第3話

 その後のあたしたちは、残酷な未来予想図を知ってもなお、普通どおりに過ごした。それが、きみの望みだったからだ。


 曰く「きみは泣き顔より笑顔の方が可愛いって、僕にはわかったから」らしい。なんで、もっと早くそういう歯の浮くようなセリフを言ってくれなかったのだろう。きみがあたしに感情を露わにしてくれることはとても嬉しいのに、それを感じられる日々があとわずかで終わると思うと、周囲の目も気にせず叫び出したくなってしまう。



 あたしときみには、いくつかの共通点があった。そのうちのひとつが、好きなアーティストが同じ……という、よくある点だ。あたしときみは共謀して、互いの親に嘘をついてこっそり取ったチケットを握りしめ、飛行機に乗って、東京で開かれるライブへ出かけることに決めた。絶対に行きたいね……と言っていただけに、チケットの当選通知が来たときは二人で飛び上がって喜んだ(実際に飛び上がったのはあたしだけだったけど)。


 やっと生歌が聴ける……と呟いた後に、きみが、最後の……と言いかけたのを、あたしは聞き逃さなかった。

 聞こえてないふりなんかできなくて、きみがそれ以上余計なことを口走らないように、あたしは自分の唇で、きみの同じ場所をふさいだ。




***




 八月の東京は、身体にまとわりつくような熱気と、車の排気ガスのにおいがあふれていた。知り合いにエンカウントする確率など限りなくゼロに近い街で、あたしときみはおそろいのツアーTシャツを着て、手をつないで歩く。それだけで幸せすぎて、頭がヘンになりそうだった。


 きみは行き当たりばったりの旅が嫌いだからと、会場への道順も、泊まるホテルの場所も、何から何まで全部調べてくれていた。だからあたしはずっときみの手を離さないまま、きみの隣を歩く。普段は奥手なきみがあたしを導いてくれているのは、なんだかむずがゆくもあり、それでいてとても頼もしくもあった。



 開演間際、コールが鳴り響くコンサートホールの中で、きみはあたしにそっと耳打ちした。



 きみのおかげで僕はここまで歩いてこれた。悔いはない。本当にありがとう。



 会場の照明が落ちて、ギターソロが始まったのは、ほぼ同時の出来事だった。




***




 ライブから帰ってきて数日すると、きみが学校に来なくなって、同時に連絡が急に途絶えた。

 さらに数日経って、ようやくきみから返ってきたメッセージには、自分が入院したことと、病院の住所、地図へのリンクが貼られていた。あたしたちの住む街から、電車で三十分ほど揺られた街にある、大学病院だった。あたしが途方もない方向音痴だということを知っているきみは、病床にありながらそんなことまで心配してくれていたのだ。でも、結局あたしは焦りすぎて、駅からタクシーに乗ってしまった。



 病室に入ると、きみはベッドの上半身を起き上がらせて、テーブルの上に置いたパソコンで、ライブのDVDを観ていた。

 ちょうどあたしの反対側を向いていたから、よくある感じでいきなり目元をふさいで「だーれだ」をやってみせる。きみがあたしの名前を呼ぶ。そしていつものように、顔をくしゃくしゃにして笑う。

 この「いつものように」がいつまで続くのかと思うと、胸が押しつぶされそうになる。彼が見せてくれたページの「一〇〇日」まで、もう半分以上過ぎているからだ。



 以降、あたしは可能な限り、きみの病室に足を運んだ。それはほとんどが学校帰りで、あたしは参考書を読み、きみはベッドで文庫本を読んだり、パソコンに向かって何かを熱心に打ち込んだりしていた。



 もう、ここから出ることはできないかもしれない。

 きみがそう呟いたとき、あたしはもう居ても立ってもいられなくて、ベッドに横たわるきみの身体をぐいと引き寄せ、力いっぱい抱きしめた。上から垂れ下がる点滴の管がふらふらと揺れる。病衣越しのきみの身体は、八月のあの日にこうしたときよりも、明らかに痩せていた。

 わずかな温もりが伝わってくる。

 それがとても愛おしくて、あたしの蛇口はまた壊れてしまった。



「……きみは、こういう悲恋物語、嫌いだって言ってなかったっけ」



 あたしの背中に、点滴が繋がれていない方の腕を回して、きみは呟いた。やがて、規則的なあの、ぽん、ぽん……というリズムを刻み始める。



「これが物語なら、あたし、そんな本ビリビリに引き裂いたあとで燃やしてやる」

「そうだろうな。……ごめん」




 だから、わかってるならそんなこと、言わないでよ。



 その言葉よりも、嗚咽に軍配が上がってしまった。あたしは結局なにも言葉にできないまま、しばらくきみの体温を感じながら、涸れ果てるかと思うほどに泣いた。

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