外伝 短編 8「 魔法学校の賢者」

 グラーダ国の王都から東にある、グラーダ四大都市の一つ、文化都市「アメル」には、世界でも最も進んだ学びの場がある。

 それが、王立高等学院、通称「アカデミー」。それと、同じ敷地内にある「魔法学校」である。

 

 アカデミーは、様々な学問が、実に幅広く行われている。

 文学、医学、科学、化学、数学、物理学、文化人類学、歴史学、魔法科学、社会学、音楽、美術。

 ほぼジャンルを問わずに研究できる物を学び、研究する事が出来る。

 

 一方、魔法学校は、魔法のみを学ぶ事が出来るが、魔法に関しても実は幅が広い。

 一般魔法学、戦闘魔法学、生活魔法学、魔法薬学、魔法鍛冶術、魔法導入術、魔法法律学、神学。

 

 世界でも最先端の学びの場であるから、当然、最新技術を学べる事になる。

 それは自国にとっては大きな利益を生む物となる為、多額の投資をして運営されているのだが、このアカデミーにせよ、魔法学校にせよ、広く世界に門戸を開いている。

 しかも、学費が驚くほど安い。試験に受かれば、奨励金の制度まである。

 

 その為、良く「タダで学べる」とさえ言われている。

 卒業後もグラーダ国に縛り付ける制度もなく、最新の学びを、好きなだけ自国に持ち帰る事が出来た。


 世界は、このグラーダ国の大盤振る舞いを、狂王の、後世への評価に対する点数稼ぎと受け取って、グラーダ国王の狂王ぶりを影で嘲笑っていた。


 一方で、他国からグラーダに学びに来た者たちの多くは、グラーダ国のインフラ、法律、交通、様々なシステムが優れている事、治安の良さ、国内での戦争の無さに驚く。そして、人々の活気に触れて、感化され、グラーダに定住したいと願う者が多かった。



 特にいま、アメルの文化は活気を増す一方だ。

 王都でのアカデミー研究の受賞式での、グラーダ国王の評価が素晴らしかった事で、全ての研究に正しい評価が与えられると知った為である。

 更に、今巷で話題になっている「竜の団」にアメルで大人気だった歌姫、吟遊詩人のリラ・バーグがいて、音楽、美術などの芸術分野にも、人々の注目が今まで以上に向けられるようになった為である。

 アカデミーは大いに盛り上がっている。

 


 一方で、同じ敷地とは言え、大街道「リア街道」を挟んだ、魔法学校の日常は、至って平穏であった。

 魔法使い見習たちは、かえって静かに修行できるので有り難い反面、少し羨ましくもあった。



 魔法学校の敷地も、アカデミーには劣るが広大である。

 アカデミーが元王城を改修したが、魔法学校は、兵舎と寺院を改修して使用している。

 とは言え、造りは一般の国の王城と同程度かそれ以上である。

 そこに訓練施設や広い演習場が新たに作られていた。


 

 その魔法学校の門は、リア街道に面していて、基本的に誰でも入る事が出来る。冒険者が訪れる事も有り、武器を帯びていても不審がられない。

 そもそも、グラーダは治安が良い国だ。


 

 その門から、建物の間を、ほうきで掃除している老人がいる。

 かなり高齢なのだろうが、背筋も伸びていて、元気な様子だ。

 そして、温和な笑みを浮かべて、楽しそうにほうきで建物までの石畳を掃き清めている。


「おはようございます」

「ああ。おはよう」

 通りかかる生徒は、皆、この老人に笑顔で挨拶を送る。

 その瞳は、尊敬と親しさが込められている。

「キエルア先生。お久しぶりです」

 老人の前に、1人の中年の女性が声を掛け、深々と頭を下げる。

「相変わらず、お元気そうで・・・・・・」

 女性が目を細めて笑顔を浮かべる。

 すると老人は、手を止めて女性の顔を見る。

「ああ。君はレディス・オルソン君だねぇ。いやあ。実に立派になった」

 老人は、一瞬の逡巡もせずに答えた。

「覚えていらしたんですか?」

 半ば予想していたのだろう。女性にはそれ程の驚きはなかった。だが、嬉しさは溢れていた。

「もちろんですよ」

 老人は肩をすくめて、いたずらっぽく笑って見せる。

「出身はザラ国。君は随分魔法薬学で苦労していたね。私が育てた薬草を随分多く費やした。無駄にしたとは思わんよ。そのおかげで、君は魔法薬師への道を手にしたんだ。卒業後は、国に帰って魔法屋を開いたと聞いていましたが?」

