昨日視

あんちゅー

昨日を一緒に見てあげるから

 酔いし酔わされ大人たち。

 カモだネギだとキャッチがニヤリ。

 子供にゃ見せたくないような、騒がしい街には嫌気がさしたと、ひとつ逸れたら裏通り。

 どんな街にも1つズレれば閑散とした路地がある。

 店の裏手の入口並ぶ、そんなところに今日もひっそり店が開く。


 深夜の12時、今日が始まる。

 そんな時間に店も始まる。


 暖簾も看板も出ていない。ホームページなんてありゃしない。飲み屋ですらないそんな店。時代錯誤の怪しい店で、今日もこっそり誰かが来ては、にやけた店主が話を聞いて、ほんの少しでも救われるのを願ってる。


 さて、今日は誰が来るのでしょう?


 ━━━━━━━━━━━━━━━


 季節はまだ春前だ。外は寒いって言うのにさぁ、こんな時間に道端で寝転んで、あんたは猫かなにかですか?

 疲れて眠るサラリーマンの横を通りぬけそんな風に喉を鳴らしそうになりながら、お酒の匂いに鼻を曲げられて、私はつま先立ちに早足になった。


 いくら日常的な光景でも慣れないものはなれないもので、タバコを吸わない人間がいつだってタバコの匂いを不快に感じてしまうみたいに、お酒の匂いだって同じ。

 私みたいに飲まないやつが不快に思うことも酒飲みの皆々様にはわかって欲しいなぁ。

 まぁ、いい加減に酔い潰れて道で寝るってのをまずは改めて欲しいけど。


 でも、人間の世界は幸せそう。

 好きなものが食べられて、暖かい場所で寝ることが出来る。だから、あんな風に時々普段の生活から外れたことをしたがるんでしょう。

 私達からすれば、羨ましいことこの上ないし、ずるいなぁ。


 あんまり考えすぎたら憧れに食べられてしまいそう。


 と、そうこうしてるうちにお店の前に着いたみたい。

 そこは小さな古本屋さんだ。

 と言っても本当に古本屋さんな訳じゃなくて、あくまでも店の前のワゴンセールの文庫本の山がそれとなく説明してるだけ。

 中に入れば外の建物から考えればいくらか広く感じる室内をどこかからか電球色より少し暗めの柔らかい明かりで照らしてて、そこかしこにうず高く茶色の装丁の洋書が積まれている。


 その時ちょうどドアが開いた。


「ほんと、いい加減にしてくれよ。店の前で吐いちゃってくれちゃって、こっちはこれから商売だってのに」


 そう言いながら彼は出てきた。

 頭には唾が大きく頭の先のとがった帽子をかぶり、真っ黒なマントを羽織っていて、その裾から細長い足が伸びる。少しO脚気味だが気にならないくらい長く、その先にはつま先がカールした靴を履いている。

 私は彼の格好が好きだった。なんだか胡散臭そうな魔女みたいで、それに彼には私がお似合いな気がしていた。


 彼は、ぶつぶつと文句を言いながら手にもった銀色のバケツで店の前に水をぶちまけている。店先を汚されたことに怒りながらも真面目に掃除をしている姿は、格好やにやけた顔と相まってマヌケに見える。

