オレ様非道王の猫転生

高山小石

オレ様非道王の猫転生

「みゃ~あ(まったくイヤな雨だぜ)」


 古ぼけた空き家の軒下ではろくに雨宿りもできやしない。

 少し前から降りだした雨が地面に落ちて泥水を飛ばす。俺の自慢の白い腹毛は土色だ。


 猫にとって、七月でも雨は命取りだ。


 ま、俺は死んだところで、新しい身体に変わるだけだけどな。問題は、新しい身体になると柄が変わってしまうことだ。今日だけは、いや、あと数時間だけは絶対に、この身体を維持しなくては。


 意気込む俺の足先は、すでに四本とも泥で汚れている。

 くそっ。最悪だ。早くここから出たい。早く、早く来てくれ。

 激しい雨で視界の悪い小道に目を凝らしていると、小さなものが軒下に飛びこんできた。


「チュチュチュン(ついに百人目。うまくいきそうですか)」


 うるさいのが来やがった。

 なんてことのないスズメの姿をしているコイツは、俺のお目付け役だ。いつも、どこからともなく飛んできては、口をはさんでくる。


「シャ――ッ(あったり前だろ! 百人目ともなればいい加減コツも覚えるっての!)」


 爪を出した俺の前足をひらりとかわし、おしゃべりスズメはステップを踏んだ。


「チッチチ(世界中、まわりまわって千年ですもんね。そりゃ慣れもしますか)」


 そうだ。あれから千年も経ったのだ。


 今はキュートなシマ猫の俺。だが千年前、俺サマは支配者階級ピラミッドの頂点に君臨していた。


 ま、平たく言えば王様だ。


 頂点を極めた俺サマは、欲望の限りをつくした。

 世界中から選りすぐりの衣や宝石を集め、ありとあらゆるモノを食べた。建てた城は、柱の彫り、天井の模様といった内装の細部から庭の植木までこだわった逸品で、並ぶものはないくらい豪華で美しかった。


 毎日が飲めや歌えのお祭り騒ぎ。


 そんな生活にも退屈してしまう時がある。

 そこはかしこい俺サマ。良い解決方法を知っていた。

 人間で遊ぶのだ。


 例えば、呪術者に「今すぐ雷を鳴らせ」と命じてみたり、踊りの名手に目隠しをして塀の上で躍らせてみたり。当然チャンスは一度だけ。失敗すれば、趣向を凝らした拷問にかけて楽しんだ。


 とまぁ、栄華を極めた俺サマも、臣下に裏切られてジ・エンド。

 あっけない最後だった。


 傷心の俺サマに、このおしゃべりスズメがやってきて(まぁその時はスズメの姿じゃなくて、それなりに神々しい姿だったけど)、のたまった。


「汝、罰を受けるべし」


 俺サマは聞き返したね。

 悲惨な最期を遂げたのだから、むしろ幸せの国へ連れて行ってもらえるんじゃないのか、と。


 スズメは言い直さず、死んだはずの俺サマには、面白くない日々が待っていた。


 時の止まった場所で、今まで俺サマが命令したことをそっくりそのまま命令された。ご丁寧に、失敗した後の仕打ちも同じだった。

 違うことと言えば、俺サマは何度でも生き返らされたことだ。すでに死んでいるから、これ以上は死ねないのかもな。


 でもまぁ拷問を受けてもそう辛くはなかった。俺サマは、拷問に耐えることも得意だったからだ。


 すべての命令が終わるとスズメが言った。


「汝、猫の姿となって、一年間人間に飼われるがよい。ひとたび別れ、十年後、その人間に再び出会い、飼われていたときの名を呼んでもらえれば、よし。呼ばれなければ、やりなおし。それを百回達成できれば、汝が人間に転生することもかなおう。できなければ、この空間で永遠を過ごすがいい」


