第39話 悲しいくらいに陰キャだから

 ギターを部室に忘れたことに気がついたのは、校門を出て少し歩いた時のことだった。

 ギターは必ず持って帰って、家でも練習するように千冬ちふゆからキツく言われているのに、俺としたことが。一日練習をサボると三日分下手になるらしい。そんな迷信じみたことを本気で信じているわけではないし、千冬にキツく言われているからというわけでもないが、今日は家でもギターを触りたかった。


 気が付いてすぐ、千冬を除くロックミュージック研究会のメンバーに別れを告げ、部室に戻る。用があるからと言って一人残った千冬とは、部室を出るときに別れていた。まだあいつが部室にいるようならこのまま直行すればいいのだが、いないなら職員室まで鍵を取りに行かなければならない。

 少し悩んだが、職員室に向かうことにする。なんとなく、中庭──初めて月華の歌声を聴いた、あの場所──に寄りたくなった。


 中庭に差し掛かったところで、声が聞こえてきた。それは、感情を押し殺したようなぼそぼそとした話し声だった。


「やった! やった! 友達が……ううん、仲間がたくさんできた。やったよ、月華。充実した学園生活。送れそうだよ」


 近づいてみると千冬が背中を丸めてベンチに一人で腰掛けている。俺には気がついていないようだ。


「月華のおかげだよ。ありがとう月華」


 月華? まさか、スマートフォンに──、月華に話しかけてるのか? 当然だが、月華の方から返答はない。


「おい。何一人で笑ってんだ?」


 声をかけると千冬は跳び上がらんばかりに驚いて、キョロキョロと辺りを見回した。

 

「目の前にいるだろ」


「あぁ……。あまりに存在感がなくて、気が付かなかった。いきなり話しかけてこないでよ。気持ち悪い」


 一応、気を使って声は落としたつもりだったのだが。こんなに驚くとは思わなかった。そして、当たり前のように付け加えられる罵倒に慣れている自分が怖い。


「それから、お前って呼ばないでって何度も言ってるでしょ? 理解力がないの? コミュニケーション能力が壊滅的だから、人の言ったことが耳に入らないの? それとも、その両方?」


 いつになく攻撃的だ。月華に嬉々として話しかける姿を見られたのが、よっぽど恥ずかしかったのだろうか。多少悪いことをしたなとは思う。でも、ここまで言わなくても……。慣れていたって多少は傷つくんだぞ……。

 心の内が顔に表れていたのか、千冬はハッとした顔をして気まずそうに下を向いた。言い過ぎたと思ってくれたなら光栄だ。


「──帰ったんじゃなかったの?」


 絞り出すような声はそう言った。


「いや……。ほら、家でも練習しなきゃいけないのに、ギター忘れちゃったから……」


 なぜか言い訳をしてしまう。誤魔化すように話題を変える。


「お前の方は? こんなところでなにしてんだ?」


「お前って呼ばないでってば……。なにをって……見てたんでしょ?」


 千冬は背中を丸めて自分の手元を見たまま言った。


「私がここで月華に話しかけてたところ……」


「あ~……。あぁ、まぁ。見てたっちゃ見てた。なんか嬉しそうにしてたな。よくもまぁ一人であんなに嬉しそうにできたもんだと感心したぞ。不思議ちゃんって感じだな。やっぱり、筋金入りの陰キャぼっちだからこそのわざか?」


 あまりにも気まずくて、つい挑発するようなことを言ってしまう。もちろん、さっきの仕返し的な意味もある。だが、千冬は怒ることなく「そう──。よかった」と小さく呟くだけだった。

 拍子抜けしてしまう。それっきり、なにも言わない。「よかった」などど安心されるようなことを言った覚えはない。

 だが、機嫌は悪くなさそうに見える。むしろ、よさそうだ。下を向いてはいるが、頬を紅潮させて、さっき月華に語り掛けていたときのように、いつになく嬉しそうだった。

 だから、好機だと思ってしまった。前から訊きたかったことを尋ねずにはいられなかった。


「お前の作るロック、すごいよな。前に聴かせてくれたあの曲も、今、演ってる曲も。あんないいロックを作っておいて、お前、本気でロックは終わった音楽だと思ってるのか?」


