王城  王都の休日 1

「うああああああああ」

 闇の中で低く呻く声がする。

 ズリズリと地面を何かが這っている音がする。

 闇の中に、男が1人倒れていた。

「はあああああああ」

 音を立てないよう、声を立てないよう、静かに息を潜めているのだが、堪えきれずにのたうつし、声も漏れ出てしまう。

「カシムがぁ~~~~。帰ってきたぁ~~~」

 苦しげな声が、男の歯の隙間から漏れ出る。

「間に合ったぁ~~~~。俺の命が、間に合ったぁ~~~」

 男の全身を、耐えがたい苦痛が襲っている。以前は度々だったが、今はほぼ途切れる事の無い苦痛に襲われている。痛みも時間を追う毎に強くなってきている。

 男はもう3日、一睡も出来ていない。襲い来る痛みで、食事ものどを通らない。たまに水を飲むだけだったが、昨日からは、水さえも受け付けなくなっている。

 男の命は、もういつ尽きてもおかしくない。

 だが、男は執念で命を繋いできた。カシムを絶望の淵に追いやって殺すという執念だけでだ。


 男の名は「ヴァジャ」。

 地獄教ラジェット派の大司教デネ・ポルエットの高弟の1人だった。

 「ヴァジャ」は本名ではない。ラジェット派の高弟の3人は、いつの時代も、「ヴァジャ」、「ウシャス」、「ロビル」と名乗っていた。


 ヴァジャは、11歳で初めて人を殺した。

 ヴァジャは狩人の家で生まれ、その頃は1人で森の奥で狩りをしていた。

 その時たまたま、怪我をして倒れている2人の冒険者を発見する。

 野獣に傷を負わされたようで、助けを呼んできて欲しいと頼んできた。ヴァジャは、当然頷いて、村の方に駆けだした。

だが、ふと思った。

「普段狩りしている獣たちと、人間って、どう違うのかな?」

 ちょっとした好奇心だった。

 ヴァジャは傷付き、身動きもままならない冒険者たちの元に引き返し、そして、殺した。

 獣にするように皮を剥ぎ、解体してみた。食べはしなかったが、大きな獲物が捕れた時の様な興奮がヴァジャを満たした。

 それだけである。たったそれだけの為に、ヴァジャは殺人鬼となった。

 森で待ち構えるのは、獣ではなく、人間に変わった。

 殺して、切り裂く。殺して、解体する。性的な興奮はない。むしろ不能になった。だが困らない。殺す興奮に比べれば、性的興奮など比べものにならないとヴァジャは感じていた。


 ごく普通の両親の元生まれ、常識的な愛情を受け、躾をされて育ってきた。

 狩人としても、父と真剣に、そして、それなりに充足して行ってきた。

 何がヴァジャをこうまで狂わせたのかわからない。外的因子がなかったのなら、内的因子が原因となる。魂が何かに汚染されていたのかも知れない。だが、ヴァジャは満足だった。

 

 ヴァジャが地獄教に入信したのは16歳の時である。

 とっくに家を出て行方をくらましていたヴァジャは、その日も、獲物が通らないかと森の中で身を潜めていた。

 そこに現れたのが大司教デネ・ポルエットだった。

「さて、迷える者よ。出てくるが良い」

 老人が、低い声でそう言うと、ヴァジャは、不思議な事に、弓を構えるでも無く、隠れていた木の後ろから進み出た。

「よく来たな、我が子よ」

 老人はそう言うが、無論、老人はヴァジャの父では無い。見た事も、会った事も無い。だが、ヴァジャは老人の言葉が無視できなかった。何の説明も無いまま、ただ、老人の前に進み出て、自ら膝を突き、頭を垂れていた。

 

 今にしてみれば、精神魔法だったのかも知れない。だが、そんな事はどうでも良い。その老人の元でなら、自分が望む物が手に入ると思った。

「これよりお前は、『ヴァジャ』と名乗るが良い」

 そうして、ヴァジャは、元の名を捨てて、ヴァジャとなった。もう、元の名前など思い出せない。


 

 それから数年、ヴァジャはデネ大司教の下で、地獄教の幹部として働いた。人さらい、殺人、強盗など、様々な事を行ってきた。

 魔法の修行で、風魔法を覚える事が出来た。

 闇の仕事をしている内に知り合った呪術師に、呪術を学んだ。

 「ヴァジャ」という名前は、「貢献する者」という意味らしい。他の高弟ウシャスは「戦う者」。「ロビル」は「護る者」という意味だそうで、デネ大司教の側に仕えている事が多い。

 そんな立場もあって、仕事の合間に、様々な事が自由になった。


 ある日、ヴァジャはデネ大司教に呼ばれた。

 行ってみると、かなり長期的な潜入任務になるそうだ。しかも、潜入先が、グラーダ国の軍隊内部だという。

 かなり難易度が高いが、面白そうだ。

 目的は、来たる日に、王女アクシスを誘拐する事だった。

 