 バカな話だと思った。

 十年を百回。単純に計算しても千年かかる。


 けど、さすがに耐えることにも飽きあきしていた俺サマは、猫になることにした。正直、時間がかかるだけで、簡単すぎる条件だと思ったのだ。


「みゃふん(実際、楽勝だったけどな)」


「チッ(初めは失敗の連続でしたけどね)」


 確かに初めは失敗もしたさ。

 猫になるなんて初めての体験だしな。

 ま、それもすぐに、うまくなった。俺サマはかしこいんだ。


「チチ(同時進行や態度に、問題有りですよね)」


「みーぃ(今さらだろ)」


 たった一人に十年もさけるかってんだ。途中から、数人同時進行して時間の無駄を省いた。それでも無駄足を踏んだけどな。

 いくら俺サマとはいえ、ターゲットが途中で死んだり引っ越したりすることは予想できない。


 下手なターゲットを選んだときは、虐待の末あっさり殺された。俺サマの思考は人間でも、力は普通の猫程度しかないからな。

 それからはターゲットの選別にも気を使うようになった。


 再会のチャンスは、十年後のその日一日だけだ。特徴的に振舞わないと、人間だって十年どころか一年も経たずに忘れられるぜ。せっかく思考は俺サマのままなんだ。人間らしく頭を使わないとな。『ちょっとスゴい猫』なら、変に利用されず印象に残る。その加減さえつかめばこっちのもんよ。


 加減をつかむまでが大変だったけどな。


 アピールしすぎた時なんかは、一年経って一旦離れようにも軟禁状態で出られなかった。その時点で失敗確定だってのに、同時進行中の他のターゲットに会いに行くこともできず……。


 あの虚しさったらないぜ。閉じ込められた部屋で、俺サマの貴重な十年がこの瞬間で無駄に……って切なかったなぁ。あれにはホント参ったぜ。


 千年でちょうど百人。トントンになったのは偶然だろう。


 そんな苦労も今日で終わる。もうすぐ百人目の人間が前の小道を通る。俺サマは晴れて自由の身になるのだ!


 この千年間で、俺サマは悟ったね。思い出してもらえるかどうかは、出会いにかかっている。初めが肝心ってやつだな。もちろん一緒に過ごす一年間も、印象を深める重要な期間だ。


 基本は『従順なペットよりもワガママがウケる』。ワガママと言っても傍若無人じゃないぞ。適度なワガママで甘える。

 ここで間違えてはいけないのは、『ターゲットのみに甘える』ってトコだ。『ターゲットのみ』は最重要ポイントだぜ。


 百人目は、偶然にも出会いが劇的だったし、今までの集大成として、一年間ソツなく過ごした。失敗する可能性は万に一つもない。本当に長い道のりだったが、ついに今日、俺サマは人間に戻れるのだ!


 くくく。人間に生まれ変わったらどうしてくれよう。


 まずは以前のような生活ができるように、のしあがるところから始めないとな。

 千年間で世界は劇的に変わった。昔のように力だけではダメだ。今なら株か? 俺サマの趣味じゃないなぁ。


 あぁ、初めは猫も面白いかと思ったけど、やっぱり人間がいい。なんだかんだ言っても、自分勝手に生活できるのは人間だけだからな。


「みゃ~みゃ~みゃ~(はぁやく来いこい、百人目~)」


「チュンッ(来ましたよ)」


 言い残すと、スズメは雨空に消えた。


 よしっ。スタンバイだ!

