第一章三話 あついもの

「さっき写真バシャバシャ撮られてたけど、千雅ちがのお友達?」

 演武大会開始前の最後の練習時間、私の相手である栖原すはらさんに尋ねられた。

 栖原さんは私が合気道を始めたころからお世話になっている方であり、所属する合気会の中で唯一私の相手が出来る人でもある。

 合気道をする上で、身長に差がありすぎると高い側が膝立ちでやらなければいけない。演武大会で膝立ちは流石に見栄えが悪い。小学生相手にやってもいいのだが、一応初段である私が子供の部で出てるのもおかしな話だろう。

 栖原さんは私相手でも普通に立って相手が出来るぐらいの低身長だ。それでも12センチの差があるけど。

「そうですね。私が合気道始める前からの幼馴染です」

「へー、かわいい子じゃん。で、なんで写真撮られてたの?」

 一番聞いてほしくないところが来た。思い出すと恥ずかしいというだけで、栖原さんに話すことにさして抵抗感は無い。

「文…彼女は今まで私のポニーテール姿を見たことがなかったんです。それではしゃいで凄い量の写真を撮られました」

「なるほどねぇ。道着じゃなくてポニテの方か」

「この後、袴はいた後にも撮影会を行われる予定です…」

 私がげんなりした表情で言うと、栖原さんは実に面白そうに笑いだした。

「よし、私も撮影会参加しちゃおうかな」

「出来ればやめていただければ幸いです…」

 ノータイムで返事をしてしまった。ほぼ反射の域の早さである。

 この人には敵わないな。


      *


 和太鼓の音と共に畳に入場していき、正面と相手に礼をする。そして和太鼓の音と共に演武が始まる。それが繰り返されていく度に、空気が変わっていく。とある演武では子供達がコロコロと可愛らしく動く。また別の演武では畳が盛大に響き、会場を震わせる。同じ型でも、人が違えば型に多彩な表情が見られる。だからこそ、演武大会が開かれるのかもしれない。

「見てて楽しい?」

 文もそも表情の違いを感じたのか、興味深そうに演武を凝視していた。

「楽しいというより、迫力に飲まれてる感じ…。小学生の時はちーちゃんの以外興味無かったし、それすら『かっこいい!』しか思ってなかったんだよね。改めて見てると、こう…胸に迫るものがあって。武道というより一つの芸術を観てる感じ…」

「ふふ。楽しんでもらえるなら嬉しいよ」

 合気道に関わる身として、こうして楽しんで貰える事が何より嬉しい。

 文は視線を演武の方に戻し、すぐさま自分の世界にのめり込んでしまった。少し合気道自体に嫉妬した。私もこれからやることではあるけど。

「あ、千雅いたわ。おとうさーん、こっちですよー」

 母の声が両親が無事に到着したことを知らせた。

「ちゃんと来れたんだね。てっきりお父さんが起きないものかと思ってたよ」

「お母さんに起こされた形にはなったけどね…」

 父は右手で反対側の鎖骨の上を搔きながら申し訳なさそうに呟いた。その目の下には多少の隈があり、まだ眠いことを示している。母は父に対して容赦ない、と改めて実感した。

「そうだ。文もいるし隣に座……。駄目だ、話聞いてない」

 合気道に好奇心を持っていかれてしまった文は私の両親の到着にすら気が付いていない様子だった。文も両親なら面識があるので、知っている人といた方が安心できるだろう。そう思ったが、まず眼中にすら入っていなかった。

「文ちゃん、集中力凄いわね…」

「仕事の為にこの集中力分けて欲しい」

 お父さんのぼやきを当の本人の耳が捉えることはなかった。周りの音が聞こえないぐらいの集中、確かに欲しくはなる。

「こうなると中々現実に帰って来ないから、その間待つしかないよ」

 時折、文はこうして異常な集中を見せる。一緒に勉強してる時は十五分で限界が来るというのに、興味を持ったこととなると周りの音が一切聞こえなくなるのだ。こう考えると文には色んなモードが備わっているのかもしれない。

