第1話:カトゥルの宿
新章突入せり!とばかりに意気込む俺だったが、当然ながらうかうかとしている時間などない。
初めからクライマックスなのである。
フェルの盲目を治すには、森の賢者に会うのは絶対の条件だ。
そしてその為に必要なのは、長い遭難生活にも耐えられそうな大量の食材と、魔獣から逃げたり戦うための装備。
一瞬、異世界でお馴染みのアイテムボックスの様な能力が頭に浮かんだ。しかし現実は甘くない様だ。
そんなものは見たことも聞いたこともないとサンドに言われてしまった。
だからまあ、保存の効く食料を大量に持っていって行き当たりばったりしかないわけだが……。
魔獣と戦うのにそれらは邪魔になりすぎるだろう。一旦置いて戦うにしても、カバンなんかはボロボロになりそうだ。ラードみたいに仲間がいるわけでもないしな。
ちなみに仲間を雇ったり、誘ったりする……というのも考えたが即座に却下した。ほぼ確実に死ぬ様な場所についてくる人間はいないだろう。
いたとしても、あんまり連れて行きたくないし。
「さて、ここが俺のオススメの宿。『カトゥルの宿』だ」
「なるほど、ここが」
大通りから一つ曲がって、路地に入ったまた少し奥。
そこに控えめに佇む宿は、宿というよりカフェの様な見た目をしていた。
木に彫られた看板にはカトゥルの宿と、これまた控えめに書いてあり、構造は下に入り込む様なもの。
雰囲気は好きな部類だが、儲かっているかどうかは怪しそうだ。
「さ、入るぞ。つっても俺は家があるから手続までだけどな」
「いえ、それでもありがたいです」
数歩階段を下ってドアを開ければ、中にあったのは閑散とした木造の宿だった。
優しい木目がささやかに足を支える。
天井には仄かに明るいライトがいくらかぶら下がっており、部屋全体が陽光がさした様な明度で保たれていた。
「ん?客?」
「ああ、このノワールってやつだ。行けるか?」
「……魔狩?」
訝しげな視線を俺に向ける店主。その頭には……
「猫……耳、だと?」
「ん?獣人は嫌いだったか?」
「へっ、やっぱり魔狩はろくなのがいないの」
「い、いや。だって、この世界ってそんな、粋なことしてくれる所だっけ」
猫耳をつけた、わけではない。
頭の上でピクピクと動く生物感が、俺にそう理解させた。
灰色の髪と、それに混じる様に、しかし強く目を引くそれは、間違いなく猫耳だ。
青く美しい目はいわゆる猫目っぽく、キッと鋭くこちらを睨んでいた。
身長は俺よりだいぶ低い……140程度なのではなかろうか。少なくとも150はなさそうだ。いわゆるロリっぽい見た目。
その小さな体を、彼女はだらんと力なく受付のカウンターに
そして今、サンドは言ったのだ。獣人と。獣の、人だと。
憎々しげにこちらを見つめる視線は、明らかにこちらを敵視するもの。
おそらく獣人差別なるものが、この世界にあるのだと、俺の脳みそは類稀なる速度で回転し、驚くべき速度でその結論にたどり着いた。
てか、獣人とかいるのかよ……。
いるなら、言えよ……。
「なんか、見たことなかったから、感動した」
「だ、そうだ。許してやってくれ」
「ふん、許してやるわ」
ツンとした口調とだらけた体勢を崩さずに、態度でこちらを見下す猫耳の少女。
その様子に苦笑しながら、サンドが彼女を紹介する。
「このツンケンした獣人がこの宿のマスターだ。名前はそのままカトゥルだな」
「灰猫の『
「俺はノワールです」
「さっき聞いたわよ」
カトゥルは溜息を
招かれるままにそちらへ近づいていくと、カトゥルは料金表を取り出してカウンターにおいた。
「文字は読めるかしら?」
「ええ、読めます」
「じゃ読み上げる必要はないわね。選びなさい」
よく見たら立った時にも仁王立ちをして腕を組んでいるではないか。
さっさと選べと言外に言われている様だが、なんかもう面倒臭くなって、気のせいだと思うことにした。
「すげー高圧的だな……」
「何か言ったかしら」
「いえ、何も」
