空の色は涙色

水越ユタカ

嵐のなかで

 その大陸は、連なる山々によってふたつに分断されていた。東側には人間たちがたったひとつの、けれども大きな国を建てて暮らしている。反対に、西側にはエルフが精霊の加護を受け、各地で肩を寄せ合うようにして生きている。

「べつに嫌いなわけじゃないんだよ」

 海辺から少し離れた洞穴で、青紫の髪をした女が荒い呼吸を吐き出しながら言った。洞穴の外では雨がほぼ横殴りに風と共に吹き付けていて、ここに入るのもやっとだった。女は膝を抱えて座り直すと、地面に何枚も衣類を敷かれたうえに、さらには何重にも布を巻かれた赤子に手を伸ばした。産まれたばかりの赤子は今までに二度見たことはあるが、二十年も前の話になる。

「じゃあなんだっていうんだ」

 洞穴の入り口で外の様子を注意深く見ていた男が言った。男は濡れそぼった緑色の髪はそのままに、女と赤子の向かいに腰を下ろした。男の口調は詰問するようでは決してなかったが、女は答えに困ったように黙り込んでしまった。そんな彼女に向かって男は再び口を開く。

「…… 少し寝てろよ。疲れただろ」

「だれかさんが強引だからねえ」

「うるさい」

 いいから寝てろ、と男が言ってくるのに、女は力なく笑った。

「寝られないよ、こんなんじゃ。外はうるさいし、上はいつ崩れて落ちてくるかわからない」

「ここしかなかったんだ」

「どうする、親子三人初めて並んで横になったその瞬間に岩が落ちてきたら」

「そのときは一緒に死のう」

 質の悪い冗談のようで、それなのにどこか真剣みのあるまなざしで言われて女はつい笑ってしまった。

 再び漏らされた女の力ない笑い声に男は微かに微笑んで答えた。と、女の傍らに寝かせていた子どもがにわかに泣き出した。男が慌てて抱きあげてあやすのを、女はぼんやりと見つめていた。

「なあ――」

「嫌だ」

 男は我が子を腕の中で抱きしめながらきっぱりと言った。聞き分けのない子どものようにうつむいて自身と目を合わせる様子のない男に、女はひっそりとため息を吐く。

「ふたつにひとつだろ。俺が死ぬか、三人とも死ぬか。いつまでもぐだぐだ考えたって仕方ない。どっちを選ぶべきか、どっちがより良い選択か、こんなの考えなくたってわかることだ」

「―― どうしてッ!」

 突然男が女の肩をつかんだ。

「…… どうして、一緒に生きようって言ってくれないんだよ」

 ふたりのあいだで赤ん坊の泣き声が鳴り響いて、雨風の音のなかに溶けていった。雨の勢いはまるで弱まる様子がなく、むしろその勢いは少しずつ増しているようにすら思える。

「…… 俺は…… おまえがいないと生きていけない……」

 女は、膝立ちになった男の胸に耳を寄せた。そうして、しばらく男の鼓動を聞いていたかと思うとぽつり、俺もだよ、とささやいた。

「おまえがいたから生きていられた。すごくしあわせだ。おまえに愛されて、愛することができて、ほんとうによかった。おまえの子どもまで産むことができて…… まさか自分がこんなにしあわせになれるなんて思ってなかった」

 おまえのおかげだ。

 女は言って、また男の心臓の音に耳を澄ませた。

 数回と聞かないうちに頭を抱き寄せられ、女の頬が男の頬に触れた。

「…… おまえは、ずるい」

「うん、ごめんな」

 女は濡れた頬に自らのそこをすり寄せながら言うと、男と赤ん坊を抱きしめた。親子三人は、しばらくそうしていた。



 大陸の南、もっとも大きなエルフの一族が住まう里、名をアロイシカ。その中心地にある屋敷に、王ラウナはいた。彼女は蒼髪をたなびかせながら、窓の外をじっと見つめていたかと思うと、ぽつりと言った。

「―― アイオが死んだ」

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