 ボンッという小気味いい太鼓の音で演武終了が告げられると同時に、文がこっちの世界に帰ってきた。

「今の演武もすごかったぁ……ぁぁああいい、い、いつから文のお父さんとお母さんが!?」

「おかえり、文。演武の途中からいたよ」

「いや話しかけてよ!」

 とは言われても、一回は声をかけた。それに、真剣に見ているのを邪魔する気にはなれなかったのだ。

「話の本題に戻るけど、文も知ってる人がいる方が安心でしょ?だから、私の両親と一緒の方がいいかなって思ったんだけど」

「戻るも何も始めて聞いたよ。勿論そっちの方がありがたいし、そうさせてもらうね!」

 そう言って文は私の両親に挨拶を始めた。


      *


「…よし」

 軽い呼吸をしながら袴の紐を締めた。余った部分を帯や袴の間に綺麗にしまっていく。それは昂った気持ちを内側に丁寧に収める今の私の心情そのもの。文はそれを察してか、撮影会を行おうとはしなかった。既に入場場所に並んでいたのもあるだろう。演武後にやられる気はするけど。

「千雅の友達もいるし、私もちょっとはかっこよく見えるようにしちゃおうかな」

 栖原さんは私の横でそう呟きながら、私の方をチラ見した。その目からは練習のときより強いものが感じられた。だからこそ、私の返事も自然と口をついた。

「容赦なく、一点一画も疎かにせずやりましょう」

 その返事を待っていたと言わんばかりに、口角の端を軽く上げる。

 栖原さんは察しの良い人だ。私が文に良いところ見せたい、という想いもバレていたのだろう。今回は格好つけさせてもらおう。

「次の合気会の方は…もう並んでいますね。ではここで待機をお願いします」

 この入場時間が一番緊張する時間だ。深く、深く。高く、高く。呼吸をしながら心を丹田辺りまで持っていく。少しずつ、体が火照っていくのがわかる。袴を結ぶとき閉まった気持ちを、外に出さず、内側で高めていく。そうでないと溺れてしまうから。内側で膨張させなければいけない。外に出したら私自身がその波に飲まれてしまう。一つ一つの動きに、斑が生じてしまう。今のうちに綻びを直していく。そのために行う、呼吸。

 気が付けば、前の演武が終わっていた。

「さて、行こうか千雅」

 その声が耳から離れるのと同時に、太鼓が鳴り響いた。一歩、二歩と畳の感触を確かめながら進んでいく。横から気配が消え、相手が畳の反対側に向かったことを感じる。一人、二人と畳の上に座していく。

「正面に、礼ッ」

 目の前に座っている道場の師範の声と同時に、正面に頭を下げる。一、二と心の中で数えてから頭を上げる。そうすることで、この畳にいる人全員の礼が揃う。これは、練習時に決めてあったことだ。礼ひとつでも練習としっかり繋がっていることが感じられる。誰が合図するわけでもなく、一、二と膝行で相手の方に向く。

「お互いに、礼ッ」

 向き合った相手、栖原さんに頭を下げる。先ほどと同じように一、二と数え、頭を上げる。一、二、

 ドンッ!

 礼から三秒後、太鼓の音を耳で捉えると、私達は閂を抜くように動き出した。

 畳の反対側にいた栖原さんと私の距離が詰まっていく。他の人達より更に一歩、間合いを詰める。身長が低いため、他の人と比べて間合いが近くなるのは必然だ。瞬間、私の目の前にマグマが出現した。

 私は人の合気道を別のものに例えることがある。それは自然のものが多い。栖原さんの動きは正しくマグマだった。しかし、現実には存在しうることのないマグマだ。マグマには粘り気の違いがある。粘り気が小さい、サラサラなものだと噴火が穏やかになる。逆に粘り気の大きいものは、噴火が激しい。その中間も存在するが、栖原さんはそのどれにも属さなかった。とにかくサラサラで流れがある。しかし、その爆発力は粘り気が強いマグマのそれだった。

 刀を持つ腕の形をしたマグマは、一気に頭上へと振り上げられる。マグマが溶岩流として降りかかろうとするその直前、私は自らその中に飛び込み、一瞬だけ手を添える。添えた手と逆の足を相手の横に一歩進める。後は横に回るために進めたものの逆足を引き、溶岩流が流れようとしていた方向に導いてあげればいい。そうすれば自然と私が裏を取り、相手は前方に崩れる。栖原さんはそれに合わせて、崩れた体を流れるように円を描きながら起こしてくる。同時に私は足をコンパスのように使い、円を描くのに合わせて体を移動させる。起き上がってきた相手のあごの下、そこに腕を添えて捲りあげるように上体を反らせる。同時に出した腕と同じ側の足を一歩出す。"手足同行"と呼ばれるものだ。反らせた状態を更に崩して投げるために、裏に回った際に掴んでいた肩を引く。正確に言えば、一歩出した足を軸足として、またコンパスのように足を引く。そうすれば腕だけの力ではなく、体全体、さらには遠心力もかかる。こうして横向きに動かされたバケツから出てくるように、マグマが空中に放り出された。それは腕から接地すると、肩、首の下、肩、そして反対の腕と綺麗にカーブを描きながら畳に接地していった。足は放り出された状態で、地面に付くのは立ち上がる瞬間だった。"滑り受け身"という技術である。

