冒険の始まり  修行 3

 翌日、目が覚めると、祖父が近くに立っているのを感じた。

 俺が体を起こすと、祖父が歩み寄ってくる。

「おはようございます、師匠」

 そう言いながら俺は立ち上がる。

「うむ」

 祖父が頷く。そして、手に持っていた50センチほどの長さの木の棒を俺に投げてよこす。目には見えないが全身でそれを感じて、何とか落とさずに受け取る事が出来る。

 それを見て祖父がうなずいた。

「感覚は途切れていないようだな」

 昨日ほど明確では無いが、全身でものを見て感じる感覚は確かにある。

「さて、今日からは次の段階に進む」

 祖父が宣言する。俺は姿勢を正して祖父の言葉を聞く。


「今日からワシは、お前を時々攻撃する。お前はそれを察知して防御せよ。もちろん反撃してもかまわん。そして、ワシに一撃なりとも浴びせる事が出来たなら、その時こそ『無明の行』は修了とする」

 明るい場所でさえ、祖父に一太刀入れる事など今まで一度も出来た事が無い難行だ。俺は軽く目眩を覚える。

「質問はあるか?」

 祖父の問に、今渇望する情報を尋ねる。

「現在の日付と時刻を教えていただけますか?」

 祖父は頷くと、快く教えてくれた。

「現在は2月33日、4時43分だ」

 俺の感覚が1日近くずれていた。だが、もう俺の時間感覚は大丈夫なはずだ。直ちに感覚を修正する。


「では修行を再開するぞ」

「お願いします」

 俺が答えると、どうした事か、祖父の姿がかき消えた。・・・・・・いや、正確には存在しているという感覚が消え失せた。

 全くどこにいるのか分からなくなる。

 するといきなり背後からポカリと軽く頭を叩かれる。ミスリルの兜なので、全く痛みは感じないが驚く。

 全身の感覚で、空気の流れも感じられるようになったのに、祖父がいつ俺の後ろに回り込んだのか、全く分からなかった。いくら祖父でも空気を揺らさずに動く事など出来ないはずだ。

「これが『無我』だ。気配を完全に消す事で、空気の流れを感じていても、それすら知覚できなくする技だ。これを極めると、昼日中、町の中を歩いていても誰にも認知されずに歩き回る事が出来るようになる」

 また明かされる、祖父のとんでも技能。祖父のとんでもなさは、これが魔法では無く修練により身につけた技術と言う事だ。

「安心せい。さすがにここまでの技は今後は使わん。だが、気配を薄めて、攻撃していくから覚悟せよ」

 祖父がそう言うと、薄らと気配を感じたが、すぐにその気配は離れて消えてしまった。



 その日の夜19時半。俺は夕食を取り終えて、水飲み場で水を飲んでいた。

 もう食事を見逃したりしない。

 朝は6時に、昼は12時、夜は19時に食事が出される。毎回場所はランダムだが、俺はすぐに見つける事が出来るようになっていた。

 どうも祖父が「無我」で運んでいるようで、祖父がお盆から手を離すまで匂いさえ認識できない。

 なんと15時におやつまで出されていたのだから、祖父の感覚にあきれるのと同じく、これまで気付かなかった自分が不甲斐なくなる。


 生活自体はもうすっかり問題なく出来るようになった。

 だが、俺は全身棒で叩かれボロボロだった。一度も祖父の攻撃を防ぐ事が出来ない。手加減してくれていても痛いものは痛い。攻撃のタイミングもバラバラで、5分の間に立て続けに3回叩かれたかと思うと、1時間以上攻撃されない事もあった。

 だが、周囲の様子が分かると言うだけで、また、祖父が攻撃してきてくれる事で、もう孤独を感じる事は無かった。



 3月3日、15時05分。食事のタイミングで俺は正確な時刻が分かるようになっていた。今はおやつの時間で、今日は新鮮なフルーツと、「アンコ」の乗った「団子」だ。アズマの食べ物だが、エレスで大流行している。

