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そこは広尾のフランス大使館近くに店を構える、小洒落たレストランだ。首都高2号目黒線下の明治通りから、少し坂を上った所にあるその店では、金にものを言わせた富裕層が夜な夜な集まってきては、コストパフォーマンスで言えば高いのか安いのか判らない料理に舌鼓を打つ。その店の奥まったエリアにしつらえられた窓の無い個室には、コルトレーンのJAZZが物悲し気に流れていた。
男は約束の時間よりも随分早く訪れ、予約を入れた個室に一人きりで通されていた。それが彼の、いつもの手だ。相手が現れるまでの時間を使って、ある
男がいつものように手慣れた様子でその細工を施そうとした時、「ボンッ」という破裂音と共に湧いた煙が狭い個室に充満した。続いて「びよよーーん」と間抜けな音が聞こえ、その煙幕の奥から重右衛門が現れた。
突如として現れた侍装束に身を包んだ男に目を見開いて固まる男は、重右衛門の「山元か?」との誰何に答える余裕も無く虚勢を張った。
「だ、誰だお前!? 何のつもりだっ!? つ、摘まみ出すぞ!」
ソファに座ったまま逃げ腰の山元は、無言で刀を抜く重右衛門に目を剥き、言葉を失った。
一旦は正眼の構え(剣先を相手の喉元に向ける、中段の構えの一種)をとるも、刀を振るには膝高の
山元が「ひっ」という声にならない悲鳴を上げると同時に、左足を一歩踏み出すようにして躍りかかった重右衛門の刀が、驚愕の表情を張り付けた山元の心臓を貫いた。刃先は山元が座るソファを突き抜け、その背後にまで到達していた。
心臓を串刺しにした手応えあり。そのままの体勢で返っていた手首をグィと元に戻すと肋骨がガリリと嫌な音を立て、刃先が骨を削ったのが判った。それと同時に、山元の心臓が彼の胸の中でかき回され、傷口から鮮血が噴き出した。ガクガクと震える彼の両手は重右衛門の服を鷲掴みにしたが、その行為には何の目的も無かったようだ。自分に致命傷を負わせた慈悲の無い男の顔を見上げながら山元は、「ゲホッ」と一塊の血を吐いて息絶えた。
動かなくなった山元から刀を抜くと、重右衛門は懐から
それを思わず手に取った重右衛門は、酒瓶を鼻先に持っていってその匂いを嗅いだ。それは何とも言えぬ芳醇な芳香を放ち、異国の酒であることが直ぐに知れた。瓶に貼られた紙には、見覚えの無い文字が躍っている。
「これが噂に聞く、
そう思い、改めて食卓の上を見回すと、そこには黒いイクラや麩菓子のような料理が載っていた。その他にも、見たことの無い旨そうなものが並んでいる。ただ、生の胡瓜や人参を棒状に切り出しただけの質素なものも有り、この国が貧しいのか裕福なのかが判らなくなった。
次いで重右衛門の目は、それらの料理の横に伏せて置かれたギヤマン(ガラス)の洋盃を捉えた。それはそれは見事な盃だ。その透き通った盃を表に返して葡萄酒を注ぐと、手に取って部屋の中央の天井からぶら下がる
重右衛門がそれを飲もうとした瞬間、ふと見ると酒瓶の隣に薬包紙に盛られた白い粉が有るではないか。
「この国では酒に砂糖を入れるのか? たしか、唐の国ではそういった飲み方をする酒(紹興酒)が有ると聞いたことが有る。はたしてこの葡萄酒も、そういう風に飲むものだろうか?」
しかし重右衛門は甘い酒が好きではなかった。砂糖を入れて飲む酒など、考えただけでも頭痛がしてくる。彼はその砂糖らしき粉には目もくれず、洋盃に満たされた葡萄酒を一気に飲み干した。
「旨い」
そして宙に浮かぶ何かを捕まえようとするかのように、カッと開かれた掌を掲げたまま硬直する山元の亡骸に一瞥をくれると、トランスポンダーのボタンを押した。
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