 俺は降りしきる雨の中に出た。大粒に打たれ、みるみる毛が重くなっていく。気持ち悪いが仕方ない。小道の隅に座ってスタンバる。

 ここが百人目と出会った場所なのだ。


 まわりの植物が大きく育ち、変わったはずの風景も、雨にけぶって十年前と同じに見える。十年前も、こんな大粒の雨だった。


 十年前、俺は新しいターゲットを探して遠出した帰りだった。


 夏の通り雨だとたかをくくり、雨の中256番目の家へと戻っていた(不本意ながら数々の失敗のせいで百人以上と暮らしている)。


 身体に打ち下ろされるような激しい雨に呼吸も難しくなっていた。力尽き、小道の隅で動けなくなっていた俺を拾ったのが百人目だ。ターゲットを探していて死にかけだった俺には、まさに願ったり叶ったりだった。

 それを思えば、今日のイヤな雨もタイムリーな演出だと言える。


 雨に耐えていると人影が近づいてきた。


「ユイ、今日はドラマ見てよぉ」


 そうそう。百人目の名前は「唯」だった。ま、名前なんかどうでもいいけど。


「ドラマ? ああ、あの人も出るんだ」


「そうなの。アタシ、チョー楽しみでさぁ。最近、カイト君スゴイ人気出てるんだよ。今日のドラマだって、他はベテラン豪華キャストなのに、一人だけ若手で起用されてるんだから。ほんとスゴイんだってぇ」


 フン。豪華キャストがどれほどのものか。今から始まる俺サマの演技のほうが、よっぽど見ごたえあるっての。


「にぃ(おい)」


 俺はよたよたと、かよわさを演出しながら二人の方へと歩みだした。


「ネコぉ?」


「ずぶぬれだ」


 百人目がしゃがんで俺に傘をかかげたので、もう一人の女も仕方なさそうにしゃがんだ。


「にぃぃ。にぃぃ(そうだよ。かわいそうだろ? だから早く名前を呼んでくれよ)」


 俺は百人目に近づいた。さぁ、ここからが勝負だぜ。飼われていた時と同じ仕草で、しゃがみこんだ百人目の膝に……。


「ダメ。スカートが汚れちゃう」


 百人目は俺を手のひらでブロックしやがった。


 この一大イベントにスカートの汚れなんかどうでもいいだろ! とは思うが、汚れるのが嫌な気持ちはわからんでもない。こいつらが着ているおそろいの服は、制服とかいう服で特別らしいからな。


 まだまだ思い出の仕草はある。別の手でいこう。


 俺は一緒にいたときよくやった仕草―きちんと座って小首をかしげる―で百人目を見上げた。


「かっわいいじゃん」


 百人目じゃない女が歓声を上げた。


「にゃあああ(おまえはいいんだって。早く思い出せよ、百人目)」


 必死に鳴く俺を見て、百人目は何か考えているようだ。


「ぬれててわかんなかったけど、このコ、昔ユイが飼ってたコと似てない?」


「にゃにゃ(いいぞ、百人目じゃない女)」


「そう?」


「そうだって。この、よくわかんない柄とか、シッポの曲がり具合とかぁ。昔、見たとき、珍しいって思ったもん」


 俺サマの美しく黒光りする灰色のシマ模様を『よくわかんない』とは失礼だが、よくぞ言ってくれた。


「そうかなぁ」


「ユイ、雨の日に拾ったって言ってたじゃん。これって、戻って来たんじゃないのぉ?」


 いいぞ。あと一押しだ。


 俺は百人目と二人だけの時によくやった特別な甘え方―靴に足踏みして額をこすりつける―をした。ちゃんとスカートには当たらないように配慮してな。


「そう……かもしれない」


 よっしゃ。とりあえず認めたぞ。後は俺サマの名前を呼ぶだけでいいんだ。さぁ、呼んでくれ!


「ユイのネコちゃんの名前って、確かぁ」


「みゃみゃみゃ!(その調子だ!)」


「シマ?」

「違う」

「あれ、トラだった?」

「違うよ」

「あぁ、シマトラ」

「怒るよ」


「えー? こんな感じだったじゃん。単純な名前って思ったんだけどなぁ」


 だったら、ちゃんと覚えとけよ!


