冒険の始まり 修行 2
目が覚めると、俺はすぐに体調から睡眠時間を推し量る。
今は2月27日の4時だ。
今日は昨日より早く起きたので、すぐに迷宮探索を開始する。今日こそ食事にありつきたい。
15時。俺は迷宮をうろついていた。まだ食事にありつけていない・・・・・・。
だが、壁に手をやりながら迷宮をうろつく事が出来るようになった。迷宮を進む速度が格段に速くなる。
ただし、手を離すと立ってさえいられなくなっている。
真の暗闇で、拠るべき物が無いと、上下左右の区別がつかなくなるのだ。急速にどこかに落下していくような感覚に襲われてしまい、パニックになる。俺は壁に手をつきながら食事を探して迷宮をうろつく。
24時。今日も食事にありつけない。俺は疲れ果てて温泉を利用する気力も無くベッドに倒れ込む。
本当に食事は用意されているのだろうか?
2月29日、14時半。俺は力なく迷宮の床に倒れ伏している。食事にありつけていないが、今はそれはもう問題では無い。
あんなに軽くて違和感が無かったミスリル製の兜が、今はとても重い。息苦しくて窒息しそうだ。息が出来なくなるパニックに、この頃頻繁に襲われている。
耳もやばい。自分の体に流れる血液の「ザアアアアア」という音と鼓動がやけに大きく聞こえて、耳をつんざく轟音の様だ。耳を押さえたいが兜のせいで押さえられない。
耐えかねて何度も壁に頭を打ち付けるが、ミスリル製の兜は傷一つ付かないし、俺の頭に痛みをもたらしてもくれない。
この際、痛みは恩恵だ。
兜の中の何処かがかゆい気がする。それも気が狂いそうな感覚だ。
もはや平衡感覚は失われて、自分が倒れている床すら感じる事が出来ない。深い水の中に落ちてしまったようだ。
「ああああああああああああああっっっ!!!!」
俺は獣のような叫び声を上げる。
「じいちゃん!いるのか?本当にいてくれるのか?もうダメだ!助けてくれ!助けてくれ、じいちゃ~~~ん!」
俺は泣き叫んだが、自分の声が耳をつんざき悶絶する。
何の光明も見いだせず、俺は精神的にも限界だった。
にもかかわらず、何の返事も、助けも与えられなかった。
どうしようも無く孤独だった。心が張り裂けそうだった。
もはや立ち上がる気力も無い。
恐らく2月31日。・・・・・・時間はもう分からない。
俺はあのまま身動きせずずっと床に倒れている。トイレにも行っていないので、俺のズボンはぬれてしまったが、それもすっかり乾いている。
脱水状態になっていて、意識がはっきりしない。そんな中、不思議な事だが、腕のあたりで何か匂いを知覚する。もちろん、腕に嗅覚は無い。だが、確かに腕や、足、全身で何かの匂いを感じた。
何だろう?
「・・・・・・だ、とぅ」
言葉もまともにしゃべれなくなっている。
俺は身じろぎをすると、匂いのする方に頭を向ける。
するとどうだろう。迷宮の壁が見える。
更に、その奥に光のようなものが見え、それがこの匂いの源である事が分かる。
俺は力を振り絞って立ち上がる。迷宮の壁が見え、地面が見える。だが、力の入らない俺は、迷宮の壁に寄りかかりながら、ゆっくりとしか歩く事が出来ない。もどかしい。
匂いの源の小さな光を見失わないように、俺は壁をいくつも曲がり、ようやく地面に置かれた光の下にたどり着く。
強烈な匂いだ。とてもかぐわしく、懐かしい。
暖かい温度も感じる。
涙が溢れてくる。これが何だかはっきり見える。
野菜と卵の入ったスープに、塩が掛けられただけの焼いた肉。それにパン。それらがそれぞれ皿に盛られて、トレーに乗せられて地面に置かれていた。ご丁寧にスプーン、ナイフ、フォークにナプキンまで添えられている。
俺はこんな大きな食事セットに今まで気付かなかったのか、こんなに香り立つ食事に気付かなかったのかと愕然とする。
俺はスプーンを手にして、震える手でスープをひとすくいする。
兜の口の部分が開くと、強烈な香りが俺を包む。あまりの香りの良さに気を失いそうになる。もう鳴る事を諦めていた腹の虫が、けたたましく鳴り出した。
俺は持てる精神力を総動員して、一滴もこぼさないように細心の注意を払いつつ、スープを一口すする。
「あああああああ~~~」
なんて美味いんだ。涙が止まらない。野菜から溶け出したうまみと、塩気とブイヨンの深い味わい。一滴一滴が体中を駆け巡る。
たまらず肉を手づかみにしてかじりつく。柔らかく仕上げられた上等な肉だ。いや、上等な肉で無くても充分だ。塩だけのシンプルな味付けが俺の体に活力を与える。肉は薄く切られていて、今の俺の状態でも食べやすくしてくれている。
パンも小さく、薄切りで数枚。全体の量は少ないが、今の俺が沢山食べたら、のどを詰まらせたり、胃が消化仕切れなかったりするかもしれない。
恐らくそうした配慮で用意されたメニューなのだろう。
家族の愛と、過酷な修行中だというのに細やかな気配りをしてくれている事が有り難かった。
祖父の言う通り、俺は孤独では無かった。
それから俺はゆっくり時間を掛けて食事を終えた。
体に力が、心に気力が蘇ってくる。
