442で、A(アー)ください

ONOKEN

第1楽章

(第1話)

「合格したんだから、ちょっとは喜びなよ」。

そう姉の美樹は言うけど。遠くの山々に目をやると、まだまだ雪解けは遠そうだ。俺の心の中と同じように。

夕餉には、大好物がいろいろと並んでいる。色よく焼けている、鶏肉のもも焼にガーリックが香る。クリスマス以外で食卓に並ぶことって、あったかな。あとは、乾杯用の三ツ矢サイダー。スーパーのケーキ・コーナーから調達したと思える、イチゴショートも。主食の味付けご飯は、母さんの十八番だ。紅生姜と刻み海苔のバランスも申し分ない。

母さんが張り切って料理してくれたのは判る。高校受験に合格したのだから、もちろんおめでたいことなのだろう。でも、俺は素直に喜べなかった。


ふた月前、進路志望の最終面接の場で、担任の鈴木先生が俺に厳しい言葉をかけた。認めたくはないが、でもそれが現実になっただけなのだけれど。


「K大付属の特進科。悪いが浩太、落ちるぞ」

「先生、関係ないっす。俺、絶対受かりますから。K大付属じゃないと、ダメなんです。なんなら、一浪してもいいっす」

「浩太。お前、軽々しく、一浪なんて言うな。高校浪人がどういうものか、分かってねえな」


鈴木先生はクラスの生徒全員の成績が綴じられたファイルをざっくり開いて、俺の前に広げた。むろん、俺のページだ。

「浩太。K大付属の特進科。合格偏差値、いくつか言ってみろ」

「62、です」

「おう。それで、先月の模試。お前の偏差値は」

「・・・58です」

「ウソ言うな。55、と見えるがな、オレには」

(第2話)

蛍光マーカー、ショッキングピンクでしっかり丸つけてやんの。性格、悪い。

「じゃあ聞くが、9月。全国統一模試。K大付属で、順位は?ランクは?」

「忘れたっす」

「お前、全然本気じゃねえんだよ。ホラ、ここになんて書いてある?」

「・・・・421位。Eランクっす」

「何人中、何位だって聞いてんの」

「・・・・486人中」

「で、K大特進、何名が定員なの?あん?」

「・・・・120名」

「だよな。お前、よっぽど計算出来ねえらしいから、受験云々の問題じゃねえぞ、これ」

俺は悔しくて、椅子から立ち上がった。

「だから!先生、オレ、あん時、調子悪かったんすよ。前の日から寝れなくて。だから、本調子だったら、絶対100位に入りますよ!」

鈴木先生は表情ひとつ変えず、じろりと俺を睨んだ。

「おお、そうかい。去年の中体連の時も、お前、同じこと言ってたな。ド・フリーでパス受けて、キーパーと1対1で、それでシュート外して。『前の日から寝れなくて、調子が悪かった』ってな。」

うっそれを出されると辛い。鈴木先生は、サッカー部の顧問でもある。

「中村俊輔、本田圭佑。三浦和良、ゴン中山。あいつら、一度だって、自分のミスで負けた時に『前の晩、寝てなくて』なんて言ったの、聞いたことあんのか」

「・・・・・」(ゴン中山って、古くね?俺、ゴンの現役の頃は知らねえし)

「お前はいつも言い訳だ。好きにしろ。K大特進、受けて落ちやがれ。お前は、いちど落ちるとこまで落ちてみないと、分からねえタイプみたいだ。ああ、いいとも、K大特進、願書出して来い」

「・・・・」

(第3話)

鈴木先生は続けた。

「ただな浩太。お前の親御さんの気持ち考えてみろ。中学浪人?それは俺が断じて認めん。公立の、「尾川中央」高校、そこも受けろ。分かったな。つまり、公立の試験はそこで受けろ。」

「尾川中央? 意味ないっす」

「意味ないとは何だ。立派な高校だ。強くないが、サッカー部はある。顧問は、俺の知り合いの後輩だ。そこでもサッカーは出来る。」

「・・・合格しても、行かないっすよ」

「ああ、それは勝手だ。だが俺は進路指導として、お前を合格させる義務がある。それとも何か?尾川中央すら、受かる自信がねえのか?」

「尾川なんて、目つぶっても、うかりますよ」

「お前、受験ホント舐めてんな」鈴木先生は、厚い例のファイルをバタンと閉じた。

「浩太。尾川中央、トップで合格してみろ。分かったな」

俺は、無言。うるせえんだよ。うざいんだよ。

「そして、尾川で3年間トップを維持してみろ。言い訳、するな。勝負は、大学受験だ。どの高校に行こうと、本当の勝負は大学受験だからな」


俺はK大特進を、宣言通りに受験した。

試験は、いつもよりも格段に難しかった。俺より成績のいい成瀬が、2時間目から顔色がなくなっていた。あいつはBランクだ。となると俺、もちろん結果は明らかだった。

合格発表の日。確実と思われていた成瀬が落ちた。俺?結果なんて見なくても分かっている。

公立の受験は、3月の上旬。K大特進の合格発表の日が2月15日だから、3週間はいっさい勉強らしい勉強をしなかった。当然だ、俺は浪人するのだから。尾川中央の結果なぞ、知るか。ああ、受けたは受けたよ。でもそれは親のためであって、俺のためじゃない。