どうやら耳が良い様である。地獄耳ってやつかもしれない。地獄猫耳である。
地獄猫というのはケルベロスを猫っぽくして首を一つにして愛玩動物くらいちっちゃくして可愛くしたやつである。
つまりそれはただの猫である。である。
くだらない方に思考が逸れたが、とにかくまずは料金を選ばねばなるまい。
「食事は……いらないな。ただ食堂でご飯を食べることもできるのか。ご飯を……」
ふと、目の前の少女の顔が頭に浮かんだ。
恐る恐る顔を上げると、目の前にカトゥルの顔がある。
「こんなチビ猫に料理なんかできるわけないだろと言いたそうね」
「何も言ってないですよね!?」
後ろでサンドが爆笑している、今の会話のどこに爆笑要素があったのだろうか。
訝しげに彼を見ていると、仁王立ち腕組スタイルのままに、カトゥルが自身ありげに胸を張って宣言した。
「言っておくけど私はとっくに大人よ。成長が止まってるだけ」
「へえ……」
「……13よ」
一瞬信じちゃっただろ、やめろよそういう嘘。
何も聞いていないのに勝手に自白するカトゥルを半目で見ると、彼女は気まずそうにすっと視線を逸らした。
13にしても小さい気がするが、まあまだ子供なのには違いあるまい。
「じゃあ、この宿は誰が建てたんですか」
「私の叔父さんよ。死んじゃったから、私が継いでるの」
事もなげにそう言い切るカトゥル。
「申し訳ないこと聞いたかな」
「気遣いはいらないわ、死んじゃったもんは戻らないんだし、あの男はどうせ、どっかで楽しくやってるわよ」
さっきまで爆笑していたサンドは真剣な顔になっており、カトゥルは何も喋らない。
気まずい沈黙に耐えられなくなった俺は、逃げる様に料金表を見た。
1日ごとで7日よりも1週間泊まったほうがお得なのか。なら1週間にしようかな。
いや、待て。どうせジキルハド大森林に行ってしばらく帰ってこないんだし、1日ごとで良さげかな。
裸一貫での街生活開始だったから、残しておきたいものもない。全部持っていくわけだし。
「じゃあとりあえず一日ごとで、食事はなし。これでお願いします」
「わかったわ。えっと……」
「90ラディですよね」
「おお、算術もできるのね」
始終こちらを見下す様な目をしていたカトゥルが初めて驚き感心する様な声をあげた。
それに少しばかりの達成感を抱いたわけだが、カトゥル的には悔しかった模様。
唇を噛んでこちらを睨んでいた。
「負けてないわ」
「……」
そんなこと言われてもなあ……。
「まあ良いわ。払うもん払ってくれれば客だもの。90ラディちょうだい」
「ちょっと待ってくださいねっと」
俺は腰につけた小袋の中からいくつかの硬貨を取り出すと、机の上に置いて数えて見せた。
「これでちょうど90ラディですね」
「受け取ったわ。じゃあ、これが部屋の鍵だから」
ぽいっと雑に投げ渡された木製の板には、01と番号が書かれていた。
おそらく部屋番号だろう。
これは……部屋のどこかに挿せば良いんだろうか。旅館とか日本料理屋なんかで見たことがあったが、まさかこんなところで見られるとは。
「というか、鍵とかついてるんですね。良くできてるなぁ」
「猫族は手先が器用なのよ。これぐらい造作もないわ」
俺が鍵を褒めると、カトゥルがわかりやすくドヤ顔をする。
なかなかに微笑ましい光景だが、こんな子供がこの宿を切り盛りしている現状を考えると、実はカトゥルはなかなかに凄い人なんじゃないかとも思う。
「じゃあ、客じゃない奴はさっさと消えるのよ」
「おお、気遣い感謝だぜカトゥル」
「気遣いじゃないわ!さっさと行きなさい」
見事なまでのツンデレだ。
その様子に俺は若干の感動すら覚えた。
サンドは笑いながら手を振って宿を出る。
2人だけになった空間に、沈黙が降りる。
「……お前もさっさと部屋に行ったらどうなのよ」
「ああ、確かに」
俺は長旅の疲れを癒すべく、急かされるままに部屋へ向かったのだった。
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