俺は、壁により掛かる事無く、フラフラ~と立ち上がった。 周囲を見回すと景色が変わっていた。
迷宮の壁が見えるだけではない。
説明しづらいが、天井から俺を俯瞰して見ているような視界があり、俺の全周、壁の向こうまで見通せるようになっている。しかも意識を集中すると、寝室やトイレ、水飲み場の位置が光って見える。温泉に至っては、水面が色つきで見えるようだ。
視覚だけでは無い。さっきまであんなにうるさかった俺の鼓動が感じられず、それより、温泉の湧く音、空気の流れる音までが聞こえる。
全身が物を見て、音を聞き、匂いを感じられるようになっていた。
すると分かる。
自分から2メートル前方に、誰かが立ってこっちを見ているのが・・・・・・。
身長や体格まで分かる。間違いなく祖父だ。祖父は本当にずっとそばに付きっきりでいてくれたのだ。
「よく耐えたな、カシムよ」
耳からはくぐもったように聞こえるが、全身の聴覚からは、はっきり祖父の声が聞き取れた。安心したような暖かみのある様子も感じ取れる。
「ようやく次の段階に行く事が出来るな」
暖かみが一瞬で消え、厳しい祖父の声に俺はショックを受ける。
「つ、次?」
「当たり前だ。お前は今ようやく『無明の行』の入り口に立ったに過ぎん。とは言え、今日はもうゆっくり休むがいい」
祖父の言葉に、一瞬体が重くなり、祖父を恨みかけるが、俺は祖父の体調の変化に気付く。
「じいちゃん、まさか・・・・・・」
「こら、カシム。修行中だぞ」
「あ・・・・・・、申し訳ありません。・・・・・・師匠、もしかしたら師匠も食事を取っていなかったのですか?」
すると祖父は「当たり前だ」とすまして答える。
「お前は孤独では無いと言っただろう。ワシだけ食事をとったりなぞするものか」
この人はすげぇな~。
「カシム。今日はちゃんと風呂に入って、歯を磨いて、着替えて寝るのだぞ」
ああ。じいちゃんの愛を感じる~。珍しく祖父の愛に素直に感動してしまった。
それも明日には撤回する事になったのだが・・・・・・。
地獄教最大宗派であるラジェット派の大司教デネと3人の高弟は、ジーンの軍団の攻撃から辛くも逃げ延びる事が出来ていた。その他の約500人の信徒達は全員死んでいる。いわば500人を
「グラーダの狂王め。意外にも迅速じゃった」
暗いどこかの町の地下の一室でデネ大司教がつぶやく。
地下室は、少ないろうそくの灯りだけで、その細部が闇に包まれているが、棚にいくつもの術具や、儀式の道具が置かれていた。
そして、3人の高弟がデネを前に
棒術使いのウシャスは失った右手の代わりに、木で出来た義手を装着していた。その義手に指は無く、大きなかぎ爪が一つ付いていた。
「まあ、失った信徒どもはまた補充すれば良い」
ラジェット派は、地獄教でも最大規模の宗派だった。と言っても前回の討伐でそのほとんどを失ったので、最大宗派でも1000人前後だったと言う事になる。
そのラジェット派も、今はデネ大司教と、高弟3人の他は、数名しかいない。
だが、デネ大司教の言う様に、また増やす事が可能なのだ。つまり、あえてその規模に抑えていたと言う事だ。人数が増えればそれだけ見つかる確率が高くなる。
ラジェット派は、儀式と性行を活動の主軸としている刹那快楽的な集団だ。それだけに愚かな若者が、飢えてゆがんだ馬鹿どもが簡単に集まる。集まれば洗脳して、自分たちが使いやすいように調教するだけである。
「それよりも、わしらの邪魔をした、あの小僧について調べておけよ」
デネ大司教が言うと、弓矢使いのヴァジャが顔を上げて発言する。
「師よ。あやつには私が呪いを掛けております。
「うむ。お前の呪術の腕は知っておる。だが、呪術とわかれば、恐らく呪いを解く方法も見つけ出すに違いあるまいて・・・・・・」
ヴァジャが顔をゆがませる。己の呪術に自信があり、それを師に軽んじられたように感じたからだ。もっとも、表情の変化を師に見られるような失敗はしていない。
「呪術が効果を顕すまでどの位掛かる?」
デネ大司教がヴァジャに尋ねる。
「そうですね・・・・・・。奴の気力次第ですが、恐らく2ヶ月ほどで効果を顕すでしょう。それまではすっかり傷が回復したと思い、疑う事もありますまい」
「ふむ・・・・・・2ヶ月か・・・・・・。グラーダのアカデミーが動き出していたとしたら、そこまで確実とは言えないな」
ヴァジャの顔がまたゆがむ。
「念のためにジンス派の連中に依頼して監視を付けるとするか」
ラジェット派が最大規模だとすれば、ジンス派は武闘派で、戦力としてはラジェット派をしのぐ。最高責任者を「教皇」と呼んでいる。
地獄教のバックボーンにいる地獄の魔王もそれぞれ異なっていて、各宗派の秘匿事項であり、他宗派の魔王が誰なのかはデネ大司教も知らない。
「あの小僧にはしっかり仕置きをするとして、今は次の儀式のための人集めが急務じゃ。それはロビル。貴様に任せる」
「は・・・・・・」
大男が頭を下げると3人は、影の様に暗い部屋から出て行った。
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