月の内部に飲み水がある理由(夕喰に昏い百合を添えて6品目)

広河長綺

第1話

「…以上がビッグバンから、宇宙で初めて鉄ができるまでのお話じゃよ」

優越感に浸ったようなウザい声で、老婆がいった。

私の枕元で、しゃべり終えた老婆はふんぞり返っている。


「面白いお話ですね」病室のベッドで横になっている私は、あえて素直に頷いた。「すべての鉄は星が輝くことでできたので、宇宙最初の星だけは鉄がない状態で光ってるから、独特な光を放ってるっていうのが」

「でしょ。しかもその宇宙最初の星、ゼロメタル星の光がなぜか見つからないんだよ」

「それは、ロマンありますね」

「そういうロマンが天文学の楽しさなのじゃよ、小娘よ」

「小娘って呼び方腹立つけど、まあロマンは感じました」

と、私は言いながら、この様子だとこの老婆はまだ話を続けそうだなと察した。

ここはお世辞をあえて言わず本音をぶつけようと決意して「でも、帰って下さい」

と、老婆の目をまっすぐ見つめながら告げた。


「えー。なんでそうなる。面白いと思ったのだろ?」

「いくら面白い話してても、不審者は不審者だからね」

「えー」非常識な侮辱を聞いたかのように、老婆は口をあんぐり開けた。「私が不審者だと」

「入院している私の病室にいきなり入ってきて、ビッグバンの解説する見知らぬおばあさんは、ふつうに怖いよ」

「まあ、待ってくれよ。宇宙の秘密があるんだよ。あの月にさ」病室の窓から見える月指す

「宇宙の秘密なんて興味ないです。それより、あなたは誰なのですか?」

そう疑問を投げかけながら、私は改めて目の前の老婆を観察した。


深いしわが溢れている顔、曲がった背中を見る限り80歳くらいはありそうだが、喋り方がとてつもなく若い。

眼も、高齢者にありがちな優しく意思の弱いまなざしではなく、しっかりとこっちを見つめてくるのが気味が悪い。結果、とても若い印象だ。

もしかしたら、本当に天文学者なのかもしれない。若い時から頭よかったから、年老いて衰えた今でもしっかり受け答えできるのかも。

だとしても、結局私はこの老婆のことを私は知らない。


それなのにいきなり私の病室に入ってきたのが10分前。そのまま自己紹介もなく、宇宙のうんちくを話し始めたのだった。

不審者じゃないというほうが、無理がある。

いったい何者なのか、答えてもらわないと困る。


「私は、宇宙の秘密を知る者だ」

「答えになってませんよ」

老婆のふざけた自己紹介に私は首を横に振った。納得して帰ってくれそうな理由を探す。「あと、私は今薬の副作用で、免疫力が低下しているんです。できるだけ面会しないほうがいいんです」

老婆は私を見つめながら首を傾けた。「でも、ヒマだろ」

「確かに、両親は仕事が忙しくて病室にはこれてなくて、私はヒマですよ。ただ実は私の両親はこの病院で医者として働き始めて忙しい感じなので、来月になったら両親の仕事もひと段落ついてお見舞いにも来れるそうなのです。だから私は来月までは生きたいので」

「来月まで、ねえ」

同情心をありありと浮かべた表情で、老婆は私をじっと見つめてくる。かわいそうにと言いたげな顔だった。

「こんなこというのは残酷かもしれないが、今更感染に気をつけたところで遅い。小娘よ、お前は明日死ぬ。カルテにもそう書いてあるのじゃ」


その言葉に私は驚かなかった。

この病院の医師である両親に頼み込んで、私はカルテを見せてもらっていたから。

私はもう受け入れていた。

自分が長くないことも。

だが、改めて他人の口から言われると…

怖さよりもいら立ちが心に積もっていく。

うまく感情を表現できず口ごもっていると、ポケットの中のスマホがヴンと震えた。


1週間ぐらい前に、隣の病室の入院仲間の久美ちゃんが死んだことを思い出す。

久美ちゃんは死ぬ1日前に「不思議な雰囲気の女の人が来たんだよね」と笑っていた。そのことが気になった私は、私のストーカーをしている人に「久美ちゃんが死ぬ直前に会ったという女のことを調べてください」と頼んでいたのだった。

