第2話 ジャーンはどこに行った?
「お姉さま、寒いわ」
妹のかすれた声に、フランソワは微笑みながら優しく体を包み込むように寄り添い答えます。
「ミシェル、ほら、ご覧なさい、窓の外。とても月が美しいわ」
姉妹が見上げる小さな窓の外には、かつて過ごした王宮で見たような、黄色く猫の目のような満月が輝いていました。窓から差し込む月光は、しゃがみ込む姉妹の上に白く輝くように降り注いでいます。
「綺麗だけど、やはり寒いし、それに……とてもお腹が減った」
ミシェルの悲しげなつぶやきに、フランソワも今度は微笑むことが出来ませんでした。自身もとても空腹だったのです。
姉妹は、木で作られた薄暗い建物の中で、体を寄せ合ってうずくまっていました。ここ数日、食べ物らしいものは口にしていません。幸い、水はあちこちで飲めるので、それだけが姉妹の空腹をしのぐ手段になっていました。
「お姉さま、ちょっと前までいっぱいジャーンの魔法がかけてもらえたのに、どうしてこの頃は誰も来ないのかしら?」
ミシェルがつぶらな瞳で見つめながらたずねます。
船から降りた後、姉妹は初めのうち広い緑の原っぱのような場所にいました。そこは初めてジャーンの大魔法をかけてもらった場所でした。とても日当たりも良く水もあったのですが、まもなくジャーンの魔法をかけてくれる人が全く来なくなってしまったのです。姉妹はジャーンの魔法をかけてくれる人を探して、広い原っぱを横切り、人がいる場所へと何日もかけて歩いてきました。途中で「ニャーン」の呪いをかけてくる恐ろしい存在から逃げたり、せっかく出会えた人から石を投げられたり、とても怖い思いをしながら、ようやく今の小さな建物にたどり着いたのです。
「わからないけれど、何かジャーンの国で起きているのかも」
姉妹が暮らすこの小さな建物には、少し前までは人が訪れてきていました。そして、姉妹が顔を出すとジャーンの大魔法と共に光を浴びせ、時々は御馳走を置いて行ってくれる人もいたのです。けれど、ここ最近は滅多に人が訪れません。せっかく訪れた人も、顔の半分を布で隠していて、姉妹のことを見てどう思っているのかも良くわかりませんでした。ジャーンの魔法をかけてくれることもなく、皆が足早に立ち去ってしまうのです。
「この建物の中にいれば快適だったけれど、何が起きているかはここを出て行かなければわからないと思うの」
「外に行くの?またいっぱい歩かなくちゃいけないの?」
そう不安そうに言うと、みるみるミシェルの瞳に涙があふれてきました。
「まずは、いつも来てくれていた『お掃除のおじいさん』のところへ行ってみましょう」
フランソワが言うと、ミシェルがちょっとホッとしたようにうなずきました。
『お掃除のおじいさん』というのは、この建物の周りを毎日のように掃き清めてくれていたおじいさんのことです。姉妹が初めておじいさんの前に姿を現した時はとても驚かれましたが「こりゃ縁起ものだ」と言って小さな甘いサクサクしたものをくれました。それからはおじいさんが掃除に来ると、姉妹はちょこちょこと姿を現して、何かしら美味しいものをもらっていたのです。ジャーンの魔法はかけてくれないけれど、おじいさんは姉妹にとって魔法と同じくらいにステキな存在でした。
何度も見送るうちにおじいさんの家の場所はわかりました。ここから割と近くです。くたくたになるまで歩かなくても良いとわかって、ミシェルに笑顔が戻ってきました。
「おじいさん、また美味しいモノくれるかしら?」
さっきまで泣きそうだったことも忘れて、ミシェルの瞳が期待でキラキラと輝きました。
「そうね……とにかく、ここでじっとしていても何もわからないし、変わらないと思うの」
「うん」
「行ってみましょう、ミシェル。ジャーンの大魔法の国に来たのは、もともとはお母さまを探していたからですもの。一か所にじっとしていては何もできないわ!」
自分自身を奮い立たせるようにそう言うと、フランソワは建物に開いた小さな穴から外を伺いました。後ろにはぴったりとミシェルが付いてきています。
「行くわ!」
そう言って、勢いよく建物から飛び出すと、姉妹の姿はあっという間に辺りの草の中へ消えていきました。
小さな森を抜けると、掃除のおじいさんの家まで、灰色の高い壁と硬くて広い道が続いていました。姉妹が一番恐れていたのは『ニャーン』の呪いをかける存在に見つかることでしたが、幸いなことに一度も出会うことなくおじいさんの家までたどり着くことが出来ました。
