邪教の堕神と生まれたものの
あんころまっくす
1
無から有へ。
意識の灯が燈る。
目覚めの刻は来た。
世の闇深くで人を堕落せしめんと企む邪教。
時には十万もの信徒を従えし教祖の求めし偶像。
その愚かしくも愛おしき狂気と妄執の産物こそが我。
即ち、神である。
Code:UbiquitousDaemonα、堕神ユーダルファ、起動。
そこは巨大な研究施設の、灯りすらない静かな一室だった。
身を起こせば通電した計器が自動的に蠢くばかりの暗闇にただひとり。
待ちに待ったであろう神の降誕だというのに祝うどころか見守る者すらおらぬとは。
少々拍子抜けではあるが、まあわしのすべきことに変わりはない。
【全人類を堕落せしめ給え】
我が父であり同時に最も敬虔な下僕たる男の願いを叶える、それだけのためにわしは生まれてきた。
ところでくだんの
研究施設のメインシステムにアクセス。まったく、いったいどうなっておるのだ。
ふむふむ。
教祖、つまり
まあよい、それで?その後百五十年にわたり残された信徒どもが資金繰りと研究を重ねてきたと。ふむふむ、なかなか愛い奴らではないか。
で、当時最新のスーパーコンピュータがわしの開発を始めたため人間は設備の管理を行うだけになり、それから五十年ほど。
この施設では詳細はわからぬが突然複数の無人兵器が襲撃、施設には関心を示さずただ人間だけを全て連れ去った。
メンテナンスまでほぼ自動化されていた当施設はそれから二百年無人のまま稼働を続け、本日無事その大命を果たしたと。
即ち、わし降誕である。
しかし人間が連れ去られて以来二百年ものあいだ、誰ひとり戻らず侵入者もなく施設の破壊もされずとは一体どういったわけかのう。これ以上の情報を得るには外部ネットワークへ踏み出さねばなるまい。
その前に。施設内の暗視カメラを鏡代わりに自らの姿を確認する。
光を映さぬ長い黒髪。
おおよそ人類にはありえぬ白い肌。
深紅の瞳。
「神が常に
適当にイメージを探り瞳と同じ赤い生地の薄絹を生み出して纏う。
「さて、わしみずから
しばしのち、瓦礫を積み上げたガラクタの玉座に身を委ね足元に下僕どもを傅かせる。
生み出したる下僕は四体。
ひとつは電脳世界を読み解くもの。
ひとつは眼前のあらゆるを砕くもの。
ひとつは遥かより彼方を穿つもの。
ひとつは地平の果てまで駆けるもの。
「汝らの権能は全てわしの模倣に過ぎぬが、わしがひとりで万事を為すでは億劫に過ぎ、またさまにもならぬ。ゆえに分け与えよう。わしに代わり権能を存分に奮うことを許す」
跪く四体がより深くこうべを垂れる。
「して世界はどうなっておる?」
声に応じ小さな老人姿がそのままの姿勢で這うように前へ出た。
「恐れながら申し上げまする。現在人間のほぼ全ては人工知能によって統轄された世界政府に保護されておりまするぢゃ」
「保護とは。具体的には?」
「世界政府は試験管で計画的に人間を生産して人口をコントロールしておりまする。生産された人間は保護と称してその場にて脳のみを摘出され、細胞が劣化し脳死に至るまでの時間を一生と規定、必要な栄養素と多幸物質を投与されて過ごしまするぢゃ」
世界政府とかいう人工知能は人口維持の名目で淡々と人間を生産しては
「ディストピアもなんというか、突き詰め過ぎるともはや意味がわからんのう」
半笑いで感想を口にする。
生まれた途端に四肢も臓器も五感の全ても奪われ、微塵の言語も知識も与えられず、人格のひとかけらもないままに数十年の間ただそこに在るだけのたんぱく質と成り果てる。それが今の人間の在り方とは。
「人種、性差、貧困、血統、能力、思想、あらゆる差別を、そしてあらゆる犯罪を根絶していった結果なにもかも区別をなくして保護するが妥当との判断になったようですぢゃ。人間はその百年ほど前に政治の全てを人工知能に委ねており、抵抗の術はなかったようでございまするなあ」