 俺が団子を食べ終え、満足している隙を突いて祖父の攻撃が来た。初めて祖父の攻撃が見えた気がして、手に持った棒で防ぐ。

 コンッと音がして、祖父の攻撃を受け止める事に成功した。

「うむ。よくやったカシム」

 祖父の満足そうな声。その声に向かって、俺は棒を振る。

 棒は空を切る。

「フフフ。いいぞ、カシム。その調子だ」

 祖父が愉快そうに笑う。俺が修行でいい結果を出すと決まって祖父は嬉しそうに微笑む。直接見られないのが残念だが、俺はこの祖父の笑顔が大好きだった。この笑顔を見るために頑張ろうという気持ちになる。

 少年の頃、俺が一度だけそう告げると、祖父は走って逃げて、しばらく自室から出てこなかった事があった。何か大声で叫んでいたが・・・・・・。

 しかし、この笑顔は警告サインだ。なぜなら、この後にはさらなる厳しい修行が待っているからだ。



 案の定、祖父の気配がより薄くなり、攻撃速度も威力も上がった。

 一撃のダメージが半端なくなってくる。

 ほっそい木の棒とは思えないくらい痛い。一度、俺が受けると俺の棒がへし折れてしまったので、今は俺だけ鉄の棒を使っている。

「ふむ。5分ほど気絶していたぞ」

 とか、宣告される事が増えてきた。



 最終的に、攻撃は四六時中となり、俺は風呂とトイレ以外では、常に攻撃を受け続ける事となる。当然寝込みも襲撃される。俺は迷宮内を走り回り、跳んだり転げたりして祖父の攻撃に対処し、懸命に攻撃を仕掛けていった。

 回復魔法や薬も無く、俺の全身は、一カ所の漏れも無く(兜で守られている頭以外)傷だらけとなっていた。



 3月30日、19時55分31秒。

 祖父の攻撃を、あえて兜で受けたあと、俺は鉄の棒を右手で横凪に振り切りつつ、左手を攻撃が来た方と正反対の俺の背後に伸ばす。すると、そこに祖父の足があり、俺の手が祖父の足にかすかに触れた。

「カシム~~~~~!」

 祖父の大声が迷宮内をこだまする。祖父が荒々しく俺を抱きしめる。

「良くやった、カシムよ!我が孫よ!」

 祖父にもみくちゃにされながら、俺は大きく息を吐き出し脱力する。

『終わった~~~~~』

 声に出さず、魂からの声がどこかから漏れ出て、安堵が全身を包む。

 一撃を入れる事は出来なかったが、祖父にかすかにでも触れる事が出来た。それだけでも至難の業なのだ。

「これで『無明の行』は修了とする」

 祖父の言葉に「ありがとうございました!」と深々と礼をする。




 その後、祖父が鍵を開け、長く被り続けていた兜を外してくれる。

 直接吸う空気がとても新鮮で美味く感じる。

 更に、地下室から出て、外の風を感じると、空気のうまさと風の爽快さを有り難く感じ、感動する。

 空を埋め尽くす満天の星空の美しさと、夜空の明るさに、目がくらみそうになる。

 大気の流れが全身をくすぐり、この広大な庭の何処にどんな動物が潜んでいて、何処で鳥が羽を休めているのかも分かるようだし、虫たちの歩く音すら聞き分けられそうだった。

 その世界が、あまりにも賑やかで、まぶしくて、美しく、俺は感動に打ち震えた。

「ハハッ」

 自然に声が漏れた。

「ハハハハッ」

 俺が笑うのを、祖父が目を細めて見ていた。

「どうだ?カシムよ。自然は、世界は美しかろう」

 俺は祖父の言葉に頷いた。世界の有り様がこれまでと違って見える。この感覚を味わえたのなら、あの地獄の修行も甲斐があったというものだ。

 