(第4話)

玄関からの音で、オヤジが帰ってきたのが分かった。中卒でずっと庭師職人をやってきたオヤジからすると、俺の高校合格はオヤジの悲願でもあった。

「浩太!聞いたぞ、良かったな!」上機嫌だ。

「あ、まあ、どうも」

「なんだ~浮かねえ顔、してるな」

オヤジは職人らしくない、優しい目をしていた。

「尾川中央とK大付属、どっちも同じ高校じゃねえか。あとは「個」の力が、学校名よりも重要じゃねえのか?あ?」

何が「個」だよ。本田圭佑の受け売りかよ。その本田だって、ACミランにいるからこそ、本田なのだ。J2のチームじゃ、代表に呼ばれっこない。それなりの「立ち位置」にいないと、認められないんだよ世の中じゃ。


浪人して来年もう一度K大付属を受験すると言い張っていたせいもあるが、尾川中央への試験については全く準備をしていなかった。にもかかわらず、無事合格。成績に興味は無かったので自己採点はしなかった。姉貴の美樹が面白半分で採点したところ、英語と社会が100点だと。別に関係ねえし。ちょっと本気だせば、ま俺はこんな感じだ。他の科目も軒並み80点超えで、偏差値がようやく50を越える尾川中央の試験は、俺にすれば消化試合だった。そして、成り行き上、尾川中央へと進学することになった。それを覆すだけの情熱は、俺にはなかった。もういいんだ、どうだって。


仲の良かった友人たちは誰も尾川中央に来なかったため、大概、独りで誰とも言葉を交わさずに過ごすことが多かった。すっかり活力が失われ、あれだけ好きだった海外サッカーのBS放送も観たり観なかったり。


俺は一体、何をしたいんだろう?K大付属に入ってサッカーをやる。それが本当にしたいことだったのか?なら、どうして惰性に流されて尾川中央でブラブラしている?答は、出なかった。本当にサッカーが好きだったら、鈴木先生の言うとおりに、尾川中央でサッカーをやって、弱いチームを強くすればいいのではないか。いろいろな思いが、俺の中で渦巻いていた。

(第5話)

「佐野浩太くんだろ。いつでも部活、見学に来いよな。君ならすぐ、左サイドで先発メンバーに入れるから」

鈴木先生の後輩だといった、顧問の岩橋先生が、毎日のように俺を誘いに来た。

「いや、ちょっと考えさせてください」いつも俺は適当に、岩橋先生をやり過ごしていた。

サッカー部の練習も2度ほど見たけど、あの練習じゃ全然ダメ。飛びぬけたエースがいない分、全員守備の全員攻撃で行かなきゃならないのに、DFは積極的にオーバーラップしない。ボランチはプレッシャーもかけない。FWといったら、しきりに動作で「足元にくれ」とアピールしているけど、そもそもそんなパスの「出し手」がいるようには見えなかった。俺は自分の球際の弱さを棚に上げつつ、先輩たちのミニゲームを見てはセルジオ越後みたいに、ネガな評論家になり下がっていた。


クラスの半分くらいは、既に仮入部期間ではあるものの、もう活動に参加しているようだった。すぐ後ろの席の鹿俣は、なんでも県で個人戦2位の腕前らしく、仮入部初日から剣道の竹刀をもって登校していた。やる気満々は他にもいて、出席番号が隣の椎名は陸上スパイクを持参して、800メートルの練習を始めたといっては嬉々としている。隣のクラスの中川は、サッカースパイクを俺に見せながら、「浩太、お前どうしてやらない?」と誘ってくる。中川とは中体連で対戦し、負けた相手のキーパー。つまり、1対1で俺のシュートを止めた奴。(いや、正しくは俺が外した)まさかこいつも尾川中央とは。成績はカツカツらしいけどね。入学式で、突然会ってびっくりした。すぐにLineアドレスを交換。

そんなこんなで、俺はのらりくらりと、誰からも誘いも断り続け、あの4月22日を迎えることになったのだった。


(第6話)

尾川中央は伝統のある学校で、もともとは明治中期に女学校として誕生したらしい。当時としては、女子教育の「はしり」として、レベルは県内屈指だったという。しかし近年、男女共学制を取り入れた20年ほど前からは徐々にレベルが下がっていき、市内の「尾川東」「尾川南(男子校)」「尾川西(女子高)」「尾川北」の、いわゆる「東西南北」の後塵を拝している。地元国立大学への現役合格者数も、最近は10名を越えることはない。私立合格も、いわゆる「G-MARCH」は稀だし、日東駒専あたりが精一杯なのだ。俺がK大付属にこだわったのも、そのあたりに理由があるのだが。まあ、それに落ちた俺だから、多くは語るまい。


その4月22日。たしか、金曜日だったと思う。

その日は珍しく、初めてではあったのだが、図書館に行ってみようと思った。尾川中央の校舎は増改築を繰り返しており、図書館は、新装なった「管理棟」の1階にある。昇降口があり、正面に図書館、その上に音楽室と書道室がある。より静寂を求める「図書室」と「書道室」に隣接して「音楽室」があるって、ずいぶんおかしな設計をしたと改めて思う。


