「死にたい」は、生存本能だと思う。

 このエッセイをよく覗く人は、きっとメンタルを病んでいるかそういう仕事をしている人だと思う。


 そんな人は『希死念慮』という言葉を知っていると思う。

 体験した人は分かるだろう、アレだアレ、なんだか知らないけど首を吊りたくなったり高い所から上手く頭蓋骨から落ちる飛び降り方をシミュレーションしたり手首に刃物を当てて勢いよく引きたくなったり布団をかぶって「私を殺してえええええ!」と叫んじゃったりしたくなる、アレだ。


 私、アレは『草食動物が苦しまずに肉食獣に捕食されるための幻想』だと思っていた。

 だけど今は、【混乱から目を覚ますための本能】だと思っている。


 生き物である以上、人間だって本気で死を望むはずがない。種の保存は集団の誰かが頑張れば成せるものではない、個体それぞれも長生きしてこそ現実になる。

 滅びた生物の中には、歳をとると牙が伸びすぎて餌が食べられなくなったものだとか、角が重すぎて動けなくなって餓死してしまったものだとか、年齢を軽視した生存戦略を取ったものが多い。

 人間は地球上のほぼ全域に繁殖しており、今でも寿命が延びている。ということは、個体の寿命を犠牲にする戦略は取っていないと思うのだ。


 じゃあ、なぜ希死念慮なんてものが起こるのか。

 私の経験による予測で申し訳ないのだが、「我に返るため」じゃないかと思うのだ。


 私の腕には、自分を壊そうとしてつけたタバコの火傷痕がいくつかある。希死念慮と言うより自傷衝動ではあるが、その時の私は自分を壊す方法を狂ったように続けていた。……首を絞めるだとか。頭を打ち付けるだとか。

 彼が置いて行ったタバコの箱が目に入った時、私は迷いも躊躇もなくそれに火を点けて、自分の左腕に押し当てた。今までなかった激痛が脳天を突き抜けた時、それまで出なかった涙が突然溢れ、大号泣してしまったのだ。


 で。散々泣いたら、めっちゃすっきりした(おい)


 私は、ODだとか飛び降りだとか、かなり色々やっている。どれもおおごとにはならなかったけど、ODのあと激しい頭痛とめまいに苦しんだり、飛び降りは体に派手な傷を作ったりと、辛さや痛みを経験したうえ、どれも冷静に戻った。

 私だけじゃない。弟が首吊りに失敗した時も、奴はハイテンションぎみではあるが理性が戻っていた。


 我に返れば、「私、なんであんなブラック企業に耐えてんだ」とか「なんであんなクズの面倒見なきゃならんのだ」とか、それまでなかった【逃げる】という選択肢に気が付く。洗脳によって隠された別の答えを表に出すために、痛みや苦しみで生存本能を呼び覚まそうとしているんじゃないか……と思うのだ。


 ただし。

 これだけは言っておくが、だからって『どんどん自分を傷つけろ』とは言っていない。多くの人が実際に死んでいるのだから、まずは休養し、治療して、自然に理性を取り戻す方が絶対に正しい。

 ストレス源からなるべく離れて、薬の力を信じて、数カ月はしっかり眠ること。脳がある程度冷静になった後で、カウンセリングやグループワークで洗脳を解くこと。


 痛みで我に返っても、環境も変わらず休息も取れないんじゃ辛い世界に逆戻りだ。だけど自分で考えて見出した考え方は洗脳より強い。

 だから今苦しい人は、とにかく休み、とにかく寝る事を私は強くお勧めする。

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