第十章
『邂逅(一)』
凰華が荷物をまとめていると、その様子を見ていた拓飛が呆れたように声を掛ける。
「おい、まだかよ! なんで女ってヤツは、こうも身支度が遅っせえんだ?」
「いいでしょ、女の子には色々あるの!」
————結局、凰華の用意が出来たのは四半刻後だった。
「お待たせ!」
凰華が元気よく声を掛けると、拓飛は腕を組んで難しい顔をしている。
「何よ、そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「そうじゃねえ。出発する前におめえに言っとく事がある」
いつに無く真剣な表情の拓飛を見て、凰華は姿勢を正した。
「いいか。成り行きでおめえに内功を教える事になったが、調子に乗ってやたらめったら使うんじゃねえぞ。おめえはたまに俺以上に頭がカーッとなっちまう時があるからな」
「う……はい!」
「あと、もう一個な。今回はなんとかなったから良かったけどよ、次にまた、俺が逃げろって言ったら、絶対に言う通りにしろよ」
「でも……」
「でも、じゃねえ。もし言う通りにしなかったら、俺はおめえの前から姿を消して二度と会わねえからな」
「……どうして……?」
拓飛は顔を背けると、ゆっくりと口を開いた。
「……もう二度と、女に守られて眼の前で死なれるのは御免なんだよ」
凰華は拓飛の寂しそうな表情を見ると、何も言えなくなった。
「……分かりました」
「おし、じゃあ行くか」
納得した拓飛は旅籠の玄関から外に出ようとするが、慌てて凰華が引き留めた。
「あっ! ちょっと待って拓飛!」
「なんだよ!」
拓飛が振り返ってみると、凰華は旅籠の受付に一週間分の宿泊代を置いている。
「何やってんだ? ここのヤツが戻って来るかは分かんねえぞ?」
「うん、でも父さんがよく言ってたの。人に恥じない行いをしろって」
「へっ、あのおっさんらしいな。じゃあ今度こそ行くぞ」
「うん!」
泉安鎮を出て更に西に向かうと、地面に生える草もまばらになり、周囲は荒れ山が広がる殺風景なものに変わっていった。
さらに歩みを進めると、二人の眼前には巨大な山岳が姿を見せた。
「ねえ拓飛。これ崑崙山脈に入ったんじゃない?」
「かもな。……しっかし、こんな何もねえトコにマジであんのか?」
「その、はず……なんだけど……」
凰華が自信なさげに答えるのを、拓飛は聞き逃さなかった。
「はず? 今、『はず』っつったな? 確定じゃねえのかよ⁉︎」
「確定なんて言ってないわよ! 崑崙山脈のどこかに白虎派の総本山があるって噂なんだもの!」
「噂だあ⁉︎ おめえ噂で、俺をこんなトコまで引っ張り回したのかよ⁉︎」
「そんな言い方ないでしょ! 拓飛だって乗り気だったじゃない!」
凰華が応戦すると、拓飛は大きく溜め息をついた。
「……もういい。考えてみりゃ、他に行くアテもねえしな。登るだけ登ってみっか」
「そっ、そうよ! 何事も挑戦が大事よ! ねっ、
拓飛が折れると、凰華はこれ幸いと焔星に同意を求めたが、拓飛と焔星は冷めた視線を凰華に送り無言で山道を登って行った。
崑崙山脈を登って行くと、徐々に空気が薄くなっていき、高度に比例して気温もどんどんと下がってくる。程なくして、季節は
「ううー、寒いと思ったら雪が降ってきた……」
「なんだおめえ、寒いのか?」
「雪が降ってるのよ、当たり前じゃない。拓飛は寒くないの?」
「内功がしっかりしてると、多少の寒さはどうって事なくなるんだよ」
「そうなんだ。じゃあ、あたしの内功はまだまだって事ね」
凰華が自分の腕をさすりながら言うと、拓飛は着ていた上着を凰華に差し出した。
「貸してやる。これでも羽織ってろ」
「え? いいよ。拓飛に悪いわ」
「いいから使え。俺は暑いくれえなんだよ。いらねえってんなら捨てっちまうぞ!」
意地っ張りな拓飛がこうなっては本当に捨てかねないので、凰華は慌てて上着を受け取った。
上着を羽織ると、それは凰華の身体をすっぽり覆うほど大きい。微かに拓飛の匂いが感じられ、凰華は身も心も暖められた気がした。
「……あったかい。ありがとね、拓飛」
「へっ。礼を言われるほどのモンじゃねえよ」
凰華が微笑むと、拓飛は顔を背けていつもの減らず口を叩く。
「ねえ、そう言えば、あの時に言ってた内功を教える条件ってなんなの?」
思い出したように凰華が疑問を口にした。
「……今は言わねえ」
「だからどうしてよ? 言ってくれないと出来ないわよ」
「言いたくねえからだ」
凰華は首を捻った。普段の拓飛は思った事はなんでも口にするというのに、この話題になると途端に歯切れが悪くなる。
「あっ、もしかして変な事しようって言うんじゃ……」
「んなワケあるか! ぶっ殺すぞ、このアマ!」
拓飛は赤面すると、振り返って怒鳴り声を上げた。その様子を見て凰華はケラケラと笑う。
「アハハ、冗談よ。拓飛がそんな事言うワケないもんね」
「チッ、胸糞悪い……、ッ!」
突然、拓飛の左腕が振動を始めたが、一瞬にして治まってしまった。こんな反応は初めてである。
「拓飛!」
「ああ、向こうだ!」
言うが早いか、拓飛は眼前の丘を目掛けてすでに走り出していた。慌てて凰華がその背を追いかける。
小高い丘を越えると、拓飛は絶句した。
その先には一面、海が広がっていたのである。
————
丘の先の窪地には数十の妖怪の死骸が広がり、その中心に一人の男が立っていた。
この眼を覆うような光景に拓飛は戦慄を禁じ得なかった。
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