俺が昇降口、つまり図書館へ向かう途中、2人の女子が俺を追い抜いた。その時、「5時開演だから急がないと」という言葉が聞こえた。開演・・・演奏?ああ、吹奏楽部ね。俺はたまたま、小学校の高学年のとき、2年だけトランペットを練習したことがある。なんでも、腹式呼吸が、持病だった小児喘息に良いということで、母さんが強く俺に勧めてくれたのだった。当時は俺も素直だったから、2年間は頑張って練習に励んだ。特別に音楽が好き、ということではなく、純粋に身体を強くしたい、その一心でトランペットを吹いた。その結果、心肺機能は確実に高まり、小児科の主治医からOKをもらい、中学からサッカーを始めたのだ。当然だが、トランペットは止めてしまった。


(第7話)

そういえば、トランペットらしき音は遠くから聞こえてくるけれど、入学してからちゃんと聞いたことはなかった。入学式では、元気よくマーチを演奏していたのは覚えている。でも、入学自体が強く望んではいなかったので、きっとちゃんと耳には入らなかったのだろう。


図書館のドアを開けようと手を伸ばした時。背後から「君!1年生だよね?ちょっと上、上がっていかない?」と声がした。

驚いて振り返ると、すらりとした長身の男子生徒(間違いなく、先輩)が楽器を持って立っていたのだ。

「えっ、あっ、俺すか?」

「そう、君だよ。仮入部、まだじゃないの?こんな時間に図書館に用事?テスト前でもないし」

先輩は、爽やかに俺に笑顔をくれた。

「えっ俺、音楽は興味ないんで」

逃げようとした俺の肩を、先輩はがっつり掴んでこう言った。

「良かったな~!今日は、音楽に興味がない人限定のミニコンサートなの。まさに、君だ」

俺は背中を押された。え~、強引っすよいくら何でも。

先輩は、確かに楽器なのだが、俺の見たことがない形状と大きさのものを持って、階段をずんずん上がっていく。引っ張られるように、俺もイヤイヤ続いた。ま、いいか。どうせ、ヒマだし。

「あの、それ、何て楽器なんすか」

「これ?これはね、チェロ。知ってる?」

「いや、初めて見たっす。大きいですね」

明らか、ギターより大きい。

「そうでもないよ。コントラバスに比べたら小さい」

ああ~コントラバス。2メートルはゆうにある、大きな楽器のことは、うっすら覚えている。

これは管楽器ではなく、「弦楽器」と呼ばれるグループなのだろう。吹奏楽部なのに、なんで?

先輩と俺は、音楽室の前の分厚いドアの前にいた。先輩がそのドアを押し開ける。

中には、50席くらいの客席、そして1段高い処には、演奏すると思われる20名くらいの先輩たちが着席していた。

(第8話)

チェロの先輩の着席を待っていたかのように、1人の女子の先輩が立ち上がった。

「え~、新入生の皆さん!今日は特別に、『音楽に興味のない方限定のミニコンサート』を計画しました。その発起人っていうか、張本人は、チェロの斉藤くんです!」

クスクスと笑い声がもれた。多少、黄色い声も混じっている。よく見ると、斉藤先輩はかなりのイケメンだ。滝沢秀明に似ている。それで身長が、たぶん180はある。こりゃ、モテるに決まっている。斉藤先輩の席の前には、どっかの親衛隊のように、うちわを持っている女子が5~6人いる。会場、間違ってんじゃねえの?


「ということで、斉藤くん目当ての方も多いようです(笑)。なので、プログラムにはありませんが、斉藤くんには特別に、サン・サーンスの「白鳥」を弾いていただきます。じゃ、準備してください」

斉藤先輩が、目礼して楽器を構える。ピアノの前に、別の先輩が座った。

「あっとすみません。申し遅れました。私、司会の川合あゆみ、です。ヴィオラを弾いています、よろしくお願いします」

ヴィオラ?聞いたことねえ。しかも、ヴァイオリン(と思われる楽器)と、違いが分からない。大きさ、なのかな・・・


ピアノが始まった。すぐに、斉藤先輩のチェロが鳴り始めた。

(第9話)

息をのんだ。サン・サーンスの「白鳥」。確かに、聞いたことはある。だが実際に目の前での演奏で聞かされると全くの別物だ。あまりの美しさに、俺は文字通り、固まった。

(すげえ)

さっきまでキャーキャー言ってた親衛隊も、皆、目を閉じて聞き入っている。ものの数分の曲。最後の長い音の伸ばしが終わっても、誰も拍手しない。いや、出来ない。

斉藤先輩が、ようやく弾き終えた右手を元に戻すと同時に、割れんばかりの拍手が沸き起こった。照れくさそうに斉藤先輩が立ちあがり、お辞儀。

ヤバい、ヤバい。

俺は、生まれて初めての経験に打ちのめされていた。

川合先輩が、再び立った。

「斉藤くん、ありがとうございます。とても美しい演奏でした、ありがとうございました。では会場の皆さんに質問です。斉藤くんは、何歳から、チェロを始めたでしょう?3択で、手を挙げてくださいね。①5歳、②10歳、③15歳。では、順に挙げてください」

