一章 三節 二項
いざ湯けむり
「諸君、由々しき事態だ」
組んだ両手で口元を隠すようにしながら、ジャッカルが同じテーブルに着いた俺達を見回す。
コイツ、数日に一度は何かしら話題なり問題なり持ち込んでくるよな。
「我々がサダルメリクを訪れ、既に十日。にも拘らず、そう! オレ達は、まだメインの温泉街に行っていない!」
カッと目を見開き、スマホで効果音を流すジャッカル。芸の細かさは役者ゆえか、厨二病ゆえか。
つーか、だからなんだってんだ。わざわざ全員集めてまで言うことか。
第一。
――俺、三日前に行ってきたぞ。
「な、に……?」
まさか浴場の大半が混浴とは思わなかったけど。アルレシャの宿は違ったが、アクエリアス領じゃ別浴の方が少数派なのかも知れん。
しかもハガネと鉢合わせたし。半身浴するなら、せめて前隠せアホ。まかり間違えて公然猥褻の罪にでも問われたらどうする、相手が女子中学生とか実刑判決待った無しだろうが。
「俺様とカルメンも一昨日行った。湯が滝みたいに落ちてくる露天風呂に入ってな、いや絶景絶景。酒が美味かった」
「滝行ごっこ、楽しかったですねぇ。割と勢いが強かったので、巻いてたタオルが流されちゃいましたけど」
「なんだと……!?」
まさかの自分以外全員が温泉を堪能していた事実に、浅からぬショックを受けた様子のジャッカル。
て言うか意外。いの一番、温泉巡りとかやってそうだったんだが。
――逆にアンタは、なんで行ってないんだよ。
「それは……どうせなら評判高いところに皆でと思い、下調べに忙しく……あと、混浴に一人で行くのは、恥ずかしい……」
恋人でもない異性の知己と混浴に入る方が気まずくないか、普通。
コイツの恥じらう琴線、今ひとつ分かんない。
「兎に角! 日本人たるもの、温泉とは己が身に流れる血液も同然! 諸君らには、オレが選りすぐったサダルメリクの名泉を巡ってもらう!」
流石に大袈裟。
しかも名泉って。この町の温泉、大本の源泉は全部同じじゃなかったっけ? だからこそ浴場そのものに工夫が凝らされてるワケで。
それと、喩えなのは百も承知だが、血で満たされた風呂とか絶対ヤダ。
俺達は地獄の囚人でもエリザベート・バートリでもないんだぞ。
「あの……私、スペイン人です。日系三世ではありますけどぉ」
おずおずと手を挙げ、カルメンが告げる。
初めて聞いた。でも確かに東洋人離れした容姿だとは常々思ってた。読み書きで使う文字も日本語じゃないし、こっちの世界の住人方と同じく、話してる時に聞こえる言葉と実際の口の動きがズレてるし。
「ほーん。俺様が思い描くラテン系の女性像とは随分違うのな」
胸中でシンゲンに同意。
色白だし綺麗な金髪だし、どっちかって言うとスラヴ系。
海外旅行の経験とか無いから、あくまでイメージだが。
「顔立ちはロシア人の曾祖母似だそうです。写真でしか見たことありませんが」
結局どういう血筋なんだ。ややこしいわ。
「ええい知るか! 些細な問題を気にするな、人類みな兄弟姉妹だ!」
ジャッカル、アンタ言ってること無茶苦茶だって自覚あるか。
頭が回るくせ、時々その場のノリだけで喋るからな。マイブームとかも日替わり週替わりだし。
今この時を全力で楽しもうとする姿勢には割と好感を抱くけど、振り回される側の身にもなってくれ。頭痛くなる。
「さあ立ち上がれ、温泉戦士達! 出発は十五分後! 各自準備の後、エントランスに集合!」
勢いで強引に押し通された。温泉戦士とは一体。
まあ、よっぽど楽しみに計画を練ってたみたいだし、突っぱねては可哀想。
他の面子も概ね同じ意見らしく、各々身支度に取り掛かるべく、一度部屋へと戻って行った。
「…………すやぁ」
隣で座ったまま寝こけてる約一名を除いて。
――起きろハガネ。皆で温泉行くってよ。
「…………むにゃ……寝てない、寝てない、わ」
意気揚々、羽織ったコートを翻し、先陣を切るジャッカル。
ホテルを出てから目的地までの十分少々、三割増しのテンションで絶え間なく語られる温泉関連の薀蓄。
いつもやたら長湯なのは知ってたが、ここまで風呂好きだったとは。
早口の語りを半ば聞き流しながら、適当に相槌を打って返す。
だからこそ――哀れでならなかった。
「なん……だと……」
愕然と、ジャッカルが膝をつく。
湯気で潤った空気と独特の香気が漂う、温泉街へと通じるアーチ。
そこには、つい三日前に訪れた際は無かった筈の頑丈な鉄柵と、無慈悲に佇む一本の立て札が。
『臨時休業中。現在、再開の目処は立っておりません』
どうなってんだ、中に入らせろと喧々囂々、張り巡らされた柵の前で怒声を張る数十人絡みの人垣。
程なく、そこにジャッカルの慟哭じみた叫びも加わる。
ぽつりと、ハガネが呟いた。
「…………立て札なのに……立ってないの、ね」
やかましいわ。
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