人はすれ違う生き物である…………

コタツの猟犬

そんなこともある


彼は今、目の前にいる女の子に惚れた。



突然、恋に落ちたのだ。




一目でそれと解る自己主張の強い、女の子だ。

所謂不良である。


金髪で、肩を怒らせ、がに股で歩き、人を威嚇している。



「ふぅー」



お世辞にもお洒落とは言い難い格好だ。


凡そ、この時代にはお目に掛かることなど、本来なら有り得ない、

昔のドラマでしか見ない如何にもな格好をした女の子に、

彼は今、一目惚れしたのだ。



清楚な少女に微笑みかけられ、一瞬で恋に落ちる。

 

あるいはちょっと気の強そうな可愛い女の子とぶつかって、

意識し始めて好きになる。



物語として、それは極々当たり前の事だ。

現実にもきっと溢れている事だろう



彼にはそれが不良だったというだけ。



「オイ。テメ―。何見てんだよっ」



そして、そんな愛しい彼女から熱い視線を向けられた。

思わず気持ちが昂る。



昔の言葉でいうメンチを切るというヤツだろう。



「聞いてんのかぁ? オメーだよオメー」


「…………」



主人公が彼女に見惚れて、何も言えずにいると、

その熱すぎる想いは積極的な肉体的接触へと移行する。



つまり、胸ぐらを掴まれた



「オイっ! ビビッてねぇで何とか言えよっ!」


ビビッてなどいない、最初から。


ただ、見惚れて何も言えなかっただけだ。




好きな相手に迫られて、気のきいたセリフが言えるなど、

物語の中の話である




「…………いい」



「あんっ! お前、マジでビビッてんならさっさと詫び入れろやっ!」



もう一度言おう。

彼は最初からビビッてなどいない。



最初に見た瞬間から、彼女にビビビッと来ただけだ。



「お前。すごくいい。すごく可愛いよ」



彼女が生きて来て、

似た様な言葉を受けたことは幾度かあったが、

この様な状況では全く覚えが無い。


有り様が無い。


人は自身の中にデータや情報として持っていないことには警戒し、時に恐怖すらする。



「え⁉ いや、あの」



人は好意を向けられれば好意で、

敵意を向けられれば敵意を自然と向けてしまうものだ。



しかし、常識の範疇を大きく超えたものは、ただただ恐怖である。



こんな予測すら出来ない返答に、彼女は本能的な恐怖を感じたが、

自分から熱いアプローチをしておいて、引き下がるなど、

積極的な彼女の選択肢には無い。



つまり自分から喧嘩を売っておいて、今更芋を引くなど、

彼女のプライドが許さない。



「お、おいっテメーは頭沸いてんのかよっ!」



恐怖をなんとか振り払い、出した声はちょっと上擦った。



彼は頭が沸いているのではない、浮かれているのだ。



「その唇の厚さ、最高だ」



本能的な部分がぞわぞわっと来た。


しかし、撤退は許されない。

今の代、不良でもSNSを使っている。


誰が見ているか分からないのだ。


もし、自分から喧嘩を売ったのに、尻尾を巻いて逃げたなどと拡散でもされたら、明日から自分は生きていけない。


なんちゃって不良(ヤンキー)乙。とでも書かれるのだろう。



「はっ、おまっ、この状況でよくふざけてやがるなっ!

 サッサと詫び入れろやっ!」



正に今の彼女は、蛇に睨まれた蛙であるが、

彼女自身は、地割れに飲み込まれる自分を想像していた。



「良く見れば、目も綺麗だな」



腕っ節の強さで、その啖呵の切り方で、自身を奮い立たせて、

この社会で何とか折れずに生きて来た。


日本は世界的に恵まれていると言われているが、格差社会だ。


それでも、懸命にツッパって生きて来た。


しかし、そんなモノを一笑する怪物が目の前にいる。



そして恐怖から聞いてしまった。



「て、テメ―の目的はなんなんだよっ!」





「俺は、お前が欲しい」




…………彼女の心は折れた。




「あ、あう…………あ、あの」

「なんだ?」


「その……」

「ああ」


「ご、ごめんなさい」

「いや、違うっ!」



心臓を掴まれたような感覚が彼女を襲う。

恐怖が彼女を包み、撤退することすら出来なかった。


そして、思う。


何が違うのだ、と。



今、断ったのに。



そして悟る。


この怪物の機嫌を損ねたら、きっと命が危ない。

いやもっと、色々と危ない、と。



「……あ、あの、土下座でいいすか」

「違うっ!」


「ひっ⁉」

「俺は謝って欲しいんじゃない」



この後要求されるのは、金か体か。


金なら何とかする、しかし体を要求されたら……と思うと恐ろしい。

経験が無いわけではない。しかし豊富と言う訳でもない。


そんな自分が、この怪物とそんな場面になったら、その後の人生がまともに送れるとは思えなかった。



「そ、その、お金なら用意します。それで勘弁してください」

「だから、違うっ!」



「じゃじゃあ……か、体ですか?」

「それは最高に嬉しい。しかし、そうなるとしても違うだろう」



もう彼女には訳が分からなかった。


この怪物にもう体を差し出すしかないのかと、半ば諦めかけたが、提案するとそれは欲しいが、正解ではないと言う。


そもそも人間ではない怪物の心など、

どれ程尖っては見ても凡庸な自分には、分かろうはずも無い。



「お前の愛が欲しい」



彼女の心は再び折れた。



思い出したのは家族の顔。とても家族に会いたくなった。

 

もう一度会えたら、今度は優しくしようと決めた。



もう恥も外聞も無かった。

 

気がつけば土下座をしていた。


今、この時を逃れられたら、明日を生きられるのなら、

真っ当に生きていこうと、心に誓った。



「ほんっとーうに、すいませんでした。

 なんでも言うことを聞きます。ですからどうか許してください。

 もう二度とアナタに喧嘩を売ったりしません。

 神にでもなんにでも誓います。

 絶対にアナタを見たりしません、視界にも入れません。

 アナタが居そうなところにも近づきません」



始まってもいない恋は終わった。



そして、一人の少女が更正した。




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