俺は、迷わず①の5歳、と挙げた。会場の大多数が、俺と同じだった。②が5人、③はゼロだった。当然だ、ほんの2年でここまで出来るわけない。


「はーい。皆さんの答が出ました。ほとんどが、①の「5歳」ということでしたね。では、本人から、答えを言って貰います。斉藤くん?」

「えっと、③の、15歳です。この高校に入って初めて、チェロを始めました」

マジか?? 俺は自分の耳を疑った。「え~」会場全体がどよめいた。そんなわけ、ないだろ。親衛隊のテンションがまた、上がる。うるさい。


「ではでは、驚いたところで。これから、弦楽合奏を数曲、お聞きいただきます。演奏するのは、斉藤くんと同じく、全員が、この尾川中央高校の音楽部に入部してから弦楽器を始めた生徒ばかりです。つまり、3歳とか5歳からとかの英才教育は誰も受けていないんです。それでも、ここまで出来るんだっていうことを、今日は皆さんに是非知っていただきたいです」

川合先輩の司会、すごく聞きやすい。音楽部って言ったか?吹奏楽部じゃねえの?

(第10話)

「では最初の曲です。皆さん、カエルの歌、知っていますか~?そうです、あの「輪唱」の鉄板ですよね。これから演奏するのは、その「輪唱」です。ちゃんとした曲名は、演奏後にご紹介しますので、まずは聴いてみてください。じゃ、信山くん」


ヴァイオリン(だよな、きっと)の、一番前に座っている男子の先輩が、右手を振った。曲が始まる。指揮者、はいないのか?

斉藤先輩と、例のコントラバスとが、同じように、低いメロディを弾き始めた。いや、これはメロディではないな。なんていうか、地鳴りっていうか、もっと優しいけど。

すると、後からヴァイオリンの人たちが、全員ではないけれど、綺麗に演奏しはじめた。ななか、良い響き。少ししたら、また別のヴァイオリンの人たちが、弾き始めた。ん?なんか、最初のグループと同じようなメロディ。あっこれが「輪唱」になっている?ん?そうかも?



 (第11話)

詳しいことはさっぱり分からない。でも、たぶんだけど、ヴァイオリンの人たちが2つか3つに分かれて、同じようなメロディを「輪唱」している。いや、歌ではないから「輪奏」というべきか?だんだん、長いゆっくりした旋律から、徐々に細かくなって華やかさが増していく。そして、歌でいう「サビ」のメロディが出てきたとたん、俺も観客の皆も「あ~聞いたことある」という意味のどよめきになった。


最初に指揮の真似をした先輩、ノブヤマさんって言ってたかな。堂々と腰かけ、難しそうなフレーズを颯爽と弾いている。でも、驚くのはそこじゃない。後ろに陣取っている、8人?10人?くらいの先輩たちも、綺麗に揃って演奏をしていること。同じ楽譜をみて同じように演奏しているのだけれど、バラバラになっていないのはどうしてだろう?これがサッカーで、11人が一斉にリフティングしても、こうはなるまい。俺の目は釘付けになった。何分くらいの曲かは分からないけれど、大きな盛り上がりを見せて演奏は終わった。またも、割れるような大拍手。思わず、俺も夢中で拍手していた。すげえ、すげえ。


「ありがとうございました!この曲名は、パッヘルベル作曲の、カノンです。カノンとは、輪唱ということですね。あ、歌ではないので、輪唱とは言わないかもしれませんが」

川合先輩が舌を出した。いちいち、仕草が可愛いなあ~。おっと、作曲者?パッヘ?ベル?ええと、いいや「カノン」で検索しよう。スマホでYou Tube から「カノン」と検索。すると、ああ出た出た。たぶん、これ。「パッヘルベル」だって。なに人?ドイツ?作曲家って、ベートーベンと、ショパンしか知らねえ。でもこれ、綺麗だったな。さっそく「お気に入り」に登録。


「続きまして、新入生の皆さんへのプレゼントで、ビバルディの「四季」から、「春」の第一楽章を演奏します」

すぐに、信山先輩の合図で全員が弾き始めた。ああ、これか~聞いたことある。「四季」より「春」って言ってたね。ということは、「夏」も、「秋」「冬」もあるってことか。おお?何か鳥が鳴いているような部分もある。楽器って、こんなことも出来るの?江戸家猫八、の芸当みたいだけど・・・・俺は信山先輩と斉藤先輩の2人のソロ演奏を、食い入るように見つめた。

(第12話)

曲調が一変した。何か、豪雨のよう。そこで、信山先輩が独りでものすごい演奏を始めた。こりゃ、ソロだ。目まぐるしい、息もつけない。速いパッセージが鳥の鳴き声をもっと速くしたようだ。す、すご過ぎ。俺は息をするのも忘れて目を見開いた。

最後の方で、また信山先輩と斉藤先輩2人のかけあいがあり、それで曲は静かに終わった。大喝采、だった。信山先輩は、ニコリともせず、その場に起立して聴衆を見渡した。

川合先輩が笑顔で立ち上がる。(俺の好みの、石原さとみ似だ)

「は~い、ありがとうございます。ビバルディの春、でした。信山君のソロ、かなり練習した成果、出ましたね。見事なソロでした、大きな拍手をお願いします!」


またしても信山先輩は、表情ひとつ変えなかった。うーん芸術家って感じがした。俺は中学卒業直後だからまだまだ子供。でも、高校3年生って、どうしてこんなに大人びて見えるのだろう。たった2歳しか違わないのに、雰囲気は1年と3年じゃあ全く違う。その差はどこから来るのか?単純に、2年の歳月だけではない、何か濃い時間と経験がそうさせるのかもしれない。


「次は、なんとお楽しみ!『あなたも指揮者コーナー』!イエイ!」

は?川合先輩、何言ってんの?指揮を、まさか会場のあなた!に??

