兎を追いかけないアリス 前編

長い長い、とても長い間深い眠りについていたのだろうか。少女・・・アリス=キャロルはそのもっともありえるであろう真実を認め、しかしおぼろげな意識の中で瞼を開ける。眩しかった。久々に見る、黒以外の色はまず光となって差し込んだ。しかし、それは暖かさも帯びている。そう、まるで出られない真っ暗闇の迷路の中で一筋の光が見えたような。もっとも、アリスはそのような場所にいたことはないのだけど。


瞼を開ける。瞳に映るのは雲のない青空。アリスは仰向けに寝ていたのだ。ゆっくり体を起こすと、やはり空に果てはなくどこまでも広く、青一色。さらに体を起こし、立ち上がる。体にどこも痛い所はない、気分も悪くなく異常は見られない。やはり自分は寝ていただけなのだ。ただ、一つの大きな問題を除いては。

少女アリスには記憶がなかった。わかりやすくいえば記憶喪失だ。なぜ、ここにいるのか、ここがどこなのか、それだけならまだしもこの世界の事、自分の事さえ何もかも頭からすっぽり抜けてしまっているのだ。

もしかしたらここが見覚えのある景色なのかもしれない。青々とした茂みの真ん中に広い道があり、その向こうには煉瓦造りのカラフルな家がポツポツと建っている「村」。に、対し、記憶がなければここが自分の住んでいた所だとしてもわからない。まあ、誰かに尋ねたら良いのだがアリスには「私はここに住んでいましたか?」と聞いてもしおかしな顔をされたら恥ずかしくてとても聞けそうにない(場所の名前だけ聞いて思い出せるかどうか自信がないための質問である)。


そこに、自分に対する情報、世界の全てを忘れているのだから不安以上の何があるのだろうか。いや、無い。あるとしたら、恐怖・・・。

「私は・・・。ここ、どこ・・・?」

一歩、また一歩と足を前に。ふわふわとしながらも地に着く足の感覚はしっかり。

前へ進むのが怖い。でも、こんな所で今の私に誰が助けてくれるのか。進むしかない。だからアリスは進んだ。せめて世界の最低限の常識だけでもこの目で知りたくて。なんにしたって恥ずかしい思いはするし、それは嫌なんだけど。


風の音、更に風が草木を揺らす音が聞こえる。それ以外に別の音が聞こえた。なんというかこう、ぺたぺたと小さい足音のような?背後から自分を追いかけるように近づいてくる。アリスは振り返った。

「動物?」

アリスはここにいる動物さえ知らない。いや、流石に全く知らないわけではない。猫とか、犬とか、名前とともに有名な動物なら大体頭にあった。そう、例えばウサギとか。

色々な体毛、種類が存在するが、白くて耳が長くてふわふわで四足歩行で跳ねるように走る・・・少なくとも、人間の服を着て二足歩行で走るものではない。

「おーい!!」

しかも喋った。ウサギどころか動物はまずここまで滑らかに喋らない。と、いうか。そもそもあれはウサギなのだろうか?どこからどう見ても首から下が人の体格なのだから!しかも近づいたからわかる。首から上はウサギの、被り物だ。布でできている!

「ひいっ!!」

知らない世界で、得体の知れない何かに追われて、アリスは恐怖が今一度ぐんとあがった。冷や汗と、顔を引きつらせ、勢いよく顔を背けて逃げ出した。

「ま、待てよ!逃げられたら困るよ!!」

逃げるでしょ普通!と心の中で叫びながら足を止めない。たとえ困ると言われても。

「お前も穴から落ちてここに来たんだろ!?」

その言葉でようやくアリスは止まる気になった。

「穴・・・?」

ようやくウサギらしきものが追いついてくる。膝に手をついて息を切らしている・・・のかもしれない。走ったから疲れた、というのは見て明らかだ。

「はぁ・・・全く・・・そうだよ、穴!僕も同じ場所に穴から落ちてやってきたから君もそうじゃないかって・・・あーもう疲れた・・・。」

どうやらこのウサギも、自分と同じようにしてここにやってきたというが。

「穴?穴なんてないわ。空に穴なんかあるわけないじゃない。」

試しに見上げてみるが、邪魔する木も建物もないだだっぴろい空がそこにあるだけ。アリスの中の常識では穴は地面にあるものだ。

「僕は見たんだ。穴が消えたんだ!信じてもらえないかもしれないけど。」

割とよく喋るウサギだな、今のアリスの彼?の印象はそんな感じだった。それよりも。

「穴が消えた?・・・この世界ではそうなのかしら?・・・それとも、高い所から落ちて、そこからここまで移動して、眠っちゃったのかしら?」

ウサギはこちらを見て首を傾げる。勿論、表情は変わらない。

「僕と君は全くの別の方法でここへやってきたというのかい?・・・まあいいや。ていうかアリスさあ。僕を見て何か他にない?」

ここは素直に思ったことを言ったら良いのだろうか?自分の名前を予想外の形であっさり聞かされて、ここはまず貴方は何者かを問うべきなのに、どうしてもその異様な出で立ちに一言、言わなければ気が済まなかった。