そして今、メールで調査結果が送られてきた。

老婆が喋ってるけど、あえて無視してメールを読むことにする。

さすがに喋ってる最中にスマホを見られたら、不愉快になって帰るだろう。調査結果も見れて一石二鳥だ。


『昨日その人物を尾行して、盗撮して、盗聴器をつけたので、そのデータを今から送ります』ストーカーさんは、予想以上の働きをしていた。ターゲットの女の顔写真だけではなく、その人物が昨日家で何をしゃべっているかまで調べていたのだ。『まずこれが顔写真です。そしてこの人物は自宅で何かの朗読の練習をしていました。その内容は・・・』

メールに書かれている内容は意外な内容だったので、私は一心不乱にメールを読み進めた。



一方、スマホを見ている私に構わず、老婆は天体知識をしゃべり続けていた。

「次に大事になってくるのが、月の水の話だ。最近、内部に水があるってニュースになっただろう。なぜニュースになるかといえば、月は本来水がないからだ。月の成り立ちは、地球に隕石がぶつかった破片だ。しかしその衝突でできた熱で、水は全て吹き飛んだんだ。だから本来月の内部に水はない。なのに実際はある。これはなぜかというと…」


「あの」ついにメールを読み終えてしまった私は、老婆の言葉を遮った。「もしかしておばさんって、先日隣の病室で死亡した久美っていう女の子の所にもいきましたか?」

「どうした、急に?年上の会話を遮るなんて失礼なガキだな」

「その久美っていう子は私の友達で、死ぬ前に会ってきたという怪しげな女が気になったのです。それで私のファンの人に頼んでその老婆を尾行してもらっていたのですが、その老婆の顔があなたなのです」

老婆は目を見開いた。「お前はまだ小学生のガキなのに、ファンがいるのか」

「私は闘病の様子をSNSで公開していて、そしたらいつのまにか1万人のフォロワーができてたんですよ。って、そんなことより、質問に答えてよ。あなたが宇宙の話をした子供は死ぬのですか?久美ちゃんや、私のように」

「あたらずとも遠からずだな。正確に言うと私と話してから子供が死ぬのではない。私がもうすぐ死ぬ子どもを狙って話しかけに行ってるんじゃよ」


「なぜそんな悪趣味なことを?」私は頭の中の疑問と嫌悪感を老婆にぶつけた。

「子どもを虐めているのではないぞ」老婆は、馬鹿と話してうんざりしているとでもいいたげに、首をふった。「さっきも言っただろ。宇宙の秘密を知っていると。その秘密をあとすこしで死ぬこどもに教えているのだよ」

「もしかして、死期が迫った子供にだけ教えてるのは流出してほしくないから?」

「正解だ。情報が流出するのは嫌だが、秘密を誰かに言いたい。なら、もう少しで死ぬ人に言えばいい。昔大学の教授をしていた関係で、この病院の上層部にコネがあったので、こうやって死期が近い少女に会うようにしている」

「へぇ、結局趣味悪いじゃん。そんなことして楽しいの?」


やれやれといった感じで首をふりながら、老婆は質問に答えた。

「お前みたいなガキには科学者の気持ちなどわからんのだろう。せっかく発見した科学の知識を黙らされるのは、苦痛なのだ。だからこうして命が長くない子供を使って発散する。話した後は、とてもスッキリするんだよ」

「その子供が言いふらしたらどうするんです?」

「子供には肝心の部分を教えないから大丈夫なんだよ」ニコニコとおばさんは笑った。「長い時間考えれば、真実に行き着くかもしれないが、そのころには子供は死んでいる。安全だ」


まだ小学生の私が死んで、この老婆は楽しそうに人生を味わっている。

その事実が、なぜだかとても不自然なことのように見えた。

―――私だって、この世界に生きた痕跡を残してやる。

強い決意を胸に、私はスマホからあるメールを送信した。


「おばさん、ちょっとこのテレビを見てください」

メールを送信し終えた私は、生放送している都市伝説番組をつけた。

1人の都市伝説研究家が、自説を披露している。

「NASAが隠している事実とは、月の水が存在する所で宇宙を観測すると今まで見つからなかったゼロメタル星の光が見えるということです」


テレビから聞こえるその説明を聞いた瞬間、老婆の表情が強張った。


「これはメッセージだとしか考えられない。月の水は宇宙飛行士の飲料水として使える。月に観測所を作る場所を水で誘導し、そこに人類が絶対に好奇心を持つであろう宇宙初期の光を差した。地球は何らかの超越的存在の鳥かごの中だったというわけです。その事実に気づかせるヒントが月だった。これが月の内部に水があり、ゼロメタル星の光が今まで見つからない理由です」都市伝説研究家は、言葉を続けた。「前から人類は疑問に思っていました。人類という知的生命体がいる以上、宇宙のどこかには地球外知的生命体がいるはずだ。なのにどうして見つかっていないのかを。その疑問に対する答えも同じです。人類は超越者に保護されているから宇宙人と会わないのです」