「はーい。そうです、ご想像のとおり、この会場の皆さんの中から、実際にこの弦楽合奏を指揮していただこうと思います!勿論、無料ですよ!」

一同、笑い。

「じゃあ~我こそは!と思う方、挙手してください!」

はい、はい!と、数名の手が挙がった。俺?ムリ、ムリ。人前で出来る芸、リフティングだけだから(苦笑)。

(第13話)

お決まりの「あなたも指揮者コーナー」、当たったのは小柄な女子。手をじゃんじゃん挙げていたから、きっと音楽に自信があるのだろう。ピアノ、やっているとか。

川合先輩が、優しく指揮棒を手渡した。

「あの、お名前、教えて」

「ハイ、悠木、智恵子です」

「ユウキさんね。お名前のとおり、勇気あるわよ(笑)指揮は、これまで?」

「・・・いえ、やったことないです。でも、皆さんの演奏があまりに綺麗なので、思わず手を挙げていました」

「あら~そう。ありがとうね。では、曲を紹介します。モーツァルトの、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の冒頭部分をお願いします。これは、4拍子なのね。だから、ちょっと4拍子、練習してみよっか?(ユウキさん、恐る恐る)・・・そうそう、その調子。もうちょっとだけ、速く出来るかな。よーし、大体いいわよ。じゃあ、やってみよう!皆さん、大きな拍手で!」


大丈夫かいな?指揮って、そんなにカンタンではないと思うよ。

よく、男が憧れる仕事ベスト3とかで、必ず「指揮者」って入るよな。あとは、「高校野球の監督」とか、「連合艦隊の司令官」。いずれも、自分の合図ひとつで、大勢がそれに従う、みたいな。でも、例えばサッカーの場合、いざゲームが始まったら、監督つうか、コーチの役割はぐっと減る。グラウンドで走り回っている俺たちに、コーチがよく指示を出すっていうけど、本当は殆ど聞こえない。ま、目の前のプレーに集中しているから、ある意味、それは当然だ。時々チラ見するけど、「ああ、怒ってるな」とか、「落ち着けって言いたいのかな」くらいは分かる。でも、実際にプレーしている俺ら選手が、その場その場で瞬時に判断してプレーする。そう考えると、このオーケストラっちゅうか、合奏は、『個人の自由』なんてのは、存在するのかな?


俺の心配をよそに、ユウキさんが指揮棒を構えた。ドキドキが、こちらにも伝わる。でも俺らには背中を見せているから、表情までは分からない。指揮棒が、心なしか震えている?そんなこと、ないか。でも、指揮棒が動き出すまで、やや時間がかかった。

振り下ろした指揮棒と同時に、曲が始まった。ああ~この曲か。知っている、聞いたこと、ある。

(第14話)

志村けんが出るバラエティ番組か何かで、流れたことなかったかな?と思えるような軽快な曲。ええと、曲名は何だっけ。アイネ、・・・・思い出せねえ。これも数分で終了。

会場、ユウキさんに大きな拍手。演奏者の先輩たちも、拍手を送っている。こりゃあ、気分いいだろうな~。ユウキさんも満面の笑み。

「ユウキさん、ありがとうございました~!カ・ン・ペ・キ、だったよ~!」川合先輩の笑顔。


俺は考えた。いや、待てよ。例えばサッカーでコーチが変わる。それで、チームが生まれ変わることってのは、あるはあると思うけど、でも弱いチームがすぐに強くなるか?って言ったら、それはない。結局、やるのは選手だから。ていうか、いちいちコーチの指示で動いてないから、基本。指揮者だって、それと変わらないのじゃないか?だって、演奏するのは演奏者たちであって、指揮者はまったく音を出さないから。サッカーのコーチが、試合中にピッチに入ることがないのと同じように。 だから、ユウキさんに全く指揮心得がなくても、演奏者は困らないはず。だったら、指揮者って何のためにいるの?


「・・・続きまして、もう1名!次は、男子から選ぼうかな・・・・えっと、男子、少ないわね」川合先輩が困っていると、

「あゆみ!そこの、スポーツ青年どう?」斉藤先輩が、よりによって、俺を指さしている。げ、なんでスポーツ青年って呼ぶの?

