生と死

搗鯨 或

生と死

 僕の家の前に人型の絵が描いてある。白いチョークで。僕は自分の部屋の窓ならその様子を見ていた。家の周りは、数台のパトカーと黄色いテープによって囲まれている。警察やらなんやらがごちゃごちゃしている地上とは反対に、空は綺麗な水色だった。

 

「白く描かれた人型、あれは人が殺されたってことよ」


 ふと、昔母が教えてくれたことを思い出した。死人を型どったもの……。そう考えると、気分が悪くなり、僕は窓から外を見るのをやめた。そして、ベッドに倒れ込んだ。


 外の騒がしさで、僕は目を覚ました。日が暮れたのか、窓からは赤い光が差し込んでいる。

 外の騒がしさの原因は下校中の学生のせいだとわかった。いい近所迷惑だ。僕も学生だが、不登校中だから、友達と一緒に買えるなんてことはない。いや、これからもないと思う。


 僕は「何故、人は生きるのか」というのを何回か考えたことがある。ちゃんとした答えが出たことがない。さっき人型を見たときにも思った。今、考えてみるといろいろな答えが思いつく。


 人が生きるのは何かしらのいいことがあるからだ。もし、死ぬほうが生きることより楽ならば、世の中の人々はどんどん自殺するだろう。

 

 何故、人は生きる……いや、死ぬことを拒むのか。「死」が何か知らないからだ。自分が生きているうちに「死」は何回か見るだろう。家族、親戚、友達、他人。様々な死を様々な方法で知るだろう。しかし、自分が経験する死は一度だけだ。だから人々は死を拒み、生きようとする。



 だが、世界というものは広いもので、自殺する人も多い。死んだからって世界が変わるとは僕は思えない。時計の針は6時55分を指していた。もう赤い光も差し込まなくなった。

 僕はベッドから体を起こしリビングに向かうことにした。リビングにある本を読みたいからだ。本は読み手側に想像力を与えてくれる。僕は漫画やスポーツ雑誌よりも本が好きだ。


 リビングの本棚の前で何を読もうか考えていたが、外から警察の声がして、自然にさっきまで考えていた自殺のことを思い出した。


 大体人が自殺をするのは、自分の生活が苦しくなり、それに耐えられなくなるからだ。時計の長い針が少し進む。「自殺」は、自分を殺すという意味だと僕は思っている。

 それに、自分の生命を殺す以外にも当てはまるとも思っている。例えば、周りの人間に合わせるために自分の性格を変えてしまうことだ。針がまた少し進む。周りに合わせるためだけに、自分の性格を変え、にこにこと接するなんて、僕にはできない。いや、出来なかった。でも、それで良かったと思ってる。自分を殺さないですんだのだから。また、針が進む。

 なんてことを思ったけど、やはり僕は「殺す」という言葉は「命」を奪うのが一番あっていると思う。


「ただいま」

 疲れた顔の母が帰ってきた。一応「おかえり」とは返してみる。母はソファにドサリと座ってテレビをつけた。針が進む。テレビの中で天気予報のお姉さんが笑っていた。僕は母の隣に座ったが、音は出なかった。

「母さん、仕事お疲れ様。晩御飯どうする?」

 そう母に尋ねても母はテレビを見ていた。

 

 七時になった。

『先週、○○県✕✕市△町で中学三年生男子生徒の遺体が見つかった事件についてです。遺体は男子生徒の家の前で発見され、警察の調べでは自殺だとわかりました。また、男子生徒は学校の人間関係で不登校だったようです。』

死んでも、見える世界は変わらない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生と死 搗鯨 或 @waku_toge

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る