「──お姉ちゃんを奪ったものだから」


 俺の質問に千冬は下を向いたまま、短くそう応えた。


「お姉ちゃんって、ロックミュージック研究会のベースをやってるっていう?」


 存続記念パーティで見たライブ映像が蘇る。俺たちの高校出身で俺たちのロミ研のOG。部活と同名のバンド『ロックミュージック研究会』のベーシストである千冬の姉は、スラっと背が高く、美人でカッコいい女の人だった。長い黒髪は千冬とそっくりだが、まとっている雰囲気は真逆だった。


「そう。私、年の離れたお姉ちゃんが大好きだったの。いつでもどこでもついて回って。お姉ちゃんもそんな私に嫌な顔一つせず相手をしてくれて。でも、ある日ロックがお姉ちゃんを奪っていった」


 言っている意味がよく分からなかった。意味は分からないが、千冬にとって大事なことを打ち明けているだろうことは分かる。


「奪っていったっていうのは、どういうことだ?」


「そのままの意味だよ。ロックに出会って、ベースを始めたお姉ちゃんは、音楽にのめりこんでいった。私の相手をあまりしてくれなくなったの。もちろん、私を邪険にしたり、遠ざけたりはしなかったけど。でも、私とお姉ちゃんの時間は、確実にロックに奪われていったの。だから──、」


 そこまで言うと千冬は下げていた顔を上げた。ロックに姉を奪われた。冗談だろうと思う。まさか本気でそんなこと思っているわけがない。けれど、まともに合った千冬の目は真剣だった。

 千冬は、そのまま大きく息を吸うと胸のつかえをすべて吐き出すように言った。


「だから、私はロックが嫌いなの。嫌いなのに──、でも──、お姉ちゃんが大好きなロックが私も大好きなのかもしれなくて……。嫌いなのに──。みんなで演るロックは楽しくて……」


「──そうか」


 情けないことにそれしか言えなかった。「意味のわからんことを言うな」と茶化すことも、同意してやることもできない。本音を言えば、千冬がロックを好きかもしれないと言ったことが嬉しかった。俺たちと演るロックを楽しいと言ったことが嬉しかった。けれど、そんなこと口が裂けても言えない。

 なぜか。それは俺が陰キャだからだ。悲しいくらいに陰キャだから、言いたいことを素直に口に出すことができなかった。

 千冬もそれ以上はなにも言わなかった。沈黙が中庭を覆うが、ちっとも嫌じゃなかった。


「──そろそろ帰るか」


 心地いい沈黙をしばらく味わってからそう言うと、千冬は「そうね」と言って立ち上がった。そして、惜しむようにスカートのすそを軽くはらう。千冬の気が済むのを待っていると、


「いいところにいた」


 という声がした。振り返ると音もなく、いつの間に近づいていたのか、すぐそばに佐々木ささき先生がいた。


「いいニュースと悪いニュース。どちらから聞きたい?」


 白衣のポケットに手をつっこんだ佐々木先生は、脈絡もなく唐突に洋画のセリフみたいなことを言う。


「突然、なんですか?」


「いいから。どっちから聞く?」


 俺と千冬は顔を見合わせて、「じゃあいいニュースから」と千冬が代表して応える。


「文化祭のメインステージを使う許可を得た。ライブでもなんでも好きに使える」


「えっ!?」


 思わず驚きの声が出る。ライブ……だと? 


「どうした? 特に陽太ようた。君にとっては嬉しいニュースのはず」


 もともとライブがしたいと思っていた俺にとっては、たしかに朗報だ。しかし、今の俺たちの実力を考えると、果たしてライブなどまともに成立させることができるのだろうか。嬉しい一方でそれ以上の不安がよぎる。素直に喜べるほど俺はアホじゃない。


「陽太はアホ。文化祭のメインステージでライブができるなんて、昔だったら相当の苦労の末に勝ち取れた特権。それだけで喜ぶべきニュース」


 心が読める(俺調べ)先生は、言葉の割には淡々としている。


「それで、悪いニュースの方は?」


 千冬も割と淡々としていて、もう一つの悪い方のニュースに関心をよせる。


「文化祭次第でロミ研は廃部になる」


 佐々木先生から告げられた悪いニュースは、宣言どおりとんでもなく悪いニュースだった。

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