「俺すか?いや、遠慮しときます」

低めの声で、やんわり否定。

「え~一度、やってみたらいいじゃん!」

石原さとみが、いや、川合先輩が近づいてきた。指揮棒を、クルクル回しながら。

唇が、キラキラしている。化粧品のポスターみたいに。

「ダメっす。俺、音楽からきしダメなんで」必死に抵抗。

すると

「今日は、音楽のからきしダメな方のための、演奏会なんよ」と斉藤先輩がニヤニヤしている。うわー、マジ勘弁。「興味がない人のための」じゃなかったのか?


 (第15話)

「へえ~もう2人はお知り合いみたいね。」

石原さとみが、いや、川合先輩がいよいよ近づいてきた。制服のスカートがひらりと舞う。

「いや、ホント無理っす。遠慮しときます」

すると、思いがけないタイミングで信山先輩が静かに口を開いた。

「やりたくない奴に、やらせることない」。表情は、全く変わらなかった。

「あゆみ、他の人にやってもらえ」

有無を言わせぬ、雰囲気があった。俺は、助かった~と思った。


あゆみ、って呼び捨てにした信山先輩に少しイラッときたけど(苦笑)、ま、先輩だから仕方がない。でも、言い慣れているようだ。2人は、付き合っているのか??


「分かりました~コンマスの言うことには、逆らえません~。じゃ、別の男子はいないかな?」(コンマスって、なんだよ?)

後ろの方で、手を挙げる奴がいた。見ると、リアルのび太(笑)。詰襟の学生服を着せてみたいタイプだ。残念ながら、尾川中央は、最近のトレンドにあわせ、ブレザーとスラックスの組み合わせだ。


のび太が、指名されてトコトコ、歩いてきた。顔はともかく、身体はなかなか、がっしりしているようだ。

石原さとみ、いや川合先輩が(俺もしつこいな)笑顔で迎える。

「立候補、ありがとう!お名前は?」

「はい。森山圭一です」

「森山、くんね。これまで、何かやってきた?」

「はい、5歳の頃から柔道を」

川合先輩が爆笑した。「あっそうなのね~。(笑)・・・ゴメン。これまでに、ギターとかピアノとか、何か楽器とかやってきたかな~って意味だったんだけど」

ここで、さらに会場がどっと沸いた。森山氏、少々ムッとしている。

「柔道が、何か問題あるんですか?」


「いやいや、何も問題ないです。ゴメンネ、笑ったりして。意外な答えだったから、ちょっと、びっくりしちゃった」

「・・・・」森山氏は、さらに困った顔になった。


「じゃ、森山君には、違う曲を指揮してもらいます。でも、同じ4拍子だから、基本はさっきと同じ。ちょっと、練習してみよっか。今度は、ちょっとゆっくりの曲。・・・・そうそう、そんな感じ」

森山氏、動きはぎこちないが、柔道で鍛えただけあって、下半身はびくともしない。こいつ、柔道部になぜ行かないのかな?身長が、ちょっと足りないかな?あっ失礼。


「じゃあ、さっそく演奏してもらいます。曲目は、バッハ作曲の、「アリア」です。」

川合先輩が、席に戻った。森山氏、指揮棒をぎゅっと握った。

(第16話)

これもどこかで、聞いたことがある。けど、それがいつだったか、思い出せない。今回は一転して、スローな曲。響きがとても綺麗だと、俺はまたまた感動した。弦楽器の響き、こんなに綺麗なものなのか。呼吸をするのも憚られるような、緊張した時間が流れていった。そして、静かに演奏は終わった。


またもや、大きな拍手が沸き起こった。森山氏は、笑顔で顔がくしゃくしゃになっている。えっ涙?まさか泣いている?

「ありがとうございました~、森山君、・・・大丈夫?感動したの?」


「はい、・・・・すみません。父親の持っているCDの中で、好きな曲だったんで、これ、知っています」

「ええ~そうなんだ!お父さん、クラシック音楽好きなのね。ちなみに、どんなお仕事?」

「柔道整復師、です。あんま・マッサージもやっています」

「ああ~その関係で、森山君も柔道やってたのね。そのお父さんが、バッハ聴くの?」

「はい、施術中に、いつも、バッハBGMにしています」

ここでまた、川合先輩爆笑。

「ウケる~マッサージしながら、バッハねえ~。私、行ってみたいなお父さんのところ」


楽しい川合先輩のトーク、その後も絶好調。それとは裏腹に、信山先輩は表情ひとつ変えず、難しい曲だろうが静かな曲だろうが、全く変わらない様子で演奏している。ポーカーフェイス、というのとも違うな。時折、目をつぶって響きを確認したり、アイコンタクトで斉藤先輩たちを見たり、いろいろ気を配っているように見えた。


演奏会の最後、信山先輩の超人的なソロ演奏で曲が締めくくられた。俺は、心底、感動した。


(第17話)

川合先輩の挨拶で、「音楽に興味がない方のためのコンサート」が終わった。俺は、目の前で繰り広げられた1時間強の演奏に、文字通り打ちのめされた。同じ高校生なのに、これだけのインパクトを残す、感動を残すことが出来るとは、俺の人生では考えられなかったことだ。音楽・・・・それまでサッカー=人生だった俺には、全くの未知の世界。でも、しっかりと俺の胸には、今日の記憶は確実に刻み込まれた。YouTube の履歴には、俺が検索してお気に入り登録した曲が目白押しだった。サン・サーンスの「白鳥」、パッヘルベルの「カノン」、モーツァルトの「アイネ・・・」なんとか、バッハの「アリア」。そして、最後のかっちょいい曲は、曲名が長くて聞き取れなかったから、今日のプログラムを持って帰って、後から検索するつもりだ。


