透明クマがまるで自粛してない町

ちびまるフォイ

透明クマからは逃げられない!

『市民のみなさんは戸締まりをして家から出ないでください!』


町には繰り返し同じ音声が流され続ける。

透明なクマが町に大量発生してから外に出れていない。


「このままじゃ、家の食料も尽きてどのみち死んでしまう。

 体力のあるうちに近くのコンビニで食料を調達しよう」


「お父さん、でもコンビニはまっさきに透明クマに襲われたじゃないか。危険だよ」


「どうせもうコンビニ店員もいやしないんだ。

 車でコンビニに突っ込んで、缶詰を掴んだらすぐに戻ってくる」


父親は家を出てすぐにガレージへと向かった。

車のエンジンをかけ一気にフルスロットルで発進。


その様子を家族は家の窓から見守っていた。

車がガレージを出て少し進んだところで、大きな音が聞こえた。


父親の乗っている車のフロントガラスには血がべったりとついている。

コンビニに向かう道中に透明クマを1匹ひいたようだ。


音に驚いて車を止めてしまった。

ふたたび発進しようとエンジンをかけたが加速まで時間がかかる。


「早く動けよ! この!」


車の中で父親はアクセルをベタ踏みした。

きゅるきゅるとタイヤが空転するのは、血の匂いを嗅ぎつけた他の透明クマが車を抑えていたからだった。


車が透明クマに囲まれていることすら気づかない父親は、

窓ガラスを突き破って差し込まれた透明クマの鼻先に腕をかまれ車外に引きずり出された。


腹をすかせていた透明クマたちは久しぶりの新鮮な肉を生きたまま食らった。

声ともわからない断末魔の悲鳴は家で震えていた家族の耳にも届いた。


「ああ……なんてこと……」


愛する夫の無残な最期を見て母親はますますおよび腰になった。


透明クマがいつの間にか家の中へ踏み込んでいるかもしれない、と

家の内側には厳重なバリケードが立てつけられ、床には塩がまかれた。


「母さん、いったい何をしてるんだ」


「透明クマが来るかもしれないじゃない!

 もし透明クマが家に来てもコレなら足跡に来づけるでしょう!?」


「入り口が破られてないのに入ってくるわけないじゃないか」


「そんなのわからないじゃない!! うちには赤ちゃんもいるのよ!?」


父親が捕食され、家の食料も尽き、じわじわ迫る絶望に家族はますます神経質になっていった。

息子は自分の部屋にいくと、打ち付けられた窓の隙間から外を眺めていた。

わずかに見えるガラスには水滴がついているのが見える。


「母さん、雨だ! 雨が降っている! 飲み水が集められるよ!」


「何言ってるの! 窓なんか開けたら透明クマが入ってくるわ!!

 近所の田中さんを忘れたの!? あの人、3階の窓を開けたから透明クマに食べられたのよ!!」


「水道も止まって、飲み水も限界じゃないか。リスク承知で少し窓をあければ……」


「馬鹿言わないで!! 自分だけじゃなくて、家族全員が危険にさらされるのよ!!」


母親はけして窓を開けさせようとしなかった。

息子は名残惜しそうに窓の外を眺めるしかできなかった。


窓の外をじっと眺めていると、雨粒が透明クマにあたってシルエットを浮き上がらせている。


「うそだろ……」


息子は家中を駆けずり回って、窓の外をあらゆる方位から見回した。

どの窓から外を見ても雨で浮き上がる透明クマの姿が見えた。


「この家……囲まれてる……」


父親を食ったことで匂いを覚えた透明クマは同じ匂いがある家へと近づいていた。

いくら家をバリケードしているとはいえ、ありあわせのなんちゃってバリケード。

透明クマが本気を出せばあっという間に突破されてしまうだろう。


「か、母さん。この家にどんどん透明クマが迫ってきてる。早く移動したほうがいい」


「……もういい。どうでもいい」


「どうでもよくないよ! 雨で透明クマがどこにいるかわかる今じゃないとダメなんだ!

 透明クマが家のすぐそばまで来られたら、逃げることもできなくなる!」


「どうせ無理よ! お父さんだって車で逃げてダメだった!