 そこで俺は疑問に思う。

「ねえ、じいちゃん」

「ん?なんだ?」

 修行が修了したので、おれは普段の言葉遣いに戻す。もう祖父も俺を咎めたりしない。

「じいちゃんは一体いつ、こんな修行をしたの?」

 すると祖父は首をかしげて、さも当然そうに言い放つ。

「ワシはこんな修行はしておらんぞ?普通に出来たからな」

 うわ。出た、天然天才発言。また新事実ですか?勘弁してください。爪の垢を煎じて飲ませてください。あやからせてください。

 ともあれ、こうして俺の「無明の行」が修了した。




 その日の夜、俺の修行完了の祝いが、またしても盛大に行われた。もう休ませて欲しかったが、家族の嬉しそうな様子を見たら文句は言えない。

「やっぱりお前はすごい男だ、カシム」

 キースが俺の頭をなでる。

「でも兄さん。兄さんたちは2週間で修了したんでしょ?俺は1ヶ月以上掛かったんだぜ」

 するとオグマが目をむいて迫ってきた。俺の両肩に手を置いて、ガクガクと揺さぶる。

「何を言ってるんだカシム!俺たちは2人そろって無明の行に挑んだんだぜ。2人で協力して何とか乗り越えたんだ!」

 キースも言いつのる。

「そうだぞカシム。俺たち2人でも相当厳しかったのに、お前はたった1人で切り抜けたんだ。やっぱりたいした奴だよ!」

「俺がもし1人だったら・・・・・・2ヶ月・・・・・・いやもっと掛かっていただろう」

 オグマの追従に、キースもうんうんと頷いていた。

 そうかな?そうなのかな?

 そう言われるとそんな気もしてきた。・・・・・・いやそんな事は無い。この2人なら、1人でもきっと同じ2週間で修行を終えていたのでは無かろうか?


 祖母が気遣わしげに聞いてくる。

「ちゃんとご飯は食べられたの?お風呂は毎日は入れたの?」

「ええ」

 俺は笑顔を祖母や召使いたちに向ける。

「毎日、俺のためにしっかりとした食事をありがとう。しかもおやつまで付けてくれて」

 祖母が頷く。

 ベアトリスは「どういたしまして、カシム様」と笑顔を向けてくれ、リアは「いや~~~ん。本当はあ~~~んして差し上げたかったですぅ~~~」などと言って、「はしたないですぞ」とバルドに注意されていた。

 しかし、それを聞いた双子の兄たちがいきなり叫ぶ。

「な、何ぃっ!?」

 キースとオグマが目をむく。

「俺たちの時はおやつなんて無かったぜ!食事は1日2食で、せいぜいおにぎりだった!!」

「え?ちゃんとした食事が3回とおやつが付いてきたよ」

 俺の台詞に2人は祖父母を睨みつける。

「そうちょ~~~う!おばあさまぁ~~~~」

 祖父母2人は慌てて視線をそらした。


 そんなやりとりを無視して、父が俺の肩に手を置く。

「カシム。今回の修行の修了、おめでとう。だが、光ある世界に戻ってしまえば、今の感覚はすぐに薄まっていく。薄まらないように、日々、そう、日常生活全てを細かに感じるように精進するんだぞ」

 父の言葉は、スッと頭に入る。こうした感覚がすぐに薄まるのはもうすでに実感している。

 だが、右目が見えないのを補うには、きっと充分すぎるスキルとなるだろう。いま、右目が見えない不自由を一切感じていない。それに集中する事で、死角の物まではっきりと俯瞰した視界でとらえる事が出来た。

 恐らく真の「無明」にはほど遠くとも、それに近い技術を身につけたのだろう。

 これは俺を確実に助けてくれる技能となるだろう。

 俺は満足しつつ、手にした紅茶をすする。


「おお、そうだカシム」

 兄2人に攻められていた祖父が、話題を逸らそうとするかの様に声を掛けてくる。

「修行が終わったので、明日にでも城に登城することになるから、家で身支度をして待機していろ」

「ええ?!」

 もはや嫌な予感しかしない・・・・・・。

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