観客席がごった返していて、なかなか動けないでいた。すると、斉藤先輩がニヤニヤしながら、近寄ってきた。

「あっ今日は、誘って貰って、あざっす」俺は素直に、御礼を言った。

「ああ~名前、聞いてなかったね。俺は斉藤。君は?」

「佐野です。佐野、浩太です」

「こうた、くん?字は、どう書くの?」

「浩宮のひろ、に、太いです」

「ああ、そうか。浩太くんね。今日は、どうだった?」

ここで、誘いには乗らないって俺は決めていた。

「ああ、マジ感動しました。正直、ここまでスゴイ演奏が生で見れるなんて思っていなかったっす。ましてプロでないし高校生だし。全部の曲が綺麗で、さっそくYouTubeで検索しました」

斉藤先輩は、なおも続ける。「そうか~なら、良かった。どう?来週の月曜日、今度は何か楽器、触ってみない?」

「いや~、基本、自分は体育会系なんで、ホント、音楽は聴いているだけでいいっす」

「え?じゃあ、スポーツは何?」

「はい。中学の時はサッカー、やってました。」

「へえ。ポジションは?」

「いつも、2列目ですね。トップ下ってやつです」

「じゃ、香川と同じポジション?」

「いや、イメージでいうと、中村俊輔ですね」

俺、久しぶりにサッカーの話をしている。なんか、嬉しかった。

(第18話)

ポンポンと、肩を誰かが叩いている。

えっと振り返ると、そこには笑顔の石原さとみ(笑)。もとい、川合先輩だった。

「ちょっと~!ちゃんと空気、読んでよね!」

少しばかり、声が枯れている。今日、ずっと司会だったもの。

「あっ、す、すみませんでした」頭を下げた。石原さとみと、友達になったような錯覚をしそうだ。

「川合、この子さ、サッカーやってたんだって」

なんか、過去形になっているけど・・・・ま、いいか。

「へえ、サッカー。なら、足腰は強いわね。よし、一次試験、パス!」川合先輩が笑う。

ええ~何それ?入部試験なんて、聞いてねえから。

「そいで。体育会系だから、音楽は聴いているだけでいいんだって」と斉藤先輩。

「知らないなあ~?音楽って、基本、体育会系だよ」

川合先輩が、つんと胸を突き出した。思わず視線がそこに行き、俺の心臓がドキリと鳴る。

「体育会系って、でも、筋トレとかあるわけ、ないじゃないですか」

「いや、それは違うね。実は、筋肉をすごーく使うわけ。特に、弦楽器は」

いやいや斉藤先輩、全然、違うって。だいたい、音楽やっている奴って、軟弱な奴が多いから、特に男は。音楽室籠って、ひたすら楽譜を見ながら・・・て、想像するだけで「暗~い」感じ。俺みたいに、お日様の下で、ボールを追っているほうが、いかに健全か。

「OK。じゃあ、俺と短距離、競争するか?どう、50M?」

なんと斉藤先輩は本気だ。ジャケットを脱いで、臨戦態勢。いや、マジ勘弁っすよ。でも、肩とか胸板とか、けっこう立派。いや、かなり立派。

「・・・先輩は、何か、スポーツやってたんすか?」

「ああ、バスケをやっている。しかも本格的に。今も」ええ~?確かに、この身長だったら、バスケ上手そう。

(第19話)

「いや、斉藤先輩。おふざけでも、俺が先輩に勝っちゃうと、その後からが面倒くさいから」

なんとか、逃げ切れ。

「ええと、スポーツくん。うちの高校でさ、クロスカントリーって11月にあるんだけど、知っている?」川合先輩が割り込んでくる。

「あ、はい。確かオリエンで聞いたような」

「音楽部の、特に男子ね。上位30名に何人も入っているのよ」

えっ?たしか10キロ以上?のマラソンだと聞いたけど・・・・文化部=軟弱、という俺のイメージとは違うのか?

「斉藤くん、何位だったっけ?」

「俺?32位。でも信山は21位だったよ去年」

うそ?陸上部・野球部・サッカー部。それらのレギュラーを全部足したら20人は超える。まさか、信山先輩ってそんなに足が速いの?