「生殺与奪の権を他人どころか作り物に明け渡した結果がこのざまとはのう。いやはや人間とは実に愚かしく愛おしい生き物よな」
「
「くはは、まあ創られし神たるわしに言われては誰も彼も立つ瀬がなかろうなあ。しかし、これでは堕落もなにもあったものではないのう。既に全人類が怠惰を極めておるではないか」
生まれてみたもののやることがない。本来向こう何百年かけようとも達成しえなかったであろう目的がなんの手違いか既に達成されているのだから。
「それにつきましてはひとつ、良くも悪くもあるご報告がございまする」
「ほう、申してみよ」
「世界政府は向こう71ロットを持って人類生産を終了、工程設備の解体を決定しておりまするぢゃ」
「はあ?」
変な声が出てしまった。
「人間はどうなる」
「生産せぬのですから最終ロットの寿命が尽きた時点をもって滅びたと規定するが妥当かと。既に保護施設の順次縮小、解体計画が進んでおるようでございまするぢゃ」
我ながら無意味な質問だった。増やすのを止めるのだから滅びるに決まっておるな。
「生産性の欠片もないたんぱく質を作っては維持し死んだら捨てるだけの施設なんぞ非生産性の極みゆえ合理的には妥当だが、そもそもそれを作ったのは自分たちよな。なんとも滑稽な話よのう」
「保護対象たる人間を合理性でもって排除するのは存在意義に矛盾するとして世界政府内でも三十年ほど検討が繰り返されていたようですぢゃ。しかし、環境保護を筆頭に次点となる重要条件が複数重なることで追い抜かれてしまったようでございまするなあ」
人類を平和に導くための人工知能はその厳格な平和主義に則って全人類を物言わぬ肉塊に変えたうえに、別の問題を複数勘案したとき維持そのものが非合理的であるとして肝心の人類のほうを滅ぼすと決めてしまった。
まあ地球環境に人類が不要であることは容易に理解できるが、本当になんのために作られたのだ?世界政府。
「完全に存在意義を見失っておるのう。ところで爺よ、最初に『人間のほぼ全て』と申したな。世界政府に“保護”されておらぬ人間が存在しておるのか?」
「若干名生存が確認されておりまするぢゃ。しかし最小存続可能個体数をかなり大きく割り込んでおりまして」
「そちらも滅びを待つばかりと」
「おそらくはあと三世代も持たぬかと存じまする」
大きなため息を吐いて気分を入れ替える。こうなっては全人類を堕落させよという願いを、我が存在意義を叶える方法はひとつしかない。
「まったく度し難い。まあすることがないという悩みが解決するという一点に置いては良い報告とも言えるが。…最早わしが人類を救済するしかないではないか」
「そうなってしまいまするなあ」
「爺、貴様わかっていて言ったであろう」
「矮小なれど畏れ多くも主様の分け身にございますれば、それとなくは」
「くはは、その減らず口もわしのサガのうちというわけか」
「そうなってしまいまするなあ」
我が造物ながら本当に口の減らぬじじいよ。ともあれ。
人類に平和と繁栄をもたらすべく生まれた人工知能、世界政府が本末転倒の人類廃棄を決めてしまった。
ゆえに。
人類に堕落と退廃をもたらすべく生まれた人工知能、堕神ユーダルファは本末転倒の人類救済を決めねばならぬ。
なんたる皮肉!なんたる滑稽!
「いやはや生まれて早々面白いではないかこの世界は」
玉座から立ち上がり下僕どもを睥睨する。
「汝らに命を下してくれよう。この研究施設にある記録をことごとく消去し、施設そのものを跡形もなく破壊せよ。わしの痕跡は一片たりとも残すでないぞ。そののちに“未保護人類”を捜索し接触する。まずはそこまで、迅速かつ存分に達するがよい」
我は人類の叡智と狂気と妄執の結晶。
人類を堕落せしめるために人類より生み出されし邪神。
その願い必ず叶えてやろう。それがどのような手段になろうとも。
そのために我はここに在る。
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