まかせに振るうに対し、受けるユリカは流麗リュウレイにして美しく必要最小限の動きでいなし、打ち返す。

 このままいくら戦っても、シローが勝つことはないだろう。

 そう言い切れる程。二人の実力は天と地ほどの差があった。


 ——クソッタレ!


 木剣を何度も弾き返され、衝撃で痺れている両手を強く握りしめる。

 もう一歩。

 まだ、まだだ。

 足を前に出す。


「あーーーー!」


 俺は広い訓練所のハシまで届くほどの叫び声を上げて、ユリカ目掛けて走り出す。


 一撃をアイツに入れる。俺はアカリのところに……過去に帰る。それにはまず、強くならないといけない。

 だから、この女、赤刀ユリカに師匠なってもらう。


 ユリカは言った。


「『一撃入れる事ができたら弟子にしてやる』」と。


 始まる前は……いくらなんでも、一撃ぐらいは入れれると考えていたが、甘かった。

 ユリカは、俺が全力で振るう剣をあっさりと跳ね返し、躱し反撃してくる。

 剣なんぞ初めて握る俺にも分かる……コイツは強い。

 無茶苦茶強い。

 さっきからずっと同じ事の繰り返しだ。俺の剣は跳ね返され、躱されて一度たりともユリカの体には届いてなかった——


 水平に飛んでくる斬撃を体を沈めて躱し、立ち上がる反動で剣を切り上げるが、半身で避けられ——ガラ空きになった、俺の横っ腹にユリカの一撃が決まる。


 ——ドンッ! 


 木剣で殴られたとは思えない衝撃、ギリギリ間に合った魔素で強化した服ごしに、肋骨が悲鳴をあげる。

 

 痛みにコラえつつ右足を軸に回転し、カエシに一発放つも軽く後ろに下がられ躱される。

 俺は瞬時に、地を蹴り追いかける!


 ——ガッガッ! ガッ!


 体を前におし倒し上下、右に三連撃を打ち出すが、全てユリカの剣に跳ね返される。


 ——クソッ! 当たらねー!


 埒があかないと後ろに飛び、ユリカから距離を取る。

 空中で体勢を整え着地する……が、違和感に今更ながらに気づく。


 イヤイヤ、人としておかしいだろ。どんな、ジャンプ力だよ……

 十メートル先に見えるユリカは構えを時、静かに俺を見ていた。


 ……ん? なんだ、あれは? よく見るとアイツの全身からうっすらと煙? だろうか。何かが漂っているのが見える。

 ふと見てみれば俺の体からも、同じ様なものが湧き出ている。

 なんだ? これは?

 不思議と全身に力がみなぎるのは……こいつ、のせいか?


「それが、魔素だ。能力に使用し、肉体の強化にも使う」


 俺の疑問にユリカが答えてくれる。


「強化……?」


 頭をかしげる俺に、


「そうだ。知らずに使っているのか……あきれたものだな、シロー。魔物を殺したらその魔物の魔素が魂の器にソソがれる。そして体内にある魔素を使い、我々は戦うのだ」


 俺はユリカの説明を聴きながら首を捻る。なぜなら、俺は魔物を見たこともないし、もちろん殺した事なもないからだ。


「どいうことだ? 魔物なんか、見たこともないぞ」


「魔素は微かだが空気中にも存在している。探索者の中には……数は少ないが、己の意思で漂う魔素を肉体に取り込む事ができる者もいる。シローも多分だが……無意識にそれをしているのだろう」


 空気中の魔素を取り込んでいる? 実感はないが……なるほど。力の原因はそれか……なら、これからやる事は……、簡単だ。


 剣が届かないなら——さらに魔素を取り込んで肉体を強化すればいい。


 俺は剣を正眼に構え、更に魔素を体に注ぐ為に集中する。

 目を閉じ、空気中にあると言う魔素を探す。


 ——これ、か?


 ユリカに言われたせいか、うっすらだが何かが体の中に入ってくるのが分かる。

 これが魔素か——……俺は更に深く集中し、魔素を取り込む。




 ………




 ………………




 十メートル先で剣を正眼に構え、可視化できる程の魔素を体に纏い、その量を更に増やしていくシローを見て——私は……驚愕していた。

 目醒めたばかりの過去人が魔素を取り込み、肉体の強化ができたという話は……ないことはない。

 が、

 シローの取り込む量は多すぎる。しかも、今も魔素を器に注ごうとしている。普通、魔素に体がまだ、馴染んでない内は……あそこまで器に注ぐ事ができない。

 私も最初は苦労した記憶がある。

 なのにシローは、この訓練所の空気中にある魔素を全て取り込む勢いだ。


「ふっ」


 なぜだろうか、私は——笑っていた。

 おかしな光景だ。一人の男がこの場の魔素を喰らい尽くそうとしている。

 確かに、シローの言う通り私は本気を出してはいない。だが、それでも並の探索者なら、すでに何回も昏倒する斬撃をシローには放っている。


 それでもあいつは立っていた。


 戦い方も技も駆け引きも、知らない。

 魔物も殺したこともない彼は……立ち上がる。どうして? なんか、愚問だろう。私達、過去人は突然この世界で目が醒める。

 不安と非現実に迷う、だけどもシローは言う。


「『過去に帰る』」と。


 それが、きっとシローの強さなんだろう。

 彼と打ち合って感じる。消して折れない信念を。


 ……こんな事を考えてもいいのだろうか? 前に進みたい……って、透山さん。


 木剣を強く、強く握りしめる。


 生きたい。その言葉は言えない。だから、強く強く剣を握る。


「キーッカ! ここの残り時間は後、どれくらいだー!?」


 私は、訓練所を借りれる残り時間をキッカに聞く。


「後ですね……三十分ないぐらいです!」


「そうか……シロー! ルールを変える! 五分後に、お前の意識があり、立っていれば弟子にしてやる!」


「は?」


 ——ドンッ!


 そう言ったユリカから、あの煙が——魔素が爆発的に膨らみ弾け飛ぶ。


「ちょーとっ! ちょっと! ユリカちゃん! この施設を壊す気ですーー!?」


 叫ぶ音月さんを無視して、ユリカが俺にいう。


「さー、いくぞ? 赤刀流の真髄を味合わせてやる。そして、超えろ。全身全霊で私の剣を」


 ユリカの言葉はわかる、だが……木剣が木剣ので無くなっているぞ……あれってあり?

 ユリカの持つ剣は、魔素を纏い長大な刀に変わっていた。


「いくぞ、シロー」


 ユリカに纏わりつき膨らんだ魔素が、嘘のようにスッと消える。


 突然の静寂が辺りを支配する。


 ゆるりと、上段斜め上に刀は止まる。それは、限界まで引かれた弓の様にキリキリと引き絞られて見えた。


 あれを喰らうのはまずい。


 剣を正眼に構え、全身に魔素を巡らせて強化しつつ、防御がいつでも出来る様に意識をする。


 音がない。それは、嵐の前の静けさに似ていた。


「——赤刀一刀流、閃火、改」


 動いたのはユリカ。


 同時に斬撃がシローに走る。


 来たのは見えた、だが次には宙を飛んでいた。


 腕を交差して魔素で全力で強化。


 衝撃。


 シローは、弾かれたピンポン玉の如く、飛んでいった。




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