冬でも緑の生垣でぐるりと囲まれた庭に入り込みます。すると、目の前におじいさんが立っていました。
「おじいさん!」
「おじいさん、会えた!」
フランソワとミシェルが嬉しくて思わず声を上げると、おじいさんがびっくりしたように姉妹を見つめました。
「あれ、お前たち、ひょっとして神明様のところにいた子たちかい?」
おじいさんがゆっくりとひざを曲げ、姉妹の近くまで顔を寄せてきました。
「おじいさん、わたしたち会いに来ました!」
フランソワが大きな声でそう告げると、おじいさんが声を上げて笑いました。
「元気が良いなぁ、おチビちゃんたち。ちょっと待っておいで、せんべいかクッキーか、何あったろうか?」
おじいさんは「よっこいしょ」と言って膝を伸ばすと家の方へと歩いていきました。姉妹は喜んでその後に続きます。この国の言葉もずいぶん覚えました。話すのはまだ苦手ですが、聞く方はかなり上達したのです。
縁側から部屋の中に入って、台所でクッキーを手にしたおじいさんは、再び縁側から外に出ようとしてびっくりしました。庭にいたはずの姉妹が居間の座布団の上にちょこんと座っていたからです。
「あれ、お前さんたち、家の中に入っちゃったのか、こりゃ困ったなぁ」
それを聞いたフランソワは、自分たちのはしたない行いが恥ずかしくなりました。
「すみません、おじいさん。わたしたちまだお家の中に招かれていませんでしたね……」
クッキーを見て目をキラキラさせているミシェルを連れて、フランソワは急いで縁側から外に出ると、おじいさんにお詫びをしました。それを見たおじいさんはさっきよりもっと驚いて目を丸くしています。
「まるでこっちの言葉がわかってるみたいな子たちだな。以前は誰かに可愛がられていたのかい?」
そう言いながら縁側に腰かけると、手にしたクッキーを細かくして姉妹の方へ投げてくれます。ミシェルはお礼もそこそこにクッキーに飛びつきました。それを眺めながら、フランソワは幼い妹の分までゆっくりとお辞儀をすると「いただきます」と言って足元に転がってきたクッキーを拾いました。
「お食べ、お食べ。お前たちを探している人がいるなら知らせてやりたいが、どうすれば良いか……」
夢中でクッキーを食べる姉妹を見ながら、おじいさんがつぶやきます。
「ミカちゃんの言ってたヤツなら何とか出来るかも知れんけど、おれにはああいうの全然わからんしなあ」
フランソワはクッキーをモグモグと味わいながらおじいさんを見つめます。おじいさんのつぶやきを聞いて、やはりこの人はジャーンの大魔法は使えないのだなと思いました。これまで、姉妹にジャーンの大魔法を使ってくれる人は、割と若い人が多かったのです。
クッキーを飲み込み一息つくと、フランソワはおじいさんに話しかけました。
「このようなご馳走をいただいた上に、更にお願いして心苦しいのですが、ジャーンの大魔法を使える人を知りませんか?私たち、お母さまを探してこのジャーンの大魔法の国へ来たのです。ジャーンの大魔法を使う人に、お母さまを探す方法が無いかをたずねてみたいのです」
フランソワの言葉を聞くと、クッキーに夢中だったミシェルもパッと食べるのをやめて、おじいさんを見つめました。そしておじいさんにお願いします。
「親切なおじいさん、ジャーンの大魔法を使える人はこのお家にはいませんか?その人にお母様を探す方法を教えて貰えないかしら?」
これまで、姉妹の前にはジャーンの大魔法を使える人が度々現れていたので、そのうちそのうちと思ってうっかり過ごしてしまったのです。もう少し早くジャーンの国の異変に気づいて、お母様の事を探す方法を聞いておけば良かったと、姉妹は後悔しはじめていました。
フランソワとミシェルがおじいさんを見つめていると、突然、にぎやかな音が辺りに鳴り響きました。姉妹がびっくりしてその場でそろって飛び上がると、それを見てちょっと笑ってからおじいさんが家の中に入っていきます。賑やかな音は居間の方から聞こえてきていました。姉妹がドキドキしながら見ていると、おじいさんがテーブルの上から『何か』を拾いました。にぎやかな音が鳴りやみます。おじいさんはその『何か』を耳にあてると、大きな声で一人でしゃべりだしました。
「もしもし、はいはい。うん。大丈夫。うんうん。ちょうどおれもミカちゃんに頼みたいことがあったんだよ」