「どう?正解でしょ」驚愕と恐怖が入り混じった老婆の顔を覗き込みながら、私は訊いた。「ねぇおばさん、人類がその場所に観測基地を作ると超越者が人類の科学を合格と考えて、地球を保護しなくなってしまうのを恐れたんでしょ。だからNASAは、超越者のメッセージに気づかないフリをしつづけようと考えた。だから月の水の事実は、秘密にされてるんだ」


「なんだ、これは」当初の飄々さが消えた声で、老婆は尋ねた。「お前なにをした?」

「さっき言ったじゃないですか」私はその態度を鼻で笑った。嘲笑しながら説明してあげる。「私のファンがあなたの昨日の会話を盗聴していたと。昨日あなたは家で、私への説明の予行演習をした。その時の音声データはあるんですよ」


「そうじゃない。なぜこのタレントがお前の言うとおりに喋ってる?」


さっき教えてあげたじゃないか、と思いながら「私は自分の闘病をSNSで公表していて、ファンがたくさんいるんです。今テレビで喋ってる芸能人もその一人です。わかりましたか?」

と、驚愕で見開かれた老婆の目を見つめて、教えてあげた。


「お前は、私を脅すつもりなのか」

そう言って私を睨む老婆の表情には、恐怖が浮かんでいた。

「これを公表すると、人類の内誰かが月に探査機をおくるかもしれない。そして月のあの地点から宇宙を観測した瞬間に、地球を隠れて守っていた保護が外されるかもしれない。そうなったら人類が滅ぶかもしれないんだぞ」


残念なことに、この老婆も結局、人類の未来とか考えてる凡人だった。


失望感に苦笑いを浮かべながら、私は老婆に質問を試しに投げてみた。

「別になにも要求しないですよ。ただ、私は何を言われても、あと1時間したら追加のメールを送ってさらに秘密を公表するとだけ言っとくね。さあ、おばあさん、どうする?」


すると、突如、老婆が私のベッドにとびかかってきた。

「くそっ。バカなガキめ」

老婆は悪態をつきながら、私に襲い掛かりベッドに私の体を縛り付けた。


「あれ、殺さずに縛るだけですか」

私の目的からずれている。


「私の権限で、1日だけはこの病室に看護師が来ないようにできる。カルテによるとお前は明日急変するとかいてある。このままお前を病死させれば、秘密は保たれ、人類は救われる」

「残念でした。あのカルテ嘘だよ」

「は?」

「私の両親はここの病院の医師だからね」出来の悪い生徒を教える教師のように、私は優しく老婆に解説した。「私のカルテは実際よりも重症に書かれてるんだよ。本当の私の余命は、1か月」


老婆は私をみて、唖然とした。「なぜ、そんな嘘を」

「そのほうが同情を集めて、SNSで盛り上がるから」

「本当に狂ったガキなんだな。お前は」

老婆は、苦悶の表情を浮かべながら、ポケットからナイフを取り出し、私に向けた。


私は知っている。老婆は余命わずかな少女に、過去の自分をオーバーラップさせて、宇宙の秘密を喋っていることを。

そんな老婆にとって私を直接殺すことは、とてつもない心痛を伴うだろう。


そう。それでよい。私を殺したことで、この老婆の心には深い傷が残る。

これこそが、私の生きた痕跡だ。

SNSで大量のフォロワーがいても、大抵の人は私の存在を忘れるだろう。

だが、この老婆は私を忘れることはできないのだ。


ほほ笑む私に、老婆が意を決してナイフを振り下ろした。

私の胸にナイフが差し込まれていく。

人を刺し殺す感触に顔をしかめた老婆の顔を、病室の窓から差し込んだ月光が照らす。

とても、幻想的で美しい光景。


人類を保護している超越者もこの絶景を見ているといいな

と薄れ行く意識の中で思った。

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月の内部に飲み水がある理由(夕喰に昏い百合を添えて6品目) 広河長綺 @hirokawanagaki

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