「・・・ええと、ソレ、貴方は可愛いと思って被っているのかしら?」

「は?」

返ってきた声に圧を感じる。アリスは意外にもそれに物怖じしなかった。

「確かに可愛いわ。でも、着ぐるみならちゃんと体も用意しないと。手抜きだって思われるわ。」

「・・・・・・。」

ウサギは棒立ちになる。次に返ってきた声は元の調子に戻っていた。

「いやまあ、僕だって好きでこうしてるわけじゃないというか・・・それについてはさ、追々話すとするよ。」

「話せないもの同士ね。私、実は記憶喪失みたいなの。」

「は?」

さっきと同じ返事。だが、今度は拍子抜けしたような声色だった。

「ここがどこかも、どうやってきたかも、私のことですらわからないの。貴方が意見を求めてるから先に言ったけど、貴方、どうして私の名前を知ってるの?」

「落っこちた際に頭を打って記憶を失ったか・・・?」

手を顎下に持っていき深く考え込む仕草をする。ウサギはアリスと違い、何かにつけて手や足が動くみたい。

「君はきっと「貴方は何者なの?」と聞こうとしているだろ?」

アリスは首を横に振る。

「「そんなことって本当にあるの?」って聞こうとしたわ。」

そのあと少しの間沈黙が流れた。

「・・・うんうん、その屁理屈をなんともない顔で言う所、紛れもなく僕のアリスだ。・・・おっと失礼、語弊があるな。」

するとウサギはアリスの横を通り過ぎる。

「どこへ行くの?」

数メートルほど歩いた後にピタリと立ち止まり、こちらを振り返る。さっきのアリスみたいに。

「ついてきな。歩きながら話すとしよう。時間は無駄にしないほうがいい。ま、気兼ねすることはないさ。あの村、今じゃ野良猫一匹住んじゃいないからね!」

とだけ言って遠慮なく前を歩くウサギにアリスはおずおずと後を追いかけていった。これじゃあ、状況が逆になっちゃった!



「まず何から話そうか・・・最初は、僕の身の上話からした方がすんなりと入れそうだ。君はどう思う?」

独り言なのか話しかけているのか、しかし尋ねられたらそこで会話になってしまった。

「どうって、言われても・・・。」

アリスは深く考えていなかった。なんてかえせばいいんだろう。気の利いた返しも浮かばず、機嫌を損ねてしまうのではないかと初対面で間もない相手に気を遣っていたが。

「聞いてみただけだからいいよ。」

随分とまあ、素っ気なかった。それがかえって色々考えさせるのだが。

「僕の名前はハミルトン。対して長くもないのにハミーてみんなは呼ぶんだ。そこは別に構わない。君もそう呼んでくれていいからね。僕から呼んでいいよって言ったのは君が初めてさ。」

「・・・・・・。」

アリスはこのとき感じた。自分の名前だけでこうも長ったらしく話されては、丸一日ぐらいかかってしまうのではないか、と。今は一刻も早く状況を把握したい。のんきにおしゃべりしたいのではないのだ。

「今、君は「早く本題に入れよクソウサギ、お前は校長の先生か!」て思ったに違いない。」

そこまではいっていない。罵倒の言葉まで入っているじゃないか。

「そんな、とんでもない!確かに、話が長いからいつ本題に入るのかな?とは思ったけど・・・とりあえず、ハミーさんでいいのかしら。」

すると片方の長い耳が真っ直ぐ上へと跳ね上がる。動くんだ、アレ。

「愛称にさん付けか、悪くない。気に入った・・・けど、似合わない。呼び捨てで頼むよ。」

頼まれてしまったら、抵抗を感じてもそう呼んだほうがいいだろう。さん付けを押し通すことにより、こっちの「やっぱり無理」という気持ちを汲んで、仕方なく呼んでもいいという人には・・・見えない。

「というか本題にはちゃんと入ってるよ、全く。んで、この頭を見ればわかる通り僕はぬいぐるみさ。」

ぬいぐるみ・・・?