「まあいいじゃない。実際に走らなくても。1年生相手に斉藤くんムキにならないこと!」川合先輩が、斉藤先輩のジャケットを手渡しながら笑う。

少し斉藤先輩もマジ顔で、「音楽やっているから、スポーツ部じゃないから、イコール軟弱だと考えているとしたら、まだまだ、君は音楽の奥深さを知らないよ。音楽は、筋肉の鍛錬の連続だからな」と鋭い眼で俺を見た。

「ま、今日のところはこんな感じで。週末ゆっくり考えて、もし良かったら、また月曜日に音楽室に来てみて。待ってるよ!スポーツくん!」

川合先輩は、どこまでも石原さとみに似ていて可愛らしい。川合先輩目当てだけでも、音楽部に入ってもいいかも・・・俺はそんなことをちらりと考えていた。姉貴がいる弟って、基本、年上の女性に惹かれるから。


家に帰って、YouTubeで「カノン」やら「アイネ・クライネ」などを再生しまくっていた俺に、姉貴が「何、それ~?えっクラシック?珍しい~」とからかってきた。姉貴は別の商業高校の3年で、もともとバスケのスポーツ推薦で入学したが、ケガ続きでバスケを辞めた直後だった。さぞショックかと思いきや、本人は意外とサバサバしていて、「これでバイト出来る~」と喜んでいた。あれだけ、打ち込んでいたのに。そんなカンタンに辞められるって信じられない。俺は絶対、未練残すと思うな。

俺のスマホを覗き込みながら、姉貴がいろいろ絡んできた。うるせえな。俺は面倒臭そうに、今日の演奏会のことを少しだけ話した。すると、「へえ~ヴァイオリンね~!素敵じゃない。チェロとか、音色がいいよね~!知っているよ、「白鳥」でしょ?チャイコフスキー、だったかな」いや、それはたぶん「白鳥の湖」。それくらいは俺でも知ってる。

(第20話)

「いや、サン・サーンスの「白鳥」だよ。チェロの、ソロの」

俺は少し前に仕入れた知識で姉貴に自慢した。

「で?それで?浩太は何か楽器やりたいわけ?」

「まさか!聞くだけだよ。もう15歳になるんだから。普通、楽器てのは、3歳とか5歳とか、そのくらいの年齢からでないと、難しいってよ」

俺は、わずか2年前から始めたという斉藤先輩や信山先輩のソロ演奏を思い出しながら、心にもないことを言った。

(しかし・・・・ホントに2年だけとは思えない)


夕食を食べながらも、まだあの音色というか、響きの素晴らしさが耳に残っていた。小学校の時にトランペットを吹いていたけど、その時に経験した「音楽」と、今日、目の前で繰り広げられた「音楽」とは、似て非なるものだった。確かに、どちらも楽譜を見て演奏をする。そこは同じ。なのに、出来上がりも、受ける印象も全然違う。サッカーとフットサルは殆ど似ているけど、それとはまた、別の比較になるのだろう。


次の日曜日の夜、TVがつけっぱなしになっていた。オヤジは酒飲んで、いつものように鼾かいて茶の間で寝ている。母さんは台所で洗い物。姉貴は部屋でなにか音楽ガンガン鳴らして。TVくらい消せよ、と思いつつリモコンを取る。何か、面白い番組やってねえかな~と、いろいろチャンネルを変える。すると、クラシック音楽番組をやっていた。NHK教育?かな。俺は立ったまま、その番組を見ようともなしに見ていた。

この前の音楽室のコンサートより、人数はぐっと多い。倍、はいるだろう。でも基本の座り方?は似ている。斉藤先輩のチェロは、向かって右。ヴァイオリンの偉そうな人は、左の一番前。あっこれは指揮者がいる。何をどう合図しているのか分からないけど、TVカメラがやたら指揮者の正面からの姿を追っている。何が面白いの?このじいさんの。

と思ったとたん、聞いたことのあるメロディが流れ始めた。


 (第21話)

俺はソファに座って、本格的にTVを観ることにした。ヴァイオリンの優雅なメロディが存分に流れていて、皆が気持ちよさそうに演奏しているのが、俺の目からも分かった。

「あら?これ、モルダウでしょ」いつの間にか、母さんが後ろに立っていた。

「いや、曲名は知らないけど、聞いたことあったから」

「これ、有名よ~母さんでも知っているからね。モルダウ、これね、川の名前なの」

へえ、川ねえ。ヨーロッパのどっかの?

「浩太。ところで、部活どうするのか決めたの?」

母さんも気になっていたようで、その話題に振ってきた。

「うん・・・・なんか、尾川中央だとサッカーやる気になんなくてさ」

母さんもソファに座ってきた。

「ま、これまでサッカー一色だったから、思い切って、別のことやってみるのも良いかもよ」

「例えば、何さ?」

「カメラとか・・・・演劇とか・・・・バドミントンとか」

残念。ことごとく、尾川中央にはそれらの部はない。

「フットサルとか、ないの?」

ないない。

「じゃあさ、また、トランペットに戻る?」

うーん。


正直、トランペットは嫌いではない。が、この前の金曜日に目の前で聴かされた「チェロ」「ヴァイオリン」そして弦楽合奏、の響きの美しさに俺は否定しがたい魅力を感じてしまっていた。


「モルダウ」が終わった。万雷の拍手がホールに鳴り響く様子が映し出された。字幕で、その指揮者は88歳で去年亡くなったと出ていた。へえ~88歳にして現役で仕事が出来るってわけか。サッカーの監督だったら、70歳がいいとこだろう。こんな指揮棒振って、それで90近くまで仕事できるって幸せな世界だな。

俺はサッカー以外の世界をあまりに知らなかった。K大付属に落ちて、イヤイヤだけど尾川中央に入って。友達もまだ出来ていないけど、今までに想像もしていなかったような出来事がこれから起こるような気がしていた。なんとなく、だけど。

(第1楽章 終了)



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