 私は彼に気がついて欲しくて、小さな声で鳴いてみた。


「お、今日もありがとね?小さい助手ちゃん。もう少しだけ待っててね。中にでも入っといで?」


 お許しが出たので、私はサッと中に入っていつものように高く積まれた本の上に腰を下ろした。


「はは、本当にそこ好きだよねぇ」


 笑うと目じりのシワが深くなる彼はそう言ってまた外の掃除を始めたのだった。


「これが終わったら開店だよ。」


 〇


「すみません」

 深夜2時を回った頃誰かが入ってきた。

 弱々しい猫背の小さな男の子かな?女の子かも。髪の長い弱そうな人だ。

 こんな時間にここに来るには少しだけ歳が若すぎるんじゃないの?って思ってみたけど、彼も同じ気持ちだったみたい

「君、いくつ?」


 その子はわざとらしく顔ごと視線を泳がせてから

「20です」

 と言った。


「そっか、それならいいや」


 まぁ、それより年下だからといって彼の仕事にかかわり合いは無いのだけれど、それを聞くだけでその子の心理状態が分かるらしい。


「とりあえず、上着をそこにかけてから、こっちにおいで」


「はい」


 上着を脱ぐとその子はさらに小さく見えた。

 肩や胸に肉がついてなくて、でも、別に男の子のような骨格ではないから、やっぱりどちらか分からなかった。


「えっと、あの・・・・・・」


「好きにするといいよ、自由にこの部屋見て回って貰ってもいいし、そこら辺にころがってる本を読んでもいい。あ、コーヒーと紅茶どっちがいい?」


「あの、あ・・・・・・」


「ヤクルトミルミルもあるよ」


「あ、紅茶で」


「紅茶なんだ、へぇ若いのに」


 彼はいつの間にか用意してたティーポットを回すように振ってそれをカップに注いだ。


「僕はねぇ、紅茶のこと全然わかんないからリプトンだけど、ごめんね」


「あ、はぁ・・・・・・」


「はい、どうぞ」


「い、いただきます」


 私のところまで紅茶の香りが香ってくる。

 何となく安い匂いのする紅茶の香りはけれども私を安心させてくれる。


 彼は積んであったほんから一冊を取り出して静かにページをめくり始めた。

 かたやその子は口元まで持っていったカップを1度だけ口につけて、あとは俯くだけだった。


 〇


 どれくらいたっただろう、俯いたその子がしびれを切らしようやく口を開いた。


「すみ、ません。昨日の記憶を消せるって聞いて、お願いしに来ました」


「うん、いいよ」


 なんだか素っ気なくて軽々しい。この子もきっと胡散臭いおじさんだとでも思ってるだろうし、もちろん私だっておんなじこと。


「あ、あの、ほんとに消せるんですか?昨日の記憶って」


「うん、消せるよ。」


「凄いですね・・・・・・」


「凄くないよ、別に。それに僕はそれしか出来ないもの。

 うん、それじゃあ、はじめよっか」


「あ、はい」


 たどたどしい言葉と馴れ合う気のない言葉は親和性が全くない。一見するとただの素っ気ないおじさんに人見知りが一生懸命話しかけてる感じ。


「今日はどんな記憶を消しに来たの?

 って言ってもごめんね、僕は昨日の記憶しか消せないからね、昨日のどんな?ってことになるんだけど」


「あ、はい、そう聞いてきました。大丈夫です。」


 彼は早速どこかからか映写機を取り出した。と言ってもなんだか8ミリフィルムみたいな形状をしたどちらかと言えばパッと見はカメラにしか見えないものだ。そこにストラップのようなものが伸びている。


「これをさ、首にかけて欲しいのよ。」


「首にですか?」


 いきなりは意味がわからないでしょうに、その子も首を傾げている。


「そ、記憶ってさ映像自体は脳に記憶されるものなんだけどさ、感情ってのは脳の信号が心に向かうことで生まれるものなのね。脳から出力されたものが心でふるい分けされてんの。んで感情として成り立つって感じ。でも記憶自体は映像と感情の複合体だからさ脳と心の中間から取り出すことで丁度よくなるのよ。」