 まぁ、百人目に呼ばれなければ意味ないんだけどな。この流れを維持して、なんとしても呼んでもらうぞ。再会してから一時間しかチャンスはないんだ。もうカウントダウンは始まっている。


 でも、百人目は、切実に見上げる俺から目をそらして立ち上がった。


「帰ろ。ドラマ見るんでしょ」


「み?(え?)」


「あっぶない。宿題すませないとテレビ見せてもらえないんだった。ネコちゃん。バイバ~イ」


「みゃ? みゃみゃあ!(マジかよ? ちょっと、おい!)」


 それからどれだけ鳴き叫んでも、二人は振り返りもしなかった。

 呆然と見送る俺の隣にスズメが降りてきて、楽しそうにステップを踏んだ。


「チッチチッチ(これは予想外。フラれちゃいましたね)」


「…………」


 いつものスズメの軽口、なんだけどさ。今は相手する元気も出ねぇ。


 なんでだ? なんで失敗したんだ?

 完璧なシナリオだったじゃねーか! なにが悪かったんだよ、コンチクショウ。


「チュン? チチチチッ?(どうします? まだ時間が残っています。家にも行ってみますか? 住居は変わっていないのでしょう?)」


 よもやスズメからそんな意見をいただけるとはね。


「チュンチュン(ほら、お友達の前だから照れていたのかもしれませんし)」


 スズメの気遣いは嬉しいが、昔飼っていた猫の名前を呼ぶのになにをテレるって言うんだよ。


 俺の長年の経験から考えても、今回は失敗だ。

 きっと何度行っても同じ。百人目が俺の名前を呼ぶことはない。なぜなら、百人目は俺を覚えているのに、あえて呼ばなかったからだ。なにか理由があるんだろう。理由まではわからないけどな。


 はっきりしているのはただ一つ。

 俺のこの十年間は無駄だったってことだ。


 あ――…………。


 いつもなら、これほど落ち込まないんだが。今回は最後だし、失敗するとは思ってもいなかったから、同時進行もしてなかったんだよ。あー、またターゲットを探すところから始めるのか。


 とにかく雨のかからない場所に移動しよう。このまま雨の中に立ち尽くしていても仕方ない。

 そう思うのに、小道から一歩も動けなかった。


「チッ? チチチッ?(どうしました? もう次の候補者のことを考えているのですか?)」


 そうだ。やらなきゃ終わらないんだ。


 俺は、重い足を踏み出した。

 新しい百人目はどこで探そう。この町で探そうか。いっそ別の国に行って探そうか。


 もし、十年かけて、またダメだったら?

 この千年の間、打ち消し続けていた嫌な考えが這い上がってきた。


 本当に百人クリアしたら人間に戻れるのか? 初めっから、絶対に達成できないようになってるんじゃないのか? 俺はずーっと永遠に猫のまま……


「チィッ!(危ないっ!)」


 鋭い声に顔を上げた。

 視界に飛び込んできたのは、目前に迫った車。

 俺はいつの間にか道路の真ん中にまで出ていたようだ。


 そうか。こういうことだってありえたな。手間暇かけずに俺を抹殺。そのほうがスズメだってラクだろうよ。きっと今度は、新しいからだも用意してくれないんだろう。


 ……も、いいか。


 俺は目を閉じた。普通に死ねるのなら、ラクになれるのなら、それでいい。


 激しいブレーキ音と衝撃が俺を襲った。

 身体が宙に浮くのがわかる。

 やがてべちゃりと冷たい道路に落ち、打ちつけられた瞬間、息が止まった。手も足も動かない。目を開けているのか閉じているのかも、わからない。


 視界はただ暗かった。

 顔に落ちる雨粒の感触から、顔は上を向いているのだとわかった。

 道路にへばりついた俺を洗い流したいかのごとく、冷たい雨が降りそそぐ。跳ねる雨音が、耳に近いからか妙に大きく聞こえる。

 ……この音、以前にも聞いたな。


 俺がまだ人間のガキで、最下層で暮らしていた頃だ。


 あの時の俺は、何をやっても文句を言われ、ことあるごとに殴られていた。ぼこぼこにされた俺は、薄暗い街角のゴミ置き場に、ゴミのように転がされた。ナマグサい臭いを覚えている。