アリスの中でもぬいぐるみって、首から下が人の体でしかも人の言葉を話せるものなどありえないわけなのだが。もうツッコミを入れるのも面倒になってきたので黙って聞く事にした。

「お?急に良い子になったな?なら続けるけど。元々は君が大切にしていたぬいぐるみだったのさ。記憶喪失だから今は忘れてるけど思い出したら「あーなるほど!」ってなるよ。」

「えっ!嘘待って!?」

それは聞き捨てならない。今はすっかり忘れてるから無理もないが、アリスはそんな悪趣味なモノを好んで大切にしていたのかという事実に混乱した。ますます自分が何なのか、思い出したい気持ちが早まって焦り出す。

「私、きっとそんな・・・多分、もっとこう普通な感じの・・・普通のぬいぐるみを可愛いと思う感覚があるというか。」

顔だけは可愛いのになぁ。さっきから妙に口が悪いし。など不服ばかりがうかんでくる。

そういえば、もうそろそろ村の入り口まで差し掛かってもいい頃のはずだ。なのに、なぜかずっと同じ景色を見ながら同じ道を歩いている気がする。思っていた以上に距離があったのかもしれない。なんてことをぼーっと考えていたアリスの思考をムキになった少年の声に遮られた。

「失礼な!普通の可愛いぬいぐるみだったさ!」

・・・黙って事情を聞こう。

「ここに来てから散々だったよ!野犬に引きちぎられてなんともむごたらしい姿を晒して捨てられたのさ!当然、普通のぬいぐるみは話しも動けもしない!まあ、両方できたところで逃げ切れる自信はないなぁ。」

長いけど最後まで聞こう。よほど鬱憤がたまっていたんだろうなぁ。とアリスは聞いてて心が寛容になった(本当は「もうどうでもよくなった。」と諦めの気持ちだったがその自覚は無かった)」

「そのあと、誰か知らないけど通りすがりの人が僕の頭を拾って首から上がない人間の体とくっつけてくれたのさ。」

時々、突飛に常識はずれなことをさも当たり前のごとく自然に挟んでくるから困る。些か呆気にとられて二の句が継げないでいると、二人が歩いている足音、いや、ブーツを履いて歩いているアリスの足音が聞こえるのみ。ハミルトンは靴を履いていないが裸足では無かった。この砂利道、痛くはないのかな?

「・・・ハミーさん、あなた、さっきから何を言っているの?・・・死体なの?」

「うーん。首から上がなけりゃ、普通死んでるよね。」

自分のことなのにさながら他人事のように言うんだ。

「ま、原理なんかよくわかんないな。でもさ、もうなんかそういうことが普通にできる人がいる時点でこの世界は異常なんだって確信したよ。」

そうやってすんなり受け入れられたら、どんなに楽なのだろうか。にしても、今動いてるそれが元は首無しの少年の死体というのは受け入れるにはあまりにも刺激が強すぎる。アリスの感性はまっとうというか、そういうものにはどうやら耐性がないようだ。少し、顔から血の気が引いていくのを感じる。

「そのおかげで僕はただのぬいぐるみじゃなくなったのさ。」

ただのぬいぐるみならどれだけよかったことか。そこで突然、アリスはある事に気付く。

「ただのぬいぐるみだったんでしょ?その・・・私の名前を知って覚えているのはおかしくない?」

生きとし生ける生き物ならまだしも無機物は無機物なのだから、その目も飾り、何も見えない。頭はワタで詰まってて、何も覚えない。感じない。普通ならそうだ。アリスは玩具にそこまで何かを求めてはいない。

「言いたい事は概ねわかる。でもね、物にも魂は宿るもんさ。」

と言われたらなんとなくそんな気がした。そういえば。

『僕を見て何か他にない?』

ついさっきの問いと同じだ。もしかしたらところであの時も、「この顔を見て何か思い出さない?」という意味だったのだろうか。あの時アリスはついうっかり容姿について問われたのだと勘違いした。知らなかったとはいえ、割と容赦のない言葉をかけてしまった。なんだか申し訳なさがあとからになってこみあげてくる。

向こうは気にしているのか、いないのか。今更だし、聞くのも怖い。こうなったら・・・。

「そ、そう!なら私のこと、他に知っていることあるでしょう?」

アリスはとっさに話題を変えた。いや、一番知りたい事ではあった。彼のいう話が本当ならこれほどまでに嬉しい出会いはない。

「今は他人以上に私は私について何にも知らないの。でも忘れてるだけで、色々教えてくれたら思い出せるかもしれないし・・・。」

「それについてだけど君の事はそんなには知らない。」

バッサリと返されたもんだ。アリスはまるで鳩が豆鉄砲を食ったような気分だ。

「だって、君ったら僕をずっと子供部屋に置いて、部屋で遊ぶ時にしか出してくれなかったじゃないか!」

大切にしていたというのはどうやら、いく場所全て、ずっと一緒みたいに外へ連れ出していたわけではなく、部屋で遊ぶ時の本当のおもちゃとして扱っていたという意味合いだったらしい。こういう時にツケが返ってくるとは。おもちゃの気持ちになって考えたこともなかった!