 あまりの脈絡の無さというか説明不足に唖然とするその子のために私はひと鳴きしてあげる。


 その子はビクッと体をふるわせてこちらを見て呟く。

「あ、黒猫・・・・・・」


 彼もそれに気がついたよう。


「ああらそうか、ごめんね、この機械はね記憶映写機で、人の記憶を見ることが出来るのよ。それをね君の後ろのスクリーンに写して見せてもらうけど、ほんとに大丈夫?」


「え、っと、いやそれは・・・・・・

 それを見ないで消すってことは、出来ないんですか?」


 促されるまま流されていたその子がようやく拒否をした。

 それは多分どうしても見られたくない記憶。消したい記憶なんて絶対そう。誰にもみられずしまっておくこともできないそんな記憶だからこそ人は消そうとするのだと思う。


「でも、僕は記憶を見ないとどこを消せばいいか分からないよ?」


 お互いが少しばかりの沈黙をもってその場の雰囲気を硬くさせる。けれど、それも束の間のこと。


「あは、は。それ、ほんとに大した能力じゃないですね」


「でしょ?あんま使えねぇのよ」


 その子は笑ってそう言って、彼も同じく笑い始める。そこから、ようやく今日の仕事が始まる。


 彼はいつもこうやって相手の心を解すことから始めた。気さくに笑うおじさんなのに堅苦しく小難しいことを言って素っ気ない態度をとるおじさんの振りをして、それなのにあまり融通の効かない能力で商売をしている。

 そんなギャップが萌えるでしょと、彼はよく言っている。

 特に萌はしないけど、それでいくらか心を許せる。


「わかりました、お願いします」


「それでは始めます」


 その子は首にストラップを巻き、彼は映写機を回す。室内の光量がいくらか減って投影された映像がハッキリと映し出されてくる。

 その子は目を逸らしたそうにしながらも、隣で真剣な表情の彼に信頼を預けたのだった。


 〇


「それで、辛くて」


 映像が終わり、一通りの会話を終えて、その子は泣き始めた。今まで抑えてきたもの、そして抑えきれなかったものを否定される、それだけでも忘れたい記憶に違いない。


「僕はあんまり、そういうことを真面目に考えたことないからさ、言えることって少ないんだけどね。この記憶を君が消して、それを忘れたとしても君は多分後悔すると思うんだ」


「後悔、ですか?」


「うん、君は同性の子が好きで、それも1番の親友が好きで。それを黙ったまま一緒にいるのって本当に辛かったと思う。」


「はい」


 まだ本当は10代も半ばらしいその子は、そんな気持ちを抱えていた。よくある10代の恋心。それでも本人には大切な感情で、それは他人が思っているほど安くはない。

 よくある事だと言い切るには本人にとっては重要なことなのだ。彼はそれを蔑ろになんてしない。


「なんて言われるか不安で、それでもようやく伝えられたんなら、その気持ちの高まりも愛情も全部君だけのものなんだよ。嘘で隠してた気持ちとか、自分を欺こうとしていた感情に勝つことが出来たんじゃない?」


 もちろん勝ち負けの話ではないのかもしれなけど、本当の部分を隠して生活してる人は案外多くいる。誰かにあけすけにできるほどの度胸なんてものを持ってる人は実はひと握りなんだろう。


「恋は敗れても、自分に勝てた。正直になれること以上に君が君のためにしてあげられることなんてないんだよ。僕が使えない力を誰かの役に立てようとしてるのも本当はそういうところで正直に生きてるからなんだよ?」


「でも、明日からどんな顔して会えばいいのか。」


「友達なんでしょ?親友なんでしょ?ちょっとやそっとじゃ、大丈夫。それにもしあれだったら僕が彼の記憶を消してあげるよ」


 そう言って彼は笑った。

 それにつられてその子も笑う。


「ここに連れてこなきゃじゃないですか」


「それは頑張って」


 〇


「ありがとうございました」


 そろそろ朝日が顔を出すのだろう、空が白くすんでいた。

 うっすら月が見えていて、本当の今日が始まろうとしている。

 その子は少しだけふらつく足で歩いていった。けれど足取りは力強い。


 彼の仕事はこうやって昨日と今日を繋ぐ仕事。

 昨日の記憶を消す力。

 それは不思議な力だけれど、だからといって簡単に消してはいけない。全てが全て、大事な人の一生の一欠片だから。


「ねぇ、小さい助手ちゃん。僕は思うんだけどね、昨日があるから今日がある。今日があるから明日がある。どれかひとつとっても人っておしまいなんだよね。どれだけ悩んで苦しんでも、それでも忘れちゃいけないんだよ。酷な話だけどね」


 私はそう言う彼を見上げて鳴いた。


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昨日視 あんちゅー @hisack

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