 ゴミから顔をそむけようにも、痛くて動けなかった。目に映るのは、レンガの壁に小さく切り取られた灰色の空だけ。雨さえも俺をゴミだと言っているようだった。


 そうだ。それで俺は誓ったんだ。


 絶対、勝ってやるって。誰にも、なににも、負けないようになってやるって。その一心でのし上がってきたのに、王様になっても裏切られて、今もこんなザマかよ。


 のぼりつめた、はずだったのに。

 俺は、あの時から、なにも変われなかったのかな。


 思い出したかのように全身に痛みが踊り狂う。

 痛みの中で、意識が……遠く…………


「大丈夫? しっかりして。目をあけて!」


 ……なンだ?


「お願い。起きて!」


 大きな声で叫ばないでくれ。

 そう言いたいのに、口が動かない。


「起きて! 目をあけて!」


 女はひたすら叫び続ける。


 黙らせるには目を開けるしかないらしい。目を開けようにも、痛くてたまらないのだ。くそぅ。まぶたがこんなに重いものだとは。もどかしさにイライラする。


「目をあけて!」


 わかったってば。動けよ俺の皮!

 ようやくまぶたに指令が伝わったらしい。視界が細く開いた。


「良かった……」


 俺もだ。やっと静かになった。

 何度かまばたきすると、普通の視界に戻った。


 目の前、濡れた道路の隅に座り込んでいるのは、さっき行ったはずの百人目だった。なんでこんなとこに座ってるんだ?


 百人目をよくよく見ると、腕やら足やら、顔までも傷だらけだ。気にしていた制服も雨と泥で汚れている。


 俺の頭の中に、スズメの声が聞こえた。


『あなたを車の前から突き飛ばして、助けてくれたのですよ』


 俺を助けた?


 そう言えば、俺の身体、車にひかれたにしてはスプラッタじゃないな。

 落ちついて力を入れると、なんとか身体を起こすことができた。


 ここまで汚れていれば俺が触っても構わないだろう。よろよろと百人目の膝に乗り肩に前足を置くと、泥と傷で汚れた顔をなめてやった。


「痛っ」


 百人目は顔をしかめたけれど、俺はなめ続けた。

 冷たい雨に混じって、暖かい粒が落ちてきた。


「……良かった。無事で。本当に良かった」


 しょっぱい粒は俺を濡らす水なのに心地良く感じる。

 百人目はボロボロと涙を落し続けた。


「みーあ(おい、こいつ大丈夫なのか?)」


『大丈夫ですよ。きっと緊張が解けたのでしょう。どうもこの十年の間になにかあったようですねぇ』


 スズメの読みに俺も同感だ。なにかなければ、たかがノラ猫のために車の前に飛び出したりはしない。俺はあらためて百人目を見た。


 成長した身体には、十年前と変わらない面影がある。でも十年前、「こいつなら十年後でも大丈夫」と確信させた『芯』が消えている。いったい百人目になにがあったんだ?


 随分としてから、落ちついたらしい百人目は俺を下ろすと言った。


「一緒に来る?」


 返事を期待して言ったのではないのだろう。百人目はすぐに歩き出した。俺は何も言わず、歩き始めた百人目の後ろについて行った。


 激しかった雨は、いつの間にか上がっていた。


 百人目の家の前まで来ると、百人目は初めて振り返った。俺を見つけると微笑んで、俺を大事そうに抱き上げた。濡れた毛を通して、百人目の体温が伝わる。


 ――あたたかい。


 俺は、自分の身体が冷えていたことを知った。


 約束の百人まで、あと一人。

 百人目に失敗した今、新しいターゲットを探したほうが得策だってわかっている。

 けど、もう少しだけこの姿でもいいよな。


「……ただいま」


 百人目はつぶやくと家の玄関に上がった。

 十年前は元気いっぱいの挨拶をしていたものだが。成長したからか?