「悪いとは言ってないけど、あまり当てにしないでよね。一般常識はおろか、物の食べ方すらよくわかっちゃいないんだから。」

そこはやっぱり、オモチャはオモチャで自分たちとは違うんだなあと感じた。

それはそれとして。

「あの。話は変わるのだけど、私達、もうとっくに村についていてもいいと思うのだわ。」

恐ろしい事に、これだけ喋りながら足を止めることなく歩いているのにまだ着いちゃいなかったのだ。全く距離が縮まっていない。目をこすってみても結果は同じだった。

「ああ、それはちょっと意地悪してたからね。」

と言ったハミルトンは、指を鳴らす。すると・・・いや、初めてみた時とほぼ同じ景色だったからすぐにはわからないが、歩いている感覚が今まで以上に確かなものになった。足を前へ踏み出し地面を踏んで、後ろへ蹴る感覚。

「僕には、正確にはこの体には不思議な力がある。空間を引き延ばしたり大きく出来るんだ。逆はできないし、一日一回しか使えないんだけどね。」

それを先に言って欲しかった。

本当に意地悪な奴だ。アリスはここに来て初めて腹を立てた。ハミルトンはお構いなしだ。

「あとは僕が歩き続ける事で力は継続できる。好きな人とずっと一緒にいたい!とか、デートする際とか、これは重宝する事間違いなし!」

「・・・。」

今度こそ何か文句の一つでも言ってやろうかとしたが、最後の余計な一言で腹の中のモヤモヤがストンと落ちた。どうでもよくなったのだ。

「場所にもよるけど、同じ道をずっと歩き続けるだけのデートなんて嫌よ。」

口から出てきたのは彼が言いそうな、皮肉。だがハミルトンは対して否定するわけではなく。

「僕も同意だ。」

賛成した。そういうところが、本当に意地悪な奴だ。この頃にはアリスは怒りより、やれやれといった具合だった。




村の中に入ったアリスとハミルトンは、早速空き家となった民家に足を踏み入れる事に。いくら人がいなくなったとはいえ、元はここにも誰かが住んでいたのだ。その証拠に、棚には沢山の食器が綺麗に並べてある。人生で初めて、最初で最後の不法侵入をしている気がしてアリスはこの上ない罪悪感でいっぱいだった。一方ハミルトンは遠慮がない。平気で棚や押入れの中を漁っている。事情を知っていても、この差である。

「たいして期待はしてないけどね。こんなボロっちい家に、金目の物か金になるような物があるなんて思ってなかったさ。」

押入れの中は空っぽ。ハミルトンの後ろから覗き込むが隅に埃が溜まっているぐらいだ。彼が興味を失って、家から出てしまったのでアリスはそっと押入れを閉めて民家を後にした。しかし、本当に誰一人としていない。いなくなってから果たしてどれぐらいの時間が経ったのだろう。この町自体に何か危険な物があって、村人はみんな逃げてしまったのだろうか。ならば仮にその危険が未だ身を潜めどこかに隠れていたとしたら自分たちも危ないのでは?なんて色々な思考が次から次へと頭の中を駆け巡った、まるでかけっこしているみたいだ。考え事中のアリスなどしったこっちゃない。側から見ればただぼーっとしながら歩いているだけのアリスを彼は気に留めなかった。

「食べられる物でもあったらなぁ。僕はいらないけど、アリス・・・お腹すいてない?」

いや。彼は彼なりにアリスの事を気にしているようだ。

「今は空いていないわ。」

するとハミルトンは「あっそう。」とだけ言って向かいの民家にずかずかと入っていった。心配しているのかが心配になる始末だ。

「あ、でも喉が乾いたかも・・・。」

聞こえるかどうかわからないか細い声で、特に誰に向かっていうわけでもなく呟く。ハミルトンの長い耳は(ぬいぐるみだけど)しっかりと捉えていた。

「喉が乾いたのかい!じゃあ水だ!」

蛇口がある。しかしアリスもハミルトンも視界に入れても無視をした。「水道水をそのまま飲むのはやめたほうがいい」となんとなく頭の片隅にあったからだ。きっと彼女達のいた世界の、そのまた住んでいた地域の水道水から出る水は飲むにふさわしいものではなかったのだろう。そんな中、ハミルトンが台所の棚から一つの液体の入った瓶を見つける。