 レディスは苦笑する。

 魔法学校に在籍していたのは25年前に3年間。卒業後は、店を開業した報告に来た以来だったので、かれこれ20年ぶりになる。

 にもかかわらず、この老人は、自分の事を事細かく覚えている。

 

 この魔法学校が出来てから、すでに5万人ほど在学しているが、この老人は、多分全ての生徒を覚えているのだろう。小さな思い出や、本人でさえ忘れてしまったような事さえも。

「魔法屋はやめて、今は夫の仕事を支えています」

 レディスが言う。

「そうですか、そうですか」

 老人はニコニコ笑う。多分、レディスの表情が明るいので、今の自分の生活に満足していると分かったからだろう。

「それで、夫の仕事で近くまで来たもので、久しぶりに寄ってみたら、お変わりない先生の姿を見たもので・・・・・・嬉しくなって」

 レディスがクスクス笑う。

「明るくなりましたね、レディス君。あの頃のあなたは少し必死すぎて心配していたのです。夜も眠れなくなっていましたよね」

 思い出す。

 そうだ。あの頃は、まだ魔法学校の認知度もそれ程高くなく、親の理解を得られないまま家を飛び出してきたので、とにかく何とか魔法を学ぼうと必死だった。

 そのストレスで、不眠気味になっていた。

 そんな時、この老人がお茶を入れてくれていた。

 あの頃は気付かなかったが、あのお茶の成分には、安眠を誘う効果があった。

 思い出して、この老人の思いやりに、今気付いた。

「キエルア先生。今日、お会いできて、本当に嬉しかったです。どうか、いつまでもお元気でいて下さいね」

 レディスは、深々と頭を下げて、嬉しそうな足取りで、リア通りに戻っていった。

 老人は、その後ろ姿を、微笑みながら見送った。


「キエルア先生!手が止まってますよ!」

 若い女学生がクスクス笑ってキエルアの横を走り抜ける。

「サボっている訳じゃありませんよ、リザリエ・オルダ君」

 キエルアが笑って、その女学生を見送る。

 「リザリエ」と言う名前は、実に人気の名前で、魔法学校に来る女子の中で、必ず毎年、1人、2人はいる。

 もちろん、世界中から尊敬、敬愛される賢聖「リザリエ」から取った名前だ。

「もう!リーザったら!キエルア先生に失礼じゃない!!」

 友人のグリット・ローザーがリザリエに対して注意する。

 「リザリエ」の名前は、魔法学校では多いが、校長である賢聖リザリエに遠慮して、大抵があだ名で呼ばれていた。

「キエルア先生、ごめんなさい」

 グリットが、リーザの分も謝って、ペロリと下を出す。

「元気があって何よりです」

 キエルアは穏やかな笑みを浮かべて、生徒たちを見ている。

「あとは、リザリエ君は、朝もう少し早く起きられるように、夜更かしを控える事をお勧めします。もちろん、強制はしませんけどね」

「あ~~~!もう、キエルア先生の意地悪っ!」

 リーザがニコニコしながらも、「べーっ」と舌を出して走って行った。グリットが慌ててお辞儀をしてリーザを追う。そして、何か小言を言っているようだった。



「キエルア先生。そんな事しなくても良いのですが・・・・・・」

 今度背後から声を掛けてきた人物は、振り返るまでもなくキエルアには分かる。

「でも、好きでやってるんですものね」

 苦笑する声に向かって、振り返りつつ、キエルアは穏やかに微笑む。

「これがワシの生き甲斐ですからな」

 その表情を見て、声を掛けてきた人物が、そよ風の様な笑顔を浮かべる。

 魔法学校の校長であるリザリエ・シュルステン。賢聖である。



 キエルアの人生の半分以上は、実に陰湿で、身勝手で、人を傷つけ、蹴落としてばかりだった。