 百人目は俺を抱き上げたまま風呂場に行き、手慣れた様子でお湯はりの準備をした後、湯船にフタをした。

 

「ここでちょっと待っててね」


 俺の体が汚れているからだろう。洗い場に下ろされドアを閉められた。百人目はとドア越しに見れば、洗面所で制服を洗っている。


 閉じ込められたことに落ち着かずタイルの上をうろうろしていると、十年前は百人目の母親が風呂の用意をしていたのを思い出した。そういえば母親はどこだ? あの世話好きの母親なら「制服は私がやっとくから早くお風呂に入っちゃいなさい」くらい言いそうなものなのに。


「お待たせ。さ、洗おうね」

 

 下着姿で浴室にきた百人目は、ぬるま湯でオレ様の毛を優しく洗い出した。

 

「大きな傷はないみたいで良かった。でも、頭を打ってるかもしれないから油断できないね。私、絶対に名前を呼ばないから……母さんみたいにならないで」

 

 最後はとても小さな声だった。

 返事を気にしないでいい猫相手だからこそ話せるんだろう。


 そういえば百人目は、俺の名前だけでなく、友達の名前も人気俳優だかの名前も呼ばなかった。

 

 察するに、百人目が名前を呼んだタイミングで母親が死んでしまったとかいう話なのか。


「にゃにゃ~ん(大丈夫だ! 俺サマは殺されても死ねないからな!)」

 

 風呂上がり、百人目は母親の写真が飾られた仏壇に長いこと手を合わせていた。

 父親は帰宅が遅いらしく、百人目は父親の分も夕食を用意し、俺と二人で食べた後は自分の部屋に俺を連れこんだ。


 部屋は十年前と同じだったが、家具が違うしあまり懐かしくはない。俺はあちこち匂いをかいだ後ベッドに落ち着いた。

 百人目はなにも言わず、除湿を入れて机に向かって勉強している。宿題とやらをしているのだろう。


 終わったのか寝る時間なのか、鞄の用意をしてベッドに横になった。

 十年前と同じように、俺は百人目の腕と横腹の間に寝そべる。


「おやすみ」


 百人目がかすかに微笑んだ気配がした。

 痛みから疲れが出たのか、俺も百人目もすぐに眠りについた。


『今、お話してもいいですか?』


 頭に響くスズメの声に意識が浮上する。


『いいぞ。そういえば、ずっといなかったな』

 

 いつもなら俺から少しも目を離さないくせに、今日は珍しく車の後からずっと声が聞こえなかった。


『あなたの刑について、上と話してきたんです』


『どういうことだ?』


『猫のあなたの名前を呼んでもらうためにあなたを猫として生かしているのであって、本来なら、それ以外の目的では猫として生きられないのですよ』


『つまり俺を始末するって話か?』


『いえ。誤解されているのかもしれませんが、私たちはあなたを苦しめたいわけではありません』


『あれだけ拷問しておいて?』


『あれは、あなたがかつて他人にしたことを自らの身で受けることによって、相手の気持ちを理解して欲しかったからやったのです。でも、あなたは理解することなく耐え抜いてしまった。それで猫になる話が出たのです』


『てっきり嫌がらせかと思ってたぞ』


『逆です。猫やすずめの姿は、かつてあなたが助けた生き物なのです。その子々孫々の姿を善意からお借りしているのです』


『動物なんか助けたことあったっけか?』


『あなたが覚えていなくても、助けられた方は覚えているのですよ。あなたのおかげで命がつながって、あなたに姿を貸せるほどの子孫に恵まれたのですから』

 