でも、彼が言ったのは喜びの声ではなくひどく落胆した様子だった。

「お酒!!」

そう言ってなんとまだ液体の入った瓶を、窓から放り投げてしまったのだ。

「使えねえなあ!」

あまりの突飛な行動にアリスは呆気に取られて言葉が出てこなかった。悪態をついた後はなりふり構わず台所のそこらじゅうを物色し始めるハミルトンを前に「彼の機嫌は損ねないほうがいい」「彼がおかしいと考えたらこっちがおかしくなるからいちいち気にしない」と事を無難にやり過ごすにはどうすればいいかの方法ばかりを浮かべる。その中でふと「彼は話す口があるけど食べることはできるのだろうか、呼吸はどうやっているんだろう?」と、疑問が湧いてくる。空気を読んで、後で聞いてみようとアリスは黙ったまま民家の中を見渡した。

「あ、このコップかわいい。」

台所のテーブルに置いてある、赤いマグカップ。この古い家には浮くぐらいに綺麗で真新しい、光沢のある真っ赤なマグカップで、手に取るとアリスの顔がわずかに映る。しかし、アリスはあることに気づいて驚いた。

「ねえこのコップ、あったかいわ。」

「なんだって!?」

急ぎ足で駆け寄り、テーブルに手をつき身を乗り出してアリスから強引にマグカップを奪い取った。

「・・・本当だ。しかも見ろよ、誰かが飲んだあとだ。」

見ろよ、といったって彼の手の中にあるのでよく見えないが覗き込むと確かに、洗ったものではない。液体の色から察するに・・・。

「紅茶だな?コーヒーじゃあないな。」

「誰かがここで飲んで、まだそれほど時間が経ってない・・・。つまり?」

その時、考えが一致した二人は顔を上げ、たまたま目もあって、声もぴったり重なった。

「「誰かいる!!!!」」

あまりに二人の行動が息ぴったりなものだから当の二人がそれぞれびっくりし、しばらく沈黙が流れる。

「たとえこの町を出たとしても、そう遠くには行っていない。どうする、アリス!町の中を探すか、町を出て追いかけてみるか。」

まさかこちらに振られるとは思ってもなかったアリス、目を白黒させて両手を振りながら二歩ほど後ずさりをする。目の前まで迫られた選択肢に戸惑う。

「え、え!?私が決めるの!?」

ハミルトンはマグカップをテーブルに戻す。無表情なはずがそれが逆に何を考えているのかわからないので余計に怖い。

「どっちがどう転んだって責めやしないよ。正直、僕にも反省する点がある。責められないのさ。」

偉そうなだけにしているウサギかと思いきや、そうでもなかったようで。

「力を無駄にした!あの力は一日一回限定ってわかってるのに!こんな事があるなんて。今使えたらどんなに便利なことか!」

アリスと町に入る前に、使用回数に限りがある力だとわかっていて特に意味もなく使ってしまい肝心な時に使えなくなった事を後悔とともに反省していた。でもアリスは咎めない。

「仕方ないじゃない。先のことなんてわからないし、そういう時もあるわ。」

「それだって僕が先にここに・・・・・・。」

まだ何か言いたげだったが、首を横に振って話題を元に戻す。

「で、結局どっち?僕はどっちがいいかわからない。君を信じてるんだ。」

なんて言われたら悪い気はしない。責任も重いが、今の様子の彼ならどうなってもある程度は許して付き合ってくれるのではないかと期待しながらアリスは「第三の選択肢」を選んだ。

「町から出て、前に人の姿があったら追いかけて、なかったら少しの間待ち伏せてみましょう?そのうち出てくるかもしれないわ。」

ハミルトンは首をかしげる仕草をする。町の向こう側まで行った訳ではないが、特に視界を覆うような大きな建物も、木もなかった。

「・・・ああ、新しい選択肢が追加されてて一瞬わけわかんなくなったよ。でも、さすがアリス。やっぱ君を信じてよかった。」

「ごめんなさい・・・。」

勝手な行動には変わりない。咄嗟に謝る言葉が口から出るが、そうと決まればといった感じで早速彼も行動に移す。

「いったろ?君を信じるって。どっちにせよ、今はこんなとこでじっとしててもしょうがないってわかったんだ。行こう。」

ハミルトンは今度は足取り軽やかに民家を飛び出す。アリスも続いて民家を出る。些か、彼の背中に安堵を抱きながら。

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