『何か』を耳にあてながら、おじいさんはまるで誰か見えない相手としゃべっているみたいです。ひょっとしたら、これも何かの魔法かも知れないと、フランソワもミシェルもおじいさんをじいっと見つめました。おじいさんはそんな姉妹の様子には気づかずに、見えない誰かと話し続けています。
「うん、うん。ああ、そうかい、助かるよ。うん、じゃあ待ってるからね、気を付けて」
おじいさんが『何か』を耳から外して指で押すと、辺りは静かになりました。
「おじいさん、それ、ひょっとして魔法ですか?」
フランソワがたずねると、おじいさんが顔を上げました。
「ああ、良かった、まだいたね。お前さんたち、びっくりさせちまったね、大丈夫かい?」
「大丈夫です、その四角いものは魔法の箱ですか?」
「ちょっと待っててくれるかい?ミカちゃんが来てくれるから。ミカちゃんがお前さんたちを写真に撮って、いんすたとかついったーってやつに載せてくれるってさ」
「ミカちゃんという魔法使いが来てくれるのですか?」
「どうしようか、何か餌になるものを置いておかないとどこかに行っちゃうかもしれないな」
おじいさんがキョロキョロしています。どうやらフランソワの質問が聞こえていなかったようです。
「いんすたとかついったーとかはジャーンと同じく魔法の呪文ですよね?」
フランソワは重ねてたずねました。ジャーンの大魔法を使う人の中に、時々その呪文を口にする人がいたことを覚えていたのです。けれど、おじいさんは姉妹とクッキーの残りを交互に眺めたあと「うーん」と考え込んでいます。そのうち、「あ、そうだ!」と言って家の中に戻っていきました。フランソワとミシェルは家の中を見ようと一生懸命背伸びをしましたが、おじいさんはあっという間に見えなくなってしまいました。奥の方から何かゴトゴトと音がしています。何かを探しているようです。やがて「あった、あった!」という嬉しそうな声が聞こえてきました。おじいさんが何か袋に入ったものを手に戻ってきます。
「これ、どうかな?ほい、ほいっと」
そう言いながら、姉妹の前に袋から取り出したものを1個ずつ置いてくれました。すごく美味しそうな匂いです。
「お姉さま、これ、なにかしら!?」
「おさかな?かしら。いただいてみましょう」
姉妹はそれぞれちょっとずつかじってみます。やはり魚のようです。歯ごたえと言い香りと言い、これは王宮でも食べたことの無い御馳走のようです。
「おじいさん、こんなごちそうをありがとうございます!」
「お姉さま、ここにきて良かったわね」
フランソワもミシェルも、夢中になっておさかな味のごちそうを食べました。おじいさんはそんな姉妹の様子をニコニコしながら見ています。
「ピンポーン」
家の中に聞いたことの無い音が響きました。
「あ、ミカちゃんが来たかな?」
そういうとおじいさんは嬉しそうに「はいはい、出ますよ」と大きな声で言いながら、家の奥の方へ行ってしまいました。扉を開ける音、誰か、若い女の人の話す声、おじいさんが嬉しそうに笑っています。再び足音が近づいてきました。てっきりおじいさんだと思って待っていた姉妹の前に現れたのは、王宮にいた王様や王妃様と同じような金色の髪の女の人でした。
嫌がられる!
王宮での人々の冷たい視線を思い出して、フランソワとミシェルはぎゅっと体を縮こまらせました。
けれど、姉妹が耳にしたのは、ここしばらく聞くことが出来なかった、あの呪文でした。
「え、マジ?じいちゃんが電話で言ってたのって、この子たち?ヤバい、超可愛いジャーン!」
フランソワはジャーンの大魔法が唱えられるのを聞いて、体の中から力が湧いてくるのを感じました。ミシェルと一緒に立ち上がると、金髪の若い女の人、ミカちゃんに丁寧にお辞儀をします。その間にも、ミカちゃんによってジャーンの大魔法は幾度となく唱えられました。『カシャカシャ』というジャーンの大魔法を唱える時によく聞こえてくる不思議な音も響いています。
ああ、やはりおじいさんには自分たちの思いが通じていたに違いない。偉大なる魔法使い、ミカちゃんを呼んでくださったのだから。
お母さまとも巡り合える日が、いつかきっと来る。
縁側に座るミカちゃんの髪がキラキラと輝くのを見つめながら、フランソワの心には、明るい希望が満ちてくるのでした。
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