第五章:スイーパー / 掃除する人

 「わぁーーーっ!」

 いきなり聞こえてきた大声に、菊乃が目を丸くした。

 「えっ? 何なに?」

 菊乃を見下ろしていた悪代官と越前屋も、何事かと顔を見合わせる。

 「とぉーっ!」

 「はぁーーーーーっ!」

 どどどどどーーーーっ!

 続いて聞こえた気合の声の数々は、この家の何処かで尋常ならぬ事態が進行中であることを物語っていた。何人もの男たちが、忙しなく家の中を走り回っているようだ。時折、バタンという襖が外れる音や、もっと重々しい音 ──おそらく人が倒れた時のものだろう── も混じっている。

 「曲者だぁーーーーっ! 出あええーーーーっ!」

 曲者という声に反応し、二人は菊乃のことなど放り出して部屋から飛び出して行った。柱に縛り付けられたままの彼女は、一人取り残された形だ。

 「チョッと、置いて行かないでよ! 何なのよっ! 何がどうなってんのよっ!」

 しかし悪者二人は、菊乃に目もくれず走り去ってしまった。

 「そんなぁ・・・」

 その騒ぎは収まる様子も無く、なおも何処かで続いているようで、相変わらず菊乃の見えない所から音だけが聞こえてくる。

 「とわーーーっ!」

 「やぁぁぁぁっ!」

 行き交う怒号と床を踏み鳴らす騒音に混じって、時折「キンッ」という金属音が聞こえてくることから、刀を抜き合った男たちが、真剣を交えた大立ち回りを繰り広げていることは明らかだ。いったい何が始まったというのだ?

 そこへ拓海と重右衛門が飛び込んで来た。

 「お菊どのーーーっ!」

 「菊乃! 無事かっ!?」

 「あっ、拓海! 重右衛門さまーーーっ!」

 すかさず駆け寄った重右衛門は、脇差を抜いて菊乃の拘束を解く。久方振りに自由の身となった菊乃は、「わぁっ」と言って拓海に抱き付いた。

 ひしと抱き合う二人。

 「わーん、怖かったよーっ! 拓海のバカバカバカーっ!」

 何故自分がバカ呼ばわりされているのか拓海には判らなかったが、彼はその拳を自分の胸で受け止めた。それを見た重右衛門の息がグッと詰まった。自分の恋心の終わりを知ったのだ。

 「重右衛門さまも、有難うございました。このご恩は一生忘れません」

 拓海の腕の中から涙声で礼を言う菊乃に、重右衛門はぎこちない笑顔を向ける。意中の女性が、別の男の腕に抱かれている光景をどう処したらよいのか、彼には判らなかった。この時代の侍など、恋愛経験値で言えば現代の中学生とさほど変わらないのだ。

 「な、なに。礼には及ばぬ。お菊どのが、ぶ、無事で何よりである。それより、これは何の騒ぎであろうか?」

 そう問いかける重右衛門に、菊乃が意外そうな顔を向けた。

 「えっ、この騒ぎ、重右衛門さまたちが起こしたものではございませんか?」

 「い、いや、これは・・・」

 奥歯にものが挟まったように言葉を濁す拓海に対し、何も知らない重右衛門はキッパリと答えた。

 「そうではござらん。丁度、拓海どのとこの屋敷に着いらば、何やら大騒ぎの様相。それに乗じて乗り込んで来たのであるが・・・」

 そう言って顔を巡らすと、先ほどから続いていた騒動が、いつの間にか静かになっていることに重右衛門と菊乃は気が付いた。そして、騒ぎの収まった静寂の奥から、静かな足音がこちらに近付いて来るようだ。

 それを聞きつけた重右衛門は、「むっ!」と言って部屋を飛び出して行く。その行動は、たった今被った失恋の痛みから、自分の気を逸らすためのものであることを拓海以外の二人は ──重右衛門本人ですら── 気付いてはいない。時が昭和であれば「うぉーーっ!」などと叫びながら、夕日に向かって走っているはずである。慌てて拓海が「お待ちください! 重右衛門さま!」とその背中に声を掛けたが、彼の耳には届かなかったのか、振り返ることも無く行ってしまった。

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