第21話 12月20日 月曜日 就業間際

 仕事の面ではいつもと変わりなく、白雪さんはこのままあの件は自分の中にしまおうとしていた。なので、終業間際に社長に呼ばれて驚いた。

 まず、金曜夜に廊下で転んだ人のことを聞かされた。休んでいると思っていたが、足の指が折れていたらしく入院したとのことだ。そうですかと言うと

「冷たいね、君も」

と、イライラした口調で言われた。何か知っているんだろうと問い詰められたので、ビールを注いでいたところから順に経緯を説明した。過不足なく事実だけを話した。

 けれども、相手は納得していない。

「君に転ばされたと言っているんだがね!」

いきなり怒鳴られた。治療費を払えという勢いだ。本当はすぐに怒っても当然の事柄だが、若い女性だからせめて事情だけでも聞いてやろうとした。が、裏目に出て謝りもしない、とでも思っているのだろう。冗談ではない。元々、下品な言動をしてきたのは転ばされたと主張している本人だ。自業自得では無いのか?でも、そう言って通じる相手ではない。

なんとか、分かり易い言葉を探してみる。

「卑猥なことを言いながら腕を伸ばしてきたので」

と、怖くなって腕で防ごうとしてぶつかったのかも知れないという説を展開しようと試みた。本当はぶつかった感触など無かったが、目をつぶってしまっていたので、さだかではない。相手はあざけり、

「怖くなって、ですか」

と言った。完全に疑っている。馬鹿にもしている。

「その前に触らせておいて、ねぇ」

頭に、カーッと血が上りそうだった。でも、ここで感情的になっては今までの我慢が無駄になる。努めて冷静に、なぜ耐えたのかを説明した。あの会場での宴会しか会場全体での楽しみは無いようですのでと言ってやろうかと思ったが、グッとこらえた。

 話し終わっても相手が何も言わないので、

「私は派遣社員ですので、営業担当とも話し合って下さい。失礼します」

と、言って辞した。

 会社を出てから、初めて涙が出た。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る