第五章
『変面(一)』
翌朝———と言っても、もう昼に近い———
「ほらー! 拓飛が寝坊したせいで、急がないとお店閉まっちゃうじゃない!」
「うっせえなあ、悪かったっつってんだろ?」
昨夜氣の鍛錬に集中し過ぎた拓飛は寝坊してしまい、二人は朝食を食べ損ねてしまった。凰華に急かされ食事が取れる店を探しに来たが、朝の書き入れ時を過ぎて、名の通った食堂は昼の営業に備えて仕込みや休憩に入ろうとしていた。
「あっ、見て見て! 向こうの食堂まだ開いてそうよ!」
凰華は嬉しそうに数軒先に見える大きな食堂を指差し拓飛を手招きするが、拓飛はその声がまるで耳に届いていないかのようにあらぬ方向を見ている。
「拓飛? どこ見てるの?」
凰華が声を掛けると、拓飛は視線を保ったまま、
「あの店にしようぜ」
ボソリと呟くとズンズンと視線の先へ歩き出す。凰華が視線を向けると、その先には小さく粗末な屋台が見える。のれんには『麺』と書かれており、客は男が一人しかおらず、とても繁盛しているようには見えない。
「ちょっと拓飛……もう!」
拓飛は凰華の制止の声を聞かず、屋台に近づくと席が空いているにも関わらずわざわざ先客の隣に陣取った。隣に座られた男は怪訝そうに拓飛の方を向くと、驚いた表情を浮かべた。しかし拓飛は男には構わず料理を注文する。
「おっさん! 牛肉麺大盛りくれ!」
「あいよ!」
店主が元気よく返事をして調理に掛かる。追いついた凰華は拓飛の隣の席に座り、小声で拓飛に話しかけた。
「ねえ、他にも席は空いてるのに、どうしてわざわざ人の隣に座るのよ?」
しかし拓飛はそれには答えず、茶碗に水を注ぎながら男に話しかけた。
「よお」
「……なんで分かったんや?」
「へえ、そりゃ西方の訛りだな? なるほど、それで昨日は一言も喋らなかったってワケか」
「いやいや、ワイ仕事ん時は基本無言やねん。その方がカッコええやろ」
「知らねえよ」
どうやら男と拓飛は知り合いらしい。凰華は男の顔を横目でチラリと覗いた。男は二十代の若者で、眼が細く面長の顔をしている。どちらかと言えば整った顔立ちではあるが、口元が常に緩んでいて、少しだらしない印象を受ける。
「で、さっきの質問にまだ答えてもらってへんで?」
「ああ、それか」
拓飛は運ばれてきた器を受け取りながら言った。
「なんとなくだ」
男の細い眼が大きく開かれた後、男の口がそれ以上に大きく開かれた。
「ハーハッハハッハッハッ! なんとなくやて? ホンマ野生の虎のようなやっちゃな! ええ勘しとるで!」
突然爆笑した男に、凰華と店主、通行人が驚いたが、拓飛はニッと笑った。
「俺も訊きてえことがある」
「質問するだけならタダやな」
「身体は問題ねえか?」
男は予想外の質問にキョトンとした。
「なんやて?」
「どっか痛えとこはねえのかってんだよ」
「そないな質問でええんか? 他にナンボでも訊くことあるやろ?」
拓飛は麺をすすりながら答える。
「俺が聞きてえのは、おめえが今夜俺と遊べる状態かどうかってことだけだ」
この言葉に男は一瞬鋭い目つきになったが、すぐに緩んだ表情に戻った。
「心配あらへん。ほな、今夜な」
「おう」
そう言うと男は、勘定を終えて立ち去った。凰華はすかさず拓飛に話しかける。
「ねえ、なんかよく分かんない話してたけど、さっきの人、拓飛の知り合いなの?」
「知ってるけど、知らねえ奴だ」
意味深な笑みを浮かべて拓飛は言った。
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