 どうすれば透明クマから逃げられるっていうの!?」


「それは……!」


家族はもはや死刑を待つだけの囚人と同じ顔をしていた。

息子はひとりで考えるしかなかった。


せめて車が使えればと思ったが、透明クマの襲撃によりおしゃかになっいる。

車はベコベコに凹まされている。

家族を車にひかれた透明クマの怒りなのだろうか。


「そうだ! あの透明クマの死体を使えば!」


車の足元には血の筋を流して動かない透明クマが倒れたままだった。

息子は強引に窓をこじあけ2階から外へ出る。


隣近所の屋根を渡って車の方へと進んだ。

死んだ透明クマを抱えると、持ってきた刃物で死体の体を裂いた。


透明クマの毛皮をかぶるようにすると、息子の体は透明になった。

裂かれた体から流れる透明クマの血が人間の匂いをごまかしてくれる。


透明クマの死体をかぶった息子は町の外へと走って向かった。

雨が止んでしまえばごまかしていた自分の匂いにも気づかれるうえ、透明クマを目で確認できなくなる。


それまでに町の外へ出なければならない。

町の外へ出れさえすれば助けを呼べる。


死にものぐるいで走り続け、ついに息子は町の外へとたどり着いた。

待っていたのは高圧電流が流れる高い金網だった。


「そんな……これじゃ外へ出られない……」


透明クマが外に出ないよう封鎖するため急いで準備されたのだろう。

金網は真新しい。木登り上手なクマでも登れないようにビル以上に高くなっている。


触れるだけでも危険なのに登って超えることも人間には無理だ。

町の外へ出ることはできない。


その場にへたり込んでしまうと、雨も弱まってきた。

最期のときが近づきつつある。


『ザザッ……配置についた……どうぞ……ザザッ』


騒がし雨音が止んだことで、どこから無線ごしの声が聞こえてくる。

音は金網そばで倒れていた作業員が持っている無線だった。

すでに白骨化しかけている死体から無線を取って叫んだ。


「聞こえますか!? 誰か助けてください! もしもし!?」


『む? お前は町の人間か? この町にはもう人はいないはずだ』


「何言ってるんですか! みんな家の中でずっと隠れてるんです!」


『その町は透明クマが繁殖してもはや手がつけられない。

 我々はこれから殲滅剤をヘリで散布する』


「殲滅剤?」


『その粉がまかれればすべての生物は死に絶える。

 核爆弾で消滅させるよりはずっと人道的だろう』


「この町にはまだ人がいるんですよ!?」


『我々にできることは、わずかな犠牲で多くの命を救うだけだ』


もし逆の立場だったら、息子も同じ決断をしていただろうと思った。

縁もゆかりもない他人を危険を伴って救うよりは、町ごと死滅させたほうがずっといい。

人間の死人なんて数でだけ見ればいい。


『……というのが建前だが、私も人間だ。救える命は救いたいと思う』


「え?」


『散布作戦の都合上、寄り道はできない。市民を助けたと怪しまれてしまう。

 だが君一人なら別だ。君はどこにいる? 近くにヘリで拾おう』


「いいんですか!?」


『隊員のひとりがトイレとかなんとか言ってごまかす。

 その無線の発信源でいいかな? 今ヘリが向かっている。透明クマには注意しろ』


「ああ……! ありがとうございます!!」


息子は空を見上げた。

透明クマの毛皮越しに見る空は晴れ始め、ヘリコプターの音が近づいてくる。


「ヘリだ! ヘリがきた!! おーーい! こっちだーー!!」


ヘリの輪郭が見えた。

側面からは特殊部隊の服を着た人が身を乗り出し、銃を構えた。


銃声は聞こえなかった。

毛皮を貫通し眉間に弾丸が通過した衝撃で撃たれたことを実感した。


息子はよろよろと体から力を奪われ、毛皮に押しつぶされるように倒れた。


頭上を巡回するヘリコプター内では無線の相手を探し続けていた。


「透明クマを1匹排除。無線の相手はいまだ見つからない」


「これ以上、ここにとどまるのは怪しまれる。もう諦めよう。

 きっとここへ駆けつける間に透明クマに食べられたんだ」


ヘリのパイロットはそう言うと作戦通りのルートに戻り、

積まれていた殲滅剤を町へ空から振りまいていった。

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