 かつては魔法使いになれる者はごく僅かの天才だけで、特定の師匠の元に付いて、何十年も修行する必要があった。それでさえ、魔力が無いのに気付かずに、無駄に修行する者が大半だった。


 キエルアは、そんな中にあって、魔法の才能が高く、主席魔導顧問官という、宰相以上の位を持つ身になっていた。

 リザリエは、その当時のキエルアの末席の弟子だった。

 末席と言う事で、キエルアはリザリエに対して、奴隷同然の扱いをして来た。

 そして、野望に燃えるキエルアは、グラーダ国の乗っ取りを謀り、失敗する。

 その後も、グラーダに敵対し、リザリエにも敵対してきた。

 その野望を挫かれて、廃人同然となったキエルアを救ったのが、リザリエだった。

 リザリエの取りなしで、グラーダ国に戻り、それ以来、リザリエの為にその身を粉にして働いてきた。献身的に、己の悪名さえ利用して。

 すでに改心していたのに、時には手を汚し、名を貶めて、心を殺して来た。

 

 グラーダ三世がカロンを滅ぼして、ようやくキエルアはその責から解放された。

 以来、ずっとリザリエの側で、影となり支えてきた。


 今は魔法学校の教頭である。名前はあるが、仕事はない。

 リザリエも同様で、校長として名前はあるが、仕事はほとんど無い。と言うよりも、他の事で忙しいのだ。

 

 キエルアは今の状況に、心から満足しているし、毎日幸福を感じている。

 リザリエを支える事。そして、生徒たちの成長する姿を見る事が何よりも楽しい。

 こんなに充足した人生があったとは、あの頃の自分では想像もつかなかった事である。


 ただ、一つ、どうしても気掛かりなのが、リザリエの事である。

 常に何か欠乏している。欠損している。

 その正体がなんなのか分かっている。

 リザリエを幸福たらしめていない原因が、そもそも自分の行いにある事を、キエルアは自覚していた。

 だから、リザリエに幸福になってもらいたかった。だが、恐らくそうなる事は、もうない。

 なのに、自分が、こんなに幸福で良いのだろうかと思ってしまう。


「また!」

 リザリエが少女の様に頬を膨らませて、キエルアを睨む。

「何を考えているのか、すぐに分かりますよ、キエルア先生!」

 キエルアは思わずたじろぐ。

「キエルア先生。いいえ。お師匠様には感謝しています!だってお師匠様のおかげで、私はあの方と出逢えたのですから」

 キエルアが苦笑する。

 いつもそうだ。いつも自分はこの偉大な賢聖によって救われる。何もかもが敵わない。それが嬉しい。

「では、近いうちに再会なさると良いですよ」

 キエルアが笑うと、リザリエが、また少女の様に頬を染めて怒る。

「キエルア先生は、今度は予言者になるのですか?!」

「予言ではないでしょう?あなたもご存知の通りです。だから、どうかお会い下さい」


 カシムが竜騎士探索行に出てから、2人でこの話題になる事が増えている。

 しかし、一度もリザリエから色よい返事はもらえていない。

 

 それだけがキエルアにとっての不満であった。


「キエルア先生!リザリエ様!おはようございます!!」

 生徒が数人駆け抜けていく。

「急いで急いで!遅刻してしまいますよ!」

 老人が穏やかに笑いながら、生徒たちを見送った。

「私も、生徒の成長を見守る事に、幸福を感じています。私はすでに充分報われていますわ。これ以上は望めません」

 そう言うと、リザリエは校舎に戻っていった。


 キエルアは、小さくため息を付くと、再びほうきを動かし始めた。

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