『それで? 次のターゲットを探さないなら猫は終わりってか?』


『いえ。これまでの続きとして百人目を目指すのもいいのですが。拷問の時と同じように、なにも理解されないまま終わりそうだと危惧していたところ、今回、あなたは初めて他人に興味を持ちました。そのことを上に話したところ、あなたが百人目に選んだ唯さんを癒やすことでも人間に転生できることになりました』

 

『癒やす?』


『ええ。具体的に言うと「唯さんがあなたの名前を呼べるようになること」ですね』


『今までと同じじゃねーか!』


『癒やす方には期限がありません。どうしますか? あと一人、これまでと同じように別のターゲットを探して十年かけるか、このまま唯さんを癒やすか』


『…………』


 簡単なのは十年かける方だろう。ただ、確実に十年かかるし、顔も知らないヤツのためにオレ様の貴重な十年をかけるのはイヤだ。

 難しいかもしれないが、百人目の方はすぐに名前を呼んでもらえる可能性がある。

 

『百人目を癒やす!』


『わかりました。あなたの身体はそのすがたで固定されます。あなたは死にませんが、すがたはボロボロになると再生できませんので大事にしてください』


『わかった。そこは今まで通りなんだな』


『はい。私も今まで通りそばにおります。では、ご武運を』

 

 馬鹿な選択をしたかもしれない。

 下手な博打を打ったのかもしれない。


 いや。俺が選んだんだ。

 俺がやるからには絶対に成功させてやる!

 覚悟してろよ! 百人目! 

 隣で静かに上下する体に軽く猫パンチして、俺は今度こそ眠りについた。


「っていう夢を見たんだよ」


「これだけ長々話しといて、夢オチとか……」


 ファストフード店で向かい合って話を聞いていた幼馴染はため息をついた。


「で? それからどうなったの?」


「それがさぁ、猫の姿じゃままならなくて手をこまねいていたら、千年前から俺を恨んでいたとかいう面倒くさいヤツが現れて、あろうことか百人目を狙ってきやがってさ。だから、俺なんかに時間かけるより楽しいことに目を向けろって言ってやった」


「うわぁ。それ、お前にだけは言われたくなかっただろうな」


「そいつにも同じこと言われた。けどさ、実際そうだろ?」


「そうかもしれないけど、恨んでる方からしたら納得できないだろ」


「うん。だから神様に直談判したら、『自分でもどうしようもない恨み辛みで生きていくのがつらい人や、想いが深すぎて現実世界にそのまま転生できない人はここで納得するのを待つ』っていう時の狭間を紹介してくれた。それがたまたま踏切で死んだ人の空間でさ。警備室のモニターみたいに全面が違う踏切の空間で埋め尽くされていて、そこにそれぞれ誰かいるんだ。声も音も聞こえないのに後悔しているのだけが伝わってきてさ」


 思い出すだけでも身震いしてしまう。


「見てるだけでも怖かったんだけど、いきなりパズルみたいに空間が動いたんだよ。そしたら『今、100年ぶりに一人抜けた』って言うんだ。『あんな空間に孤独にいるとか寂し過ぎるだろ』って言ったら、『ならばどうすればいいと思う』って聞かれて」


「なんて答えたんだ?」


「気づかなかったけど、俺はずっと動物に助けられていたらしい。でも、一番自分のことを知ってるのは自分だろうから、自分も助けに来られたらいいのにって答えたら『世界は成った』って」


「へぇ。あ、唯ちゃんだ」


「悪い。俺行くわ。今日こそあの猫ヤロウに勝つ!」


「まぁ頑張れ。さっきの話はキャラ立てて小説にでもすれば?」


「それいい。また明日な」


 店の前を通り過ぎる猫ゲージを持った唯の元へ走って行く姿を、幼馴染は見守る。

 なにやら言い合う二人の頭上では、珍しくもない鳥の声が響いていた。

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オレ様非道王の猫転生 高山小石 @takayama_koishi

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