 ヴァジャの任務は、先に潜入させている者からの紹介で、軍内の王女護衛部隊に入隊する事だった。

 無論、軍に入っていきなり護衛部隊に入る事など出来ないので、入隊してから、しっかり昇進して、実力を示す必要がある。

 その難しさにそそられた。

 どうせ拒否も出来ない任務だが、自分から手を挙げてでも引き受けたい任務だ。

 ただ、そうすると、当分の間、狩りが出来ない。それだけが不満だった。



 ヴァジャは「ジモス・パルキン」と名前を変え、グラーダ軍に入隊する。

 ヴァジャは腕も立ち、頭も良く、また、「ジモス」として、人に好かれる性格を作り上げていたので、すぐに昇進して行き、十二将軍の「エッダ・ロッド」大将軍率いる、黄狐こうこ騎士団に選出される。

その後、内部の協力者の紹介で、王女護衛部隊に推挙されて、配属となる。ちょうど、1人補充が必要になった為だ。



 王女護衛部隊に配属されて数ヶ月後、初めて王女アクシスを見る事が出来た。

 王女はほとんど城から出る事が無い為、護衛部隊も、普段は10人ほどが室内周囲の警護をしていた。他の隊員は半数は城内警備。もう半数は訓練をしていた。

 ヴァジャは、入隊してしばらくは、色々な仕事を覚えたり、宮廷作法の訓練をさせられていた。

 王女に会ったのは、王女の唯一の公務である、2月15日にレグラーダで行われる、「地母神カーデラ」に捧ぐ豊穣祭で祝詞を奏上する為に、現地まで護衛をする任務の時であった。


 ヴァジャに衝撃が走った。

相手は高々10歳程度の小娘だ。

 だが、どうしようも無く興奮した。

『殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい』

 ジモスとして入隊してからこの数年、1人も殺さずに殺人衝動を抑えきっていた。

 だが、王女を見た瞬間に、この少女を殺したくて仕方が無くなった。

 不能となっていた男性自身も痛いほどに屹立していた。

 これ程、殺したいと思った人間は初めてだった。

 堪らず、護衛の道中に宿泊した宿で、女を抱いた。

 それでも興奮は収まらない。激しい欲望がヴァジャを焦がした。

 これが愛なのだと、ヴァジャはそう認識した。

 ヴァジャの殺人衝動は、もはやアクシス1人に向けられていて、他の者を殺したいと思う事は無くなった。

 だが、その殺人衝動を抑える為に、女を抱くようになった。

 

 そして、妻を娶り、幸せそうな生活を送り、1人息子も誕生した。

 ジモスは王女護衛部隊の副隊長となっていた。

 隊長であるベンドルン・ゼスは、優秀だが善良で、ヴァジャにとっては、実に御しやすい人物だった。




 そして、王女誘拐事件が起こる。

 長年の潜入任務を終えて、王女を「王家の谷遺跡」に送り届けると、そこで王女が生け贄になるのを知った。もちろんそうなるだろうとは思っていた。自分で手を下したかったが、尊師である大司教の命令には逆らえない。せめて、それを間近で見て満足する事にしようと思っていた。また、儀式の後になら、好きにして良いのではとも思っていた。

 だが、王女の体は、死後もデネ大司教の慰み者になると知った時、初めてヴァジャは、尊師に対して叛意の抱いた。


 なので、カシムにより、デネ大司教の真上に、照明器具が落とされた時も、デネ大司教を守る動きをせず、落下させた人物への攻撃態勢をすぐにとったのである。

 王女を渡してはいけない。また、王女を直接殺せる、またとない好機だと思ったからだ。


 だから遊んだ。必死に王女を救おうとする男をなぶろうとした。それ故に、ヴァジャは失敗した。


 王女は取り逃がした。だが、その男、カシムには呪いをくれてやった。儀式も失敗したので、王女を殺すチャンスはまた巡ってくるだろうと考えていた。

 「ジモス」としてのヴァジャと結婚した女と、息子は、当然の様に失踪している。だが、ヴァジャには何の感情も湧かなかった。処分するように命じたのはヴァジャ自身だったのだ。


 だが、カシムは呪いを跳ね返してきた。呪いは返されると、術者をより強い呪いで縛る。

 

 ヴァジャは、返された呪いで、今や瀕死の状態だった。

『カシムが憎い。カシムが憎い。カシムが憎い。カシムが憎い』

 王女に抱いた時と同様の、人に対する執着が生まれた。

 

 この、徹頭徹尾狂った男には、カシムを絶望させ、苦しめて殺す事だけが、命を繋ぐ一本の細い糸だった。


「カァシムゥゥゥゥ。もうすぐだぞぉぉぉ~~~~」

 激しい苦痛の中、ヴァジャは暗闇で低く嗤う。


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