 栖原さんは立ち上がると、一瞬だけ私の方を見ながらにまっと笑った。今の入り身投げでお互いが「容赦なく、一点一画も疎かにせず」にやっていることを実感した。そうして、次の技へとノータイムで入っていく。

 入り身投げのように、合気道は円運動が多い。私と栖原さんは二人の世界でいくつもの円を描いていく。相手がどんな円を描くのか、どんな意思なのか。目線、息遣い、動作、そして気。それらを読み取り、それに合わせる。それは受け側、栖原さんも同じことだ。気を読み、合わせる。これこそが、合気道なのだ。

 私と栖原さんの場合、十年を超える付き合いになる。二人で組んで行った技の数は計り知れない。すでにお互いの動きの一つ一つを完璧に把握していた。何年間もの練習があるからこそなせるわざであり、練習の成果を出すという意味ではこの上なく演武に適した相手だった。


 あつい。

 半袖シャツでも過ごせる中、こうして動き続けるのは本当に暑い。

 栖原さんのエネルギーが、マグマが熱い。それによって、私自身も熱くなっているのを感じる。空気のように膨張していく。膨れ上がっていく。

 栖原さんの動きの癖、足捌あしさばき。そういったものに合わせて反射的に体が動く。栖原さんも、私の動きに完璧に合わせてくる。お互いに厚い信頼を寄せていることを感じられる。

 文に格好いいところを見せようと思ってしまった。中学生の時、捨ててきたはずなのに。今、合気道をやっているのは文が理由だ。だからこそ、合気道を見に来てくれると聞いて思い出してしまった。「ここまでつよくなったよ」と見せたくなった。これはもう、篤い煩いだろう。

 だからこそ、今目の前の合気道に集中してそんな煩いを消さなければいけない。

 合気道の、栖原さんからの、私自身の熱さで私の合気道への想いを再現する。今、この熱さで想いという鋼を打っていく。厚い鋼を刀のように、一本のものとするために体現していく。そこに、煩いという傷が入らないように。

 あつい。あつい。暑い、熱い、厚い。いや、今はもう熱さしか感じない。本当に熱い。

 熱い、熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い篤い熱い熱い熱い熱い…………

 再び太鼓の音が響くその時まで、私は熱をもって動くことをやめなかった。

 そこには只々"あつさ"があった。


      *


「ちーちゃんおつかれっ!ホントに凄かった!なんというか…風みたいに軽やかで、力を全然感じなかった」

「お、良い感性してるね。受けててもいつもそう感じるよ」

 演武が終わり、文に声をかけられるとそこに栖原さんも参加してきた。

「えっと……ちーちゃんの相手をしていた人だよね?」

 私の顔を覗き込みながら訪ねてくる。

「ピンポーンっ!大正解」

 私より先に栖原さんが返事をした。

「そうだよ。こちらは栖原さん。いつも一緒に練習をしている人」

「ご紹介に預かりました栖原です!いきなり話しかけてごめんね~」

 栖原さんはコミュニケーション能力が本当に高い。文ともすぐ打ち解けるだろう。というより、混ぜるな危険の組み合わせのような気がする。

「そう言えば、千雅の撮影会やるんだって?私も参加していいかな」

「あ、そうなんです!栖原さんも撮りますか?」

 こういう嫌な予感ばっかり的中するのは何故だろう。そう思いながらも私は従うしかなかった。私の中の敵わない人物TOP2が手を組んだのだ。もう勝ち目などどこにも残されていない。

 こうして十五分程、周りの人達から不審な目で写真を撮られ続けた。栖原さん、あなたは見慣れているでしょう。

 撮影が終わると、どっと疲れが来た。演武も勿論あるだろうが、十五分間も不審な目で見られるのが精神的にかなり堪えた。

 そうして、疲れに身を任せるように私の瞼は閉じられていった。



 七月十一